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十二のフラグを潰して生き延びる

第3話 第3話

第3話

第3話

王都の門を出たのは、明け方の薄闇の中だった。

父は前日に先発していた。「目立つな」とだけ言い残して。公爵家の紋章を外した質素な馬車が一台、護衛の騎馬が二騎。それが婚約破棄された公爵令嬢の旅路のすべてだった。

御者台に座るオットーが、一度だけ振り返って「よろしいですか」と目で問うた。私は小さく頷き、馬車の窓の覆いを下ろした。王都の街並みを最後に見る感傷に浸る余裕はない。三日間の道中で、頭の中を整理しなければならないことが山のようにあった。

馬車が石畳を離れ、土の街道に入ると、車体の揺れが一段と激しくなった。腰にくる振動を堪えながら、昨夜のうちに写し取った領地の地図を膝の上に広げる。父の書斎から持ち出した最新の地図——とは名ばかりの、十年以上前に作成された代物だった。インクの褪せた羊皮紙に描かれた鉱山の位置を指先で辿りながら、ゲームの記憶と照合していく。

『魔導鉱石の鉱脈は、第三坑道の最深部。ゲームでは中盤の戦争パートで「ヴァルトシュタイン鉱山が突如として戦略資源の供給地になる」というテキストがあった。つまり今は、まだ誰もその価値に気づいていない』

だからこそ、今のうちに押さえる。王都の政治が私を忘れている間に。

二日目の午後から、景色が変わり始めた。

街道の石畳はとうに途切れ、轍の深い泥道が続いている。車輪が泥を噛むたびに馬車が傾ぎ、何度か完全に停まった。護衛の騎士が馬を降りて車輪を押す場面すらあった。

窓の覆いを上げると、灰色の空の下に荒れた農地が広がっていた。収穫を終えた畑——ではない。放棄された畑だ。雑草が腰の高さまで伸び、かつて麦が揺れていたであろう区画を完全に呑み込んでいる。遠くに見える集落は、煙突から煙が上がっている家の方が少なかった。

ゲームでは「辺境ヴァルトシュタイン領——寒冷な気候と痩せた土地に苦しむ北方の領地」という一枚の背景テキストだった。たった一行。それがこの土地のすべてとして処理されていた。

三日目の朝、街道沿いの村で水を補給したとき、井戸端にいた老婆と目が合った。痩せこけた頬、日に焼けて罅割れた手。老婆は馬車の紋章——外してあるはずの——がない車体をしげしげと見て、それから私の深紅のドレスに目を留めた。

「……お貴族様かね」

その声には敵意も媚びもなかった。ただ、乾いた事実の確認だった。この土地では貴族の馬車が通ること自体が珍しいのだろう。

「ええ。ヴァルトシュタインの者です」

老婆の目がわずかに動いた。それから視線を逸らし、何も言わずに井戸に向き直った。あの一瞬の目の動きが何を意味していたのか——失望か、諦めか、あるいはもっと深い、言葉にならない何かだったのか。

馬車に戻り、揺れる車内で拳を膝の上に握りしめた。

『背景テキスト一枚。——ふざけないで。ここに暮らしている人たちがいる』

前世の記憶が蘇ったとき、私が最初に考えたのは生き延びることだった。十二本のシナリオをすべて潰し、破滅のフラグを回避すること。それは間違いではない。死んでは何もできない。

けれど今、この目で見た荒れた街道と、あの老婆の乾いた目が、胸の奥に刺さって抜けなかった。

ゲームの悪役令嬢セラフィーナには、領地を顧みる描写は一行もなかった。王都の社交界だけが彼女の世界で、辺境の領民など存在しないも同然だった。

だから負けたのだ。足場がなかった。味方がいなかった。王都での地位を奪われた瞬間、彼女には何も残らなかった。

『同じ轍は踏まない。この土地を立て直す。それが生き延びるための最も確実な方法であり——』

馬車が大きく揺れ、思考が途切れた。窓の外に、灰色の山肌が見えた。ヴァルトシュタイン領の象徴とも言える北嶺山脈の稜線。その麓に、かつて領地の富を支えた鉱山がある。

ゲームの知識が正しければ、あの山の奥に眠る魔導鉱石こそが、すべてを変える鍵になる。

三日目の夕刻、馬車はようやくヴァルトシュタイン公爵邸の門前に着いた。

王都の別邸とは比べるべくもない、実用一辺倒の石造りの館。装飾らしい装飾はなく、北方の冬を凌ぐためだけに設計された分厚い壁と小さな窓が、この土地の厳しさを無言で語っていた。門柱に刻まれた公爵家の紋章だけが、ここが辺境の領主の居城であることを示している。

