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献身の盾と最弱剣士

第3話 第3話

第3話

第3話

《──隠し効果あり》

あの灰色の三文字が、ログアウトした後も頭にこびりついていた。

翌日、仕事中も上の空だった。昼休みにスマホで攻略Wikiを開いたが、やはり「献身の盾」の記載はない。フォーラムの過去ログを「隠し効果」で検索しても、別スキルの推測記事ばかりがヒットする。3000万人が遊ぶゲームで、誰も触れていない情報。存在しないのか、それとも誰も到達していないのか。

定時で上がり、部屋に戻り、VRヘッドセットを被る。ログイン。いつもの荒野の拠点に身体が再構成される。夕暮れの風が頬を撫でた。空はオレンジとラベンダーの境目が滲んで、地平線に近い雲だけが濃い紫に染まっている。

スキル画面を開く。【献身の盾】のアイコンは昨夜と変わらず、紫の脈動を繰り返している。

「発動条件:パーティに所属していること」

つまり、隠し効果の検証にもパーティが要る。ソロじゃ発動すらしない。

2年間、誰とも組まなかった。組もうと思ったこともない。チャット欄は空白が常態で、声の出し方を忘れたと昨日思ったばかりだ。

でも。

「……知りたいんだよな、これの正体」

知りたい。純粋にそれだけだった。1000回負けた先にあったものが何なのか、確かめたい。そのためにパーティが必要なら──組むしかない。

街に向かった。2年間で片手で数えるほどしか来ていない、《始まりの街ルミナス》。転移門をくぐると喧騒が耳を叩く。広場には露店と看板がひしめき、色とりどりの装備をまとったプレイヤーたちが行き交っている。笑い声、怒鳴り声、取引チャットの早口、鍛冶屋の金属音。情報量の暴力に目眩がした。辺境の静寂に浸かりすぎた耳には、全部がうるさい。人酔いしそうになりながら、広場の端にある掲示板を探す。

《パーティ募集掲示板》。木の板にメモが無数に貼られたアナログな見た目だが、中身はシステム連動の自動マッチングだ。タップすると投稿フォームが開く。

何を書けばいい。

「……」

考えた末に、短く打ち込んだ。

《PT募集|レベル不問|クエスト応相談|よろしくお願いします》

投稿。掲示板に自分の名前が表示される。リン。レベル38。剣士。木剣。

──3分経った。反応なし。

5分。10分。掲示板を眺めるプレイヤーは何人もいる。自分の投稿の前で足を止め、ステータスを覗き、そして通り過ぎていく。あるプレイヤーは足を止めてすらくれなかった。

15分が過ぎた頃、近くのプレイヤー2人の会話が聞こえた。

「ねえこれ見て。レベル38で木剣って」 「あー、いるよな。荒野でずっと狼殴ってるやつ。配信で見たことある。スキル未振りでフレンドゼロのガチ縛り」 「地雷じゃん。組むわけない」

聞こえている。全部聞こえている。返す言葉はない。事実だから。レベル38で木剣で、スキル未振り。数字だけ見れば地雷以外の何物でもない。

掲示板を閉じた。

代わりに、クエストボードを開く。低レベル帯のクエスト一覧をスクロールしていく。ギルド依頼、討伐依頼、採集依頼──その中に一件、点滅している項目があった。

《救援要請:初心者支援クエスト『迷子の護衛』》 《依頼者:ユイ(Lv.8)》 《内容:緑森のキャンプ地まで護衛してほしい。モンスターが怖くて進めません》 《報酬:経験値(微量)》

レベル8の初心者の護衛。報酬は雀の涙。効率勢はまず見向きもしない類のクエストだ。救援クエストは自動的にテンポラリPTが組まれる仕様──つまり、発動条件を満たせる。

受諾した。

転移先は《緑森》の入口。レベル10〜15帯のフィールドで、私にとっては懐かしい場所だ。2年前、始めたばかりの頃に走り回っていた。木漏れ日が柔らかく降り注ぎ、苔むした岩の間を小川が流れている。空気は湿っていて、土と若葉の匂いが混じっている。穏やかな場所のはずだが──今、目の前でレベル12の《角鹿》3体に囲まれて悲鳴を上げている小柄なプレイヤーがいた。

「わあああっ、来ないで来ないでっ!」

杖を振り回して──明らかに攻撃魔法ではなく物理で殴ろうとしている。角鹿の突進をまともに食らい、吹き飛ばされて地面を転がった。HPバーが半分ほど削れている。装備は初期ローブ。スキル構成もまだ整っていないのだろう。

テンポラリPTが成立した瞬間、画面の左上にユイのHPバーが表示された。同時に、スキル欄の【献身の盾】が微かに光った。

走った。

角鹿の攻撃モーションは灰狼より遥かに単純だ。前脚を掻く予備動作の後に突進。それだけ。パターンを読むまでもない。

ユイに向かって突進する角鹿の前に身体を滑り込ませた。木剣を横に構え、盾のように体の前に出す。

──その瞬間、【献身の盾】が自動発動した。

紫の光が身体の輪郭に沿って走り、胸の中心から放射状に広がった。角鹿の角がこちらを捉える。衝突。衝撃が身体を叩き──

ダメージ表示が二重に出た。

ユイの頭上に《0》。 私の頭上に《287》。

HPバーが一気に減って──1で止まった。

赤く点滅するHP。残り1。死なない。本当に、1で止まった。

角鹿の攻撃力はレベル38の私にとっては大したことない。だが【献身の盾】の仕様通り、ユイが受けるはずだったダメージを100%肩代わりし、私のHPが1で固定された。理屈は理解していた。でも実際に体感すると、背筋が震える。ダメージの衝撃は本物で、それなのに倒れない。膝が折れそうになる身体を、歯を食いしばって支えた。足の裏から力を絞り出し、木剣を構え直す。

