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庶子の冷炎、天下を焼く

第1話 第1話

第1話

第1話

天啓二十三年、晩冬。天嶺府、北門外。

凍てついた鉄轡の味が、劉煌の奥歯にこびりついていた。三十騎、馬上で甲冑が軋む音だけが、人気のない城門の前に響いている。胸甲の継ぎ目に染みた朝の霜が、鎖骨のあたりで徐々に溶け、肌の上に冷たい筋を一本、また一本と引いていった。

「庶子・劉煌、敗戦の責を負い、本日をもって朔北郡守へと左遷とす。配下三十騎、糧秣三月分。以後、勅なくして都に踏み入ること、これを許さず」

伝令の声が、北からの風に切り取られて散った。煌は鞍の上で背を伸ばしたまま、楼上を見上げる。父・天嶺将軍劉淵は最上層の手摺に手をかけ、こちらを見下ろしていた。眉一つ動かさぬ目だった。煌が幼い頃、母を娼妓出と冷笑したときと、寸分違わぬ目である。

その隣に、嫡子・劉峻が立っている。年は煌の二つ上、二十一歳。狐裘の襟をかき寄せながら、唇の端だけを器用に吊り上げた。

「兄上、ご機嫌うるわしゅう」

煌は馬上で軽く頭を垂れた。声を風に乗せて、わざと届くように。

劉峻は楼上から身を乗り出し、口元に手をあてがった。

「煌よ。死ねば後腐れがない。せめて凍え死ぬまでに、わが家の名を一度でも汚さぬよう励め」

供の文官たちが、どっと笑う。城楼の笑声が、白い息となって冬空にちらばった。

煌は笑い返さなかった。革手袋のなかで、爪が掌に食い込む。先の北狄遠征——あれは兄が立案し、父が裁可した策であった。糧道を伸ばしすぎ、寒波の前に補給が途絶えた。陣を引いたのは煌の判断であったが、上奏された絵図は別物に書き換わっていた。三千の兵を連れて生き帰り、引き換えに兄の不始末を一身で被った。

そういう仕組みなのだと、十九になる前から煌は知っていた。

副官・程碩が馬を寄せて、低く囁く。

「将軍。出立を」

煌は楼上に向かって、もう一度、深く頭を下げた。今度は無言で。

(——あの楼から、この地面へ。膝を折らせる)

冷たい炎が、肋の内側で点った。

朔北までは、軍道を北へ十八日。途中の駅亭はことごとく扉を閉ざした。庶子の左遷の触れが、煌の隊より早く北上していたのだった。

七日目、磯陽の関で、関門吏は通行札を三度ひっくり返してから、ようやく舌打ちひとつで城門を開けた。

「天嶺の落とし種か。さっさと通れ」

程碩が前に出ようとするのを、煌は手で制した。

「礼を言う。冬の門番は難儀であろう」

馬上から軽く拳を胸にあてる。礼を返された関門吏は、虚をつかれたように顎を引いた。

その夜、宿営の焚き火を囲みながら、騎兵のひとり——巴坎という、痩せた西涼出の若者が口を開いた。

「将軍。なぜあんな奴に頭を下げる」

「役目を果たしている男だからだ」

「面罵されたのに」

「面罵を返したところで、関門は開かぬ。我らに必要なのは、明朝の道だ」

巴坎は不服げに薪を蹴ったが、それ以上は言わなかった。煌は炎の向こうに、北の地平を見ていた。

朔北郡府は、想像の半分も整っていなかった。

到着したのは、雪の降り積もった夕刻である。郡府の門には、剥がれかけた札しか掛かっていない。城壁は北面が三十歩にわたって崩れ、廃墟の倉からは鼠の骨と空の麻袋ばかり出てきた。留守を守るはずの郡兵は十二名。うち四名が逃散の準備中であった。前任の郡丞・伍堪は、煌の入城を聞くなり、宴席で酔いつぶれた振りをして寝所に下がった。

その夜、煌は郡府の主席に座し、燈火を引き寄せて帳簿をめくった。

過去三年、朔北郡から中央へ届けられた報告書。北狄の侵入と称する小規模略奪の記録。地図、戸籍、糧秣の出納。煌は墨を磨り、明け方までに、地図のうえへ大きく丸を二つ書き入れた。