玄関広間で出迎えたのは、領地の家令を務める初老の男だった。深い皺の刻まれた顔に、一瞬だけ驚きが走る。当然だろう。王都で社交に明け暮れていた公爵令嬢が、婚約破棄の翌々日にこの辺境に現れるなど、誰が予想するものか。

「お嬢様……お帰りなさいませ」

その言葉に込められた戸惑いを無視して、私は単刀直入に訊いた。

「父上はどちらに」

「書斎でございます。ですが——」

待たなかった。旅装のまま階段を上がり、書斎の扉を叩く。返事を待たずに開けたのは無作法だと承知していた。けれど三日間馬車に揺られながら煮詰めた決意が、一刻の猶予も許さなかった。

暖炉の火が、ここでも揺れていた。王都の書斎と同じ葉巻の匂い。だが壁を埋めるのは書物ではなく、領地の測量図と税収の帳簿だった。

父が顔を上げた。灰色の目が私を捉え、わずかに細まる。旅の疲れが滲む娘の姿を一瞥し、それから視線を手元の書類に戻した。

「……座れとは言ったが、扉を叩いてから入れとも言ったはずだ」

「申し訳ございません、お父様」

謝罪は口にしたが、声に悔いの色はなかった。それを父が聞き逃すはずもない。灰色の目が再び上がり、今度は逸らさなかった。

「三日間、考えておりました」

「何をだ」

「この領地のことです」

父の眉がわずかに動いた。王都の書斎で見たのと同じ反応——だが、そこに含まれる感情の色が微妙に違った。王都では皮肉だった。ここでは、かすかな警戒。

「街道は荒れ、農地は放棄され、鉱山は閉鎖寸前だと聞いています。税収は十年前の半分以下。このままでは——」

「知ったような口を利くな」

低い声が、暖炉の爆ぜる音を掻き消した。

「お前がこの領地に最後に足を踏み入れたのは五年前だ。学園に上がる前の挨拶回り以来、一度も来なかった。この土地の何を知っている」

正論だった。ゲームの悪役令嬢セラフィーナは、領地に何の関心も持たなかった。その記憶はこの体にも刻まれている。五年間、一度も故郷の土を踏まなかった事実は、覆しようがない。

だから、私は嘘をつかなかった。

「おっしゃる通りです。私はこの領地を知りません」

父の目が、ほんのわずかに見開かれた。否認ではなく肯定。王都の大広間と同じ手法——だが、ここでは計算ではなかった。ただ、事実だったからだ。

「知らないからこそ、学びたいのです。お父様」

膝をついた。旅装の裾が石の床に広がる。三日前に王都の大広間でひざまずいたときとは、まるで違う感覚だった。あのときは屈辱だった。今は——自分の意志で、頭を下げている。

「領地経営に参画させてください」

沈黙が降りた。暖炉の火が弾ける音と、窓の外を吹く北風の唸りだけが書斎を満たしている。

父は長い間、何も言わなかった。

やがて、椅子が軋んだ。

「……鉱山を見てこい」

顔を上げると、父は再び書類に目を落としていた。その横顔には何の表情も浮かんでいない。

「話はそれからだ」

書斎を出ると、廊下の窓から北嶺山脈の稜線が夕闇に沈んでいくのが見えた。灰色の山肌が、最後の夕陽を受けてほんのわずかに赤く染まっている。あの山の奥に、すべてを変える鉱脈が眠っている。

『鉱山を見てこい——試されている。社交界しか知らない小娘が、泥と岩の現場を前にして何を言えるのか。見定めるつもりだ』

望むところだった。

ゲームの知識が正しければ、あの鉱山には致命的な非効率が二つある。精錬炉の温度管理と、坑道の換気設計。前世で学んだ化学の基礎知識があれば、少なくとも一つ目は改善できるはずだ。

けれどその前に、現場を知る人間を味方につけなければならない。父の言葉を借りるなら——知ったような口を利く前に、まず見ること。聞くこと。この手で触れること。

廊下の先、使用人たちが慌ただしく動いているのが見えた。突然の令嬢の帰還に、館全体がざわついている。その喧騒の中を通り抜けながら、私はゲームで一度だけ表示された人物の名前を思い出していた。

ハインツ。老坑夫長。鉱山のことなら隅々まで知り尽くしている、頑固な老人。ゲームでは背景キャラクターに過ぎなかったが——この世界では、あの人が最初の鍵を握っている。

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