「──大丈夫?」

振り向いてユイに声をかけた。自分の声が妙にかすれている。2年間チャット以外で誰かに話しかけた記憶がない。声帯の使い方を忘れた喉が、ぎこちなく音を絞り出していた。

「え、あ、はい! だ、大丈夫です!」

ユイが目を丸くしてこちらを見ている。

残り2体の角鹿が向かってくる。木剣で応戦する。ここのモンスターはレベル38の私なら十分に捌ける。一体目の突進を横に避けて首筋に一閃、二体目の角を木剣の腹で弾いて体勢を崩させ、露出した脇腹に連打を叩き込む。ダメージは低いが、HP自体も低い相手だ。三十秒ほどで2体を処理した。

戦闘終了。

──と同時に、違和感に気づいた。

画面の右端に、見慣れないゲージが表示されている。ユイのアイコンの横に、ハートマークの付いたバーが伸びていく。

《親密度:0 → 34》

34。初対面で34。通常、PTを組んで一緒にクエストをこなしても、親密度は1回の戦闘で1〜3がせいぜいだ。それが一気に34。

スキル詳細を開き直す。【献身の盾】の説明文に変化はない。でも──肩代わりした瞬間に親密度が跳ねた。これがスキルの副次効果なのか、それとも。

「あの!」

ユイの声で顔を上げた。初期ローブの小柄なプレイヤーが、両手を胸の前で握って、こちらを真っ直ぐ見ている。

「助けてくれてありがとうございます! あの、すごいですね、全然ダメージ受けてなくて──」

受けてる。全部受けている。むしろ全部引き受けた。でもそれは言わなかった。

「いや、大したことしてない。キャンプ地まで送るよ」

「はい! お願いします!」

緑森を並んで歩いた。ユイは始めて3日目で、操作もおぼつかないらしく、段差でつまずいたり、NPCに話しかけようとして木に衝突したりしていた。その度に小さな悲鳴を上げる。

「ひゃっ──ご、ごめんなさい」

「……別に謝らなくていい」

道中、角鹿が2回、蔦蛇が1回出現した。すべて私が前に出て処理する。ユイに攻撃が向かうたびに【献身の盾】が光り、ダメージを吸い取り、HPが1で踏みとどまる。そのたびに親密度ゲージが跳ねた。34、51、68、82──異常な速度で数字が上がっていく。通常なら数週間パーティを組み続けて到達するような数値に、わずか30分で近づいている。

キャンプ地に着いた。篝火の暖かい光と、NPCの穏やかな台詞。クエスト完了の通知が表示される。報酬は微量の経験値──レベル38の私には誤差にすらならない。

「ありがとうございました!」

ユイがぺこりとお辞儀エモートをした。テンポラリPTの自動解散まであと数秒。

これで終わりだ。スキルの挙動は確認できた。【献身の盾】でダメージを肩代わりすると、親密度が異常に上昇する。おそらくこれが隠し効果──いや、隠し効果の入口に関連する何かだ。データは取れた。あとは一人で分析すればいい。

「あの!」

解散カウントダウンが3秒を切った瞬間、ユイが叫んだ。

「もう一回、一緒に冒険してくれませんか!?」

「……え?」

「さっき庇ってもらった時、なんか──すごく安心したんです。この人の後ろにいれば大丈夫だって。ゲーム始めてから怖いことばっかりだったけど、初めて楽しいって思えて」

ユイの声が早口になっていく。テンポラリPTの解散通知が点滅している。あと1秒。

「フレンド申請送ってもいいですか!?」

画面にポップアップが表示された。

《ユイさんからフレンド申請が届いています》 《承認しますか? YES / NO》

指が止まった。

フレンドリスト:0。2年間ずっとゼロだった数字。誰にも必要とされなかったし、誰かを必要としなかった。それでいいと思っていた。木剣を振る自分だけが本物だと、そう決めていた。

胸の奥で、錆びた蝶番が軋む音がした。開こうとしても動かないはずの場所が、微かに──ほんの少しだけ、動いた気がした。

「──、」

YESを押した。指先が震えていた。

《フレンドリスト:1》

「やった! リンさん、明日もログインしますか? 私、レベル上げ手伝ってほしくて──あ、違う、一緒に遊びたいんです!」

ユイの声が弾んでいる。画面越しでも伝わる、まっすぐな感情。こんな温度の声を向けられたのは、いつ以来だろう。思い出せない。たぶん、初めてだ。

「……明日も、いると思う」

それだけ答えた。それ以上の言葉が見つからなかった。

ログアウト後、暗い部屋の天井を見つめていた。ヘッドセットを外した耳に残る残響。ユイの声がまだ聞こえる気がする。

フレンドリストの「1」が、998回の敗北より重い。

──人と繋がるって、こんなに怖かったっけ。

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