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深層共鳴のソロハンター

第1話 第1話「転職推奨の赤い判」

第1話

第1話「転職推奨の赤い判」

「転職推奨」——査定票の赤い判が、御堂レンの三年間を四文字で否定していた。

 ハンター協会本部、第三査定室。安っぽいパイプ椅子に腰掛けたレンの前で、査定官の中年男が書類をめくる音だけが響いている。蛍光灯の白い光が、机上に広げられた成績表の数字を無慈悲に照らしていた。壁に掛けられた時計の秒針が、一秒ごとに乾いた音を刻む。この部屋にはいつも同じ匂いがする。古い紙と、消毒液と、誰かが飲み残したコーヒーの酸っぱい残り香。

「御堂レン、二十二歳。ランクE。所持スキル——《微弱感知》のみ。索敵半径三メートル、持続時間十二秒。パーティ適性スキル、なし」

 査定官は書類から目を上げもせずに読み上げた。もう何度聞いたかわからない自分のスペック。レンは膝の上で拳を握った。爪が掌に食い込む感触だけが、この場にいる自分を繋ぎ止めている気がした。

「年間討伐ポイント、下位七パーセント。周回階層は第三層から第五層。三年間、ランク更新なし」

 ページをめくる音。査定官がようやく顔を上げた。四十代半ばの、疲れた目をした男だった。憐れみでも嘲笑でもない、ただ事務的な視線がレンを見た。その目はレンではなく、書類に印刷された数字の延長線上にある何かを見ていた。この男にとって、レンは今日処理する案件の一つにすぎない。

「率直に言う。君の《微弱感知》は、現行のスキル評価基準で実用外だ。索敵系でも最低ランクの性能で、しかもパーティ支援に転用できない。君を受け入れるチームは——」

「ありません。知っています」

 レンは査定官の言葉を遮った。声は平坦だった。怒りでも諦めでもなく、何度も聞いた台詞に対する、ただの確認。

 査定官は小さく息をついた。

「今期もパーティ募集掲示板に君の名前で応募が四件。全件、不採用。理由はいずれも『パーティ構成に寄与するスキルがない』。ソロ保険の等級も据え置きだ。もう一年、この成績が続けば保険自体が——」

「査定の結果を」

「——転職推奨。以上だ」

 赤い判が押される音が、やけに大きく聞こえた。朱肉の匂いが鼻先をかすめる。査定票の紙が、判の衝撃でわずかに震えた。三年分の日々が、その振動で揺れて、静止した。

 査定室を出ると、廊下の壁一面に貼られたパーティ募集の紙が目に入る。『火力職急募! ランクC以上』『ヒーラー求む、長期パーティ』『索敵スキル持ち歓迎——ただしランクB以上』。レンは立ち止まらなかった。掲示板の前で足を止めていたのは一年目までだ。

 協会のロビーは昼下がりの喧騒に満ちている。帰還したパーティが笑い声を上げ、受付カウンターでは報酬精算の列ができていた。戦利品の魔石を袋から出して見せ合う若いハンターたち。その誰もがチームの仲間と肩を並べている。

 レンは人混みの端を歩いた。誰も声をかけない。三年もいれば顔は知られているが、声をかける理由がない。最弱のソロハンターは、ロビーの風景の一部ですらなかった。

 外に出ると、四月の風が頬を撫でた。陽射しは暖かいのに、身体の芯がまだ査定室の蛍光灯に冷やされたままのような気がした。

 レンは駅への道を歩きながら、今朝のゲート前の光景を思い出していた。午前五時半、まだ薄暗い集合ポイント。いつも一番乗りだった。管理員が転送門の封印を解く前から、レンはそこに立っている。革のグローブを嵌め直し、使い古した短剣の柄を確かめ、鞄の中の最低限の回復薬を数える。誰かを待っているわけではない。誰も来ないと知っているから、一番に行く。

 第三層。薄暗い石造りの回廊。湿った空気に苔の匂いが混じり、遠くで水が滴る音が一定の間隔で響く。レンにとっては三年間歩き続けた庭のような場所だ。壁の染みの形まで覚えている。角を曲がるたびに《微弱感知》を起動し、わずか三メートル先の気配だけを頼りに、下級の魔物を一体ずつ仕留めていく。