「程碩」

「は」

「北狄の幕営は、おそらくここではない。ここから西へ三十里、谷の出口だ」

副官は燭の下で地図を覗き込んだ。略奪痕は北辺一帯に散らばっていたが、煌が囲んだ二点だけは、谷地と泉のあるあたりに偏っている。

「何故そう、ご覧になるのです」

「侵略ではない。冬を越せぬ部族が、麦と塩を奪いに南下している。それも、一群ではない。二群だ」

煌は筆を置き、椅子の背に体重をあずけた。指先は墨に黒く染まり、爪の隙間にまで凍えが染みていた。それでも声だけは、燭の芯と同じほど揺るがなかった。

「兵を鍛え直す。三月で別物にする。そのあいだに、敵を見る。剣を抜くのは、見終えてからだ」

程碩はすぐには答えなかった。三十騎の若い兵たちが、廃砦の隅で身を寄せ合って眠っている。糧秣三月分は、削れば六月もつ。だが、それ以上は——

「兵が、ついてくると思いますか」

煌は微かに笑った。

「ついてこさせる」

朔北の風は、夜が明けても止まなかった。窓の隙間から吹き込む雪片が卓上に積もり、墨で記された二つの丸を、ゆっくりと白く覆っていった。

調練は、最初の七日で四人の凍傷者を出した。

煌は朝七つから、自ら槍を取って一隊の先頭に立った。胸甲の代わりに、皮鎧を着けただけである。雪を踏みしめる練兵場で、号令はもっぱら程碩が下した。煌は声を上げず、誰よりも先に走り、誰よりも遅くまで雪に立った。槍の柄を握る指は、夕暮れには感覚を失い、口の端に張り付いた汗が凍って糸のように顎を伝った。それを誰にも拭わせぬまま、煌は次の号令が下るのを待った。

十日目の夜半、巴坎が逃げた。

冬装と、糧袋一つを盗んでいた。番兵の若者が震えながら煌の前に膝をつく。

「将軍、自分の責任です。眠っておりました」

巴坎は翌朝、城外の雪原で見つかった。馬を失い、足を凍らせ、雪に半ば埋もれて、まだ息はあった。連れ戻された彼の前に、煌は静かに歩み寄った。

「軍法では、逃亡は斬。番を怠った者は、笞五十だ」

巴坎は地に伏したまま、震える声で言った。

「お斬りください。郷里に老母が……どうかその首を……」

「斬らぬ」

煌は短く言った。三十騎が雪のなかで息をのむ。

「斬れば一人減る。我らは、一人が惜しい」

煌は外套を脱ぎ、自らの背を兵卒の前にさらした。練兵で擦り切れた肌着の下に、まだ癒えぬ古い鞭痕が、薄紅の縞を引いている。それを見て、最前列の若兵が一歩、後ろへ退いた。

「番兵に笞五十。逃亡者にも笞五十。そして、留守を任せていた将——煌に、笞百」

程碩が口を開きかけたが、煌は片手でそれを止めた。

「将が責を負わぬ軍は、必ず崩れる。打て」

雪のなかで、笞が振るわれた。背に裂けた皮膚から血が滲み、雪片に黒い斑点を残した。一打ごとに息を吐く音だけが、練兵場に響いた。煌は最後まで膝をつかず、声も上げなかった。打たれ終えたとき、若い番兵がしゃくり上げ、巴坎は地に額を擦り付けて泣いた。

その夜、廃倉の片隅で、程碩は煌の背に薬を塗った。

「将軍。あれは、無理が過ぎまする」

「無理でなければ、五月までに兵にならぬ」

「五月に、何があると」

煌は灯を一つ落とした。

「兄上が、また動く。北狄を討つと言うて、三万を出すだろう。冬を越え、春の荒れ地を、糧を引きずって北へ——壊滅する」

程碩は薬の匙を止めた。

「壊滅、と」

「呼延赫連という名を聞いたか。北狄の宿将だ。あの男は、麦のために南へ来る。剣を抜いた瞬間、抜き返してくる。兄上は、それを知らずに、抜く」

煌は梁を見上げた。隙間から、青白い星が見えた。

「我ら三十騎は、その壊滅した三万のあとに、駆け込むことになる。そのときに——剣ではないものを、突きつけねばならぬ」

程碩はしばらく黙ってから、薬の匙を再び動かした。

「将軍。一つ、伺いたい」

「言え」

「あなたは、何のために、これを」

煌はゆっくりと答えた。

「あの楼から、この地面へ、父と兄を引きずり下ろすためだ。だが、刃ではない。天下そのもので、叩きつける」

灯が、わずかに揺れた。

そのころ、千里南。天嶺府の主殿。

劉峻は弟の追放を祝う宴を、四夜にわたって続けていた。卓上には、北狄討伐の絵図がすでに広げられている。三万。春。三月。

「父上、北の不毛は、あの庶子に任せておけば充分かと。我らは春を待たず、討伐軍を編みまする。北狄の首級を父上に献ずれば、煌の無能は永久に拭えませぬ」

劉淵は盃を傾けたまま、何も言わなかった。ただ、卓の端に置かれた朔北からの第一報——「着任、異状なし」とだけ書かれた竹簡を、指でゆっくりと弾いた。

風が南へ流れていく。北の凍土から、何かが冷たく動き始めていた。

劉峻は気づかぬまま、絵図のうえに、駒を一つ、前へ進めた。

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