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深淵読みのソロプレイヤー

第2話 第2話

第2話

第2話

リスポーン地点は破棄エリアの入口だった。

壊れたガイドNPCが同じセリフを繰り返している。「こ̶̢の先は̵̛危̴険で̸す」——文字化けしたフキダシを横目に、装備の確認を始めた。HP全回復。バフなし。デスペナルティはわずかな経験値ロスだけ。レベル67の中堅プレイヤーには痛くもない。

問題は、さっきの一撃だ。

ダメージ99999。このゲームの通常ダメージ上限は9999。つまり、あの攻撃はシステムの上限を超えている。バグか、あるいは——仕様か。どちらにしても、普通のモンスターではありえない。数字の羅列が網膜に焼きついて離れない。五桁のナインが並ぶあの表示は、このゲームを三年やってきて一度も見たことがなかった。

インベントリを開く。回復ポーション、中級が23本。状態異常回復薬が5本。緊急離脱用のテレポートスクロールが2枚。火力を上げる装備は持ってきていない。そもそも破棄エリアに来る時はいつも探索装備だ。戦闘を想定していなかった。

「……まあ、いい」

装備を変えたところで99999ダメージの前では誤差だ。防御を固めても意味がない。必要なのは情報だ。あの影が何者で、どういうルールで動いているのか。

崖の裂け目に向かって歩き出す。さっきの浮島ルートはまだ記憶に新しい。5つの足場を渡り、裂け目に飛び込み、灰色の通路を下る。二度目だから身体が覚えている。迷いなく足を運べる。足場を蹴るたびにブーツの底から硬い反響音が返ってくる。破棄エリア特有の、遠近感の狂った残響だ。BGMはとうに途切れている。聞こえるのは自分の足音と、時折フレームが軋むようなノイズだけだった。

通路の突き当たり。マップデータの消失した暗闇が、変わらずそこにあった。

深呼吸する。VRヘッドセットの中で自分の呼吸音が大きく聞こえた。ここから先は未知の領域だ。だが、さっきとは違う。今度は「何がいるか」を知っている。

一歩を踏み出した。

床の感触は前回と同じだ。幅が徐々に狭まり、やがて円形の空間に出る。灰色の平面。壁なし、天井なし。

——いた。

空間の中央に、あの影が浮いている。前回と寸分違わぬ位置。のっぺりとした黒い人型。テクスチャなし。輪郭が曖昧に揺らいでいる。こちらを「見ている」あの感覚も同じだ。現実の身体が総毛立つ。視線があるはずがない。目に当たるパーツすら描画されていない。それなのに、観察されている確信だけが肌を刺す。ゲームの中の存在が、画面の外にいる俺を認識している——そんな錯覚が、どうしても拭えなかった。

今度は距離を取った。円形空間の縁ぎりぎりに立ち、影との間合いを15メートルほど確保する。まず観察だ。動くな、とアバターに言い聞かせるように力を抜いた。

HUDにターゲット情報が浮かぶ。前回と変わらない。名前は文字化け。レベル表示なし。HPゲージなし。モンスター図鑑——該当なし。

「図鑑にない、か」

このゲームのモンスター図鑑は自動登録だ。視認した時点で名前とシルエットが記録され、一度でも戦闘すればHPや属性が開示される。それが機能していない。つまり、このモンスターはゲームのデータベースに正規登録されていない。未実装のテストデータか、あるいは——

影が動いた。

前回と同じだ。黒い指先がこちらに向けられる。来る。

今度は即座に横に跳んだ。回避モーション発動。前回は足が動かなかったが、今回は15メートルの距離がある分、操作が通った。黒い何かが俺の立っていた場所を貫通する。床に着弾——いや、着弾のエフェクトすらない。攻撃判定だけが空間を走り抜けた。

「避けた——」

喜ぶ暇はなかった。影の左手が持ち上がる。二撃目。今度は軌道が違う。弧を描くように、横方向から。

バックステップ。紙一重でかわす。衝撃波のような不可視の判定が頬を掠めた気がしたが、ダメージ表示はない。背中にぞわりと冷たいものが走った。VRの触覚フィードバックではない。本能が発した警告だ。