 索敵半径三メートル。それはつまり、魔物の爪が届く距離まで近づかなければ何も感じ取れないということだ。実用外と呼ばれる理由は、使えば使うほど身に染みる。それでもレンは毎日この力を振るい続けてきた。三メートルの中に入った瞬間だけ感じる微かな脈動——魔物の位置、向き、かすかな体温。たった十二秒のその感覚を頼りに、先手を取る。失敗すれば爪が肉を裂く。左の前腕には、最初の一年で受けた傷痕が三本、白い線になって残っている。あの頃は十二秒を数え損ねた。今はもう、身体が秒数を覚えている。

 鈍色の魔石が四つ。本日の収穫。換金すれば、安い弁当が三日分。

 レンは浅層帰還ゲートをくぐり、協会の精算窓口に魔石を並べた。受付嬢の桐谷が、いつもの穏やかな笑みで受け取る。

「お疲れさまです、御堂さん。今日も第三層ですか」

「ああ」

「——お怪我は?」

「かすり傷だけだ」

 桐谷はそれ以上何も言わなかった。代わりに精算伝票を差し出す指先が、少しだけ躊躇するように止まった。レンはそれに気づかないふりをして伝票を受け取った。伝票に印字された金額は、他のハンターなら受け取りもしない端数だった。

 安アパートの一室。六畳一間にベッドと小さな机。壁には自作のダンジョン浅層地図が画鋲で留められ、床には修繕中の装備が散らばっている。冒険者の部屋というには生活感がありすぎて、生活の場というには殺伐としすぎている。

 レンはベッドの縁に腰を下ろし、枕元の引き出しから小さな通信端末を取り出した。協会支給の旧型。五年前の通信ログが一件だけ残っている。端末の角は何度も握り締めたせいで塗装が剥げ、下地の銀色の金属が覗いている。

 再生ボタンを押すと、ノイズの奥から聞き慣れた声が流れた。

『——レン、聞こえてる? 第十九層の東回廊を抜けた先に、地図にない空間を見つけた。紋様が壁一面に刻まれてる。協会のデータベースにも該当なし。これは——この階層の奥に、まだ誰も知らないものがある。明日、もう少し奥まで——』

 通信はそこで途切れる。姉の声の最後の一音が、ノイズに溶けて消えていく。

 五年間、同じ音声を何百回再生したかわからない。波形の一つ一つまで暗記している。それでも毎晩聴く。聴かなければ、姉の声の質感を忘れてしまいそうで。最初の一年は涙が出た。二年目は拳を握った。三年目からは何も溢れなくなった。ただ聴く。それだけが夜ごとの儀式になった。

 御堂アキラ。当時ランクA、協会でも有数の深層探索者。ソロでの深層踏破記録を複数持ち、レンにとっては唯一の家族であり、ハンターとしての目標だった。彼女が第十九層以深で消息を絶ったとき、協会は二週間の捜索を行い、「殉職」として処理した。遺体は見つかっていない。

 査定票の赤い判が脳裏にちらつく。転職推奨。合理的な判断だ。ランクEの最弱スキル持ちが三年間浅層を回り続けて、得たものは何もない。数字だけを見れば、誰だってそう結論する。

 レンは通信端末を引き出しに戻し、目を閉じた。

『まだ誰も知らないものがある』

 五年。来月で姉が消えてから丸五年になる。協会の規定では、五年を過ぎた行方不明者の捜索記録は永久凍結される。閲覧すらできなくなる。

 あと三十日。

 レンは目を開け、ベッド脇に立てかけた短剣を見た。刃こぼれだらけの、安物の武器。だが毎日研いでいる。指先で刃の側面に触れると、今朝研いだばかりの冷たさが指の腹に伝わった。この短剣で第十九層に辿り着けるとは思っていない。それでも手入れを怠らないのは、姉がそう教えたからだ。——武器の手入れを止めた日が、ハンターを辞める日だ。

 明日も午前五時半にゲートの前に立つ。その次の日も、その次の日も。浅層の魔石を拾い、三メートルの感知を振るい、誰にも組めないまま一人で潜る。理由は一つだけだ。

 姉の声が途切れたあの先に、何があるのかを確かめるまでは、この足を止めるわけにはいかない。

 眠りに落ちる寸前、通信端末がほんの微かに——気のせいだと思えるほど小さく、一瞬だけ光った。五年間沈黙していた姉の端末IDが、受信履歴の最深部でちらついたように見えた。

 レンの意識はそこで闇に沈んだ。翌朝の目覚ましは、五時十五分に設定されている。

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