「三——」

三撃目は予測できなかった。足元から。床そのものが攻撃判定に変わったかのように、円形空間の半分が赤く明滅した。跳躍で逃れようとした足が、また縫い止められた。前回と同じ拘束。

HP全損。即死。

暗転。リスポーン画面。

「……くそ」

二回で終わった。前回より一撃ぶん長く持っただけだ。だが、情報は増えた。あの影は複数の攻撃手段を持っている。直線、弧、範囲——少なくとも三種類。そして拘束。あれが発動したら回避は不可能だ。

リスポーン地点に戻る。壊れたガイドNPCの前を素通りして、戦闘ログを開いた。

ログを注視する。前回の記録と今回の記録。二戦分のデータが並んでいる。

一戦目。攻撃回数1。ダメージ99999。攻撃名:不明。属性:不明。

二戦目。攻撃回数3。攻撃名は全て不明。だが——三撃それぞれのダメージ属性コードに見慣れない接頭辞がついている。

「……res?」

res_evade。res_backstep。res_jump。

最初の直線攻撃のコードがres_evade。俺が回避した直後に飛んできた弧の攻撃がres_backstep。そして足元からの範囲攻撃がres_jump。

resはresponseの略か。

鳥肌が立った。VRグローブを外して自分の腕を見た。現実の腕にも鳥肌が出ている。

この攻撃パターンは——俺の行動への応答だ。

横に回避したから、次は弧で横を狩りに来た。バックステップで下がったから、足元ごと潰しに来た。一戦目に至っては、俺がスティックを倒した——回避しようとした瞬間に、拘束が発動している。回避入力を読まれていた。

「あいつ、俺の動きを見てるのか」

いや、見ているどころじゃない。応答している。反応している。俺がどう動くかを観測した上で、その行動を潰すように攻撃を組み立てている。

一戦目のres_evadeをもう一度確認する。あの時、俺はスティックを倒しただけで実際には動けなかった。つまり「回避の入力」に対して応答が返ってきた。結果じゃない。入力そのものを読んでいる。

こんなAIがこのゲームに存在するはずがない。アビスクロニクルのモンスターAIは基本的にパターン制御だ。プレイヤーの行動に応じて攻撃が変わるのは一部のレイドボスだけで、それもヘイト管理やポジションに応じた分岐に過ぎない。入力コマンドそのものを読んで応答を返すなんて、聞いたことがない。

戦闘ログを閉じて、天井を仰いだ。リスポーン地点の空は橙色に染まっている。ゲーム内時刻は夕方だ。

整理しよう。

あの影——仮に「番人」と呼ぶ——はモンスター図鑑にもWikiにも載っていない未登録のエンティティだ。HPゲージがないから削れているかどうかも分からない。攻撃パターンは固定ではなく、プレイヤーの入力に対するリアルタイムの応答として生成されている。つまり、同じ戦い方を二度すれば二度とも潰される。

普通の攻略が通用しない。パターンを覚えて最適解を叩き込むという、このゲームの戦闘の基本原則そのものが無効化されている。

「やり方を変えないと、百回行っても同じだ」

それは分かっている。分かっているが——どう変えればいい? 入力を読まれるなら、何をしても応答される。火力を上げてもHPゲージがない相手にどれだけ意味がある? 防御を積んでも99999ダメージには焼け石に水だ。

答えはまだない。だが、手がかりはできた。

res——応答。あの番人は俺に「応えている」。ならば、問いの立て方を変えればいい。同じ問いには同じ答えが返るなら、番人が「知らない問い」をぶつけるしかない。

俺は装備画面を開いた。低レアの、誰も使わないスキルの一覧が並んでいる。これを使ったことは一度もない。番人も——まだ、見たことがないはずだ。

リスポーンボタンに三度目の指を伸ばしながら、口元が歪むのを感じた。恐怖と興奮の区別がつかない。ヘッドセットの中で心臓の音がやけに大きく聞こえる。指先がわずかに震えている。それが怯えなのか、それとも狩人の手が獲物を前にして高鳴るあの感覚なのか、自分でも判別がつかなかった。

あの闇の底で、番人が待っている。

今度は——少しだけ長く、踊ってやる。

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