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社畜スキルで異世界成り上がり

第28話 第28話

第28話

第28話

夜明けとともに、帝国軍が突撃してきた。

魔導兵器を失った指揮官が、力任せの攻城戦に切り替えたのだ。戦略を捨てて物量で押す。追い詰められた組織が取る最悪の判断。前の世界で見たことがある。プロジェクトが炎上すると、人を増やせば解決すると思い込む管理職。人数が増えるほど混乱が加速する。だが焦った人間は力業に走る。

梯子をかけ、城壁に兵を送り込もうとしている。木と鉄で組まれた梯子が城壁に立てかけられるたび、ギシギシと軋む音がする。兵士が這い上がってくる。冒険者たちが城壁の上から迎撃する。矢。スキル。魔法。怒号と悲鳴が入り混じって、冬の朝の空に響く。鉄と血と土の匂いが風に乗ってくる。

俺は作戦本部に戻っていた。肩の傷をリーナに治療してもらった。止血と簡易な縫合。針が皮膚を通るたびに鋭い痛みが走る。歯を食いしばった。リーナの手は正確だが、麻酔はない。痛い。だが動ける。社畜は痛くても動く。インフルエンザで三十九度の熱があっても出社した。それに比べれば、肩の切り傷くらい——いや、比べるものではない。

「北門の梯子を三本排除。東門は維持。西門に予備隊を回してください」

指揮を続ける。声を出し続ける。城壁の上で戦う冒険者たちの動きを、伝令の報告から把握し、最適な配置を判断する。

帝国軍は三千。だが城壁に取りつけるのは同時に三百程度。守備側は四百五十。局地的には数的優位が確保できる。梯子を排除し続ければ、帝国軍は消耗する。時間は味方だ。

だが——帝国の指揮官も馬鹿ではなかった。

昼過ぎ。北門に新たな部隊が集中し始めた。先頭に——巨大な何か。

「あれは何だ」

伝令が報告を持って駆け込んできた。

「北門前方に大型の戦闘ユニット。魔導兵器ではありません。生物——魔獣です。帝国軍が鎖で繋いで連れてきた」

魔獣。帝国は魔獣を軍事利用している。城壁を破る生物兵器。

「サイズは」

「村の家屋ほど。黒い甲殻——」

心臓が跳ねた。黒い甲殻。大型。四足。

辺境の村を襲った魔獣と同じ種だ。あるいは——もっと大きい個体。あのときは村の柵を壊し、家畜を殺した。今度は城壁を壊しに来る。

体の奥で記憶が蘇った。黒い甲殻。赤い目。暗闇で光る牙。あの夜の恐怖が、今の恐怖と重なる。だが——あのときの俺と今の俺は違う。

「城壁に達したら、通常の武器では止められない。甲殻が硬すぎる」

ヴェルナーが俺を見た。

「レン」

「——わかっています」

掌を見た。紋章が脈打っている。もう温存する段階ではない。

城壁に出た。北門の上。冬の陽光が戦場を照らしている。帝国軍の旗が風になびいている。その最前列に——黒い影が動いていた。

辺境の魔獣より二回りは大きい。城壁の高さに迫る巨体。甲殻が太陽の光を鈍く反射している。赤い目。二つ。こちらを見ている。鎖が何本も体に巻かれているが、前進を止められていない。帝国兵が鎖を引きながら、魔獣を城壁に向けて誘導している。

生きた攻城兵器。

掌を開いた。紋章が白く輝く。制御されている。意志は明確だ。

「剥離」

五百メートル先の魔獣の甲殻に力が走った。だが——弾かれた。

甲殻が剥がれない。距離がある。岩の層と違い、生物の甲殻は有機的な結合で、構造が複雑。遠距離では精度が足りない。

「近づかないと——」

城壁を駆け下りた。北門を開けさせた。門の外に出る。帝国兵の矢が飛んでくる。盾を持った冒険者が両脇を固めてくれた。ガルドだ。Dランク昇格試験で組んだパーティの前衛。

「あんた一人で出るなんて、正気かよ!」

ガルドが叫んでいる。盾を構えた大男の顔が、初めて見る恐怖の色に染まっている。Dランク昇格試験で組んだとき、彼は冷静だった。だがこの状況は試験とは格が違う。

「正気じゃない。でも行く」

門を出た。足が石畳を蹴る。冷たい朝の空気が肺を焼く。視界の端で矢が飛んでいる。帝国兵の怒声が耳に飛び込んでくる。だが足を止めない。

魔獣に向かって走った。二百メートル。地面が震えている。魔獣の歩行の振動だ。百メートル。甲殻の表面が見える。黒い光沢。傷一つない。五十メートル。獣の息遣いが聞こえる。重く、湿った呼吸。口から白い蒸気が噴き出している。体温が高い。獣臭が鼻を刺す。辺境の村で嗅いだのと同じ、酸っぱい獣の匂い。

魔獣の咆哮が空気を震わせた。鼓膜が痛い。腹の底まで響く低周波。辺境の村で聞いたのと同じ。体が竦みそうになる。膝が一瞬震えた。だが——止まらない。怖いが、意志は揺るがない。感情と意志は別だ。ヴォルフが教えてくれた。恐怖は感じていい。だが足は止めない。

掌を魔獣に向けた。至近距離。構造が見える。甲殻の三重構造。外殻、中殻、内殻。辺境の魔獣と同じだが、層が厚い。

「剥離」

今度は——剥がれた。外殻が花弁のように開く。中殻。もう一度。内殻。三度目で、赤黒い筋肉が露出した。

魔獣が絶叫した。甲殻を失い、無防備になった巨体が後退する。城壁の冒険者たちが一斉に矢とスキルを浴びせた。

魔獣が倒れた。地面が震えた。巨体が横倒しになり、砂埃が舞い上がる。

掌が熱い。右手全体が痺れている。連続使用の反動だ。だが暴走していない。制御できている。周囲の地面は無事だ。草一本剥がれていない。辺境の村で暴走したときとは違う。あのときは恐怖で制御を失った。今は恐怖がある。だが意志がある。感情と意志は別だ。

魔獣の巨体が横たわる地面が、血と体液で黒く染まっている。鉄錆のような匂いが鼻を突く。

帝国軍がざわめいた。最後の切り札が倒された。

その瞬間——掌の紋章が共振した。隣から、同じ周波数の波動。

ミラが走ってきた。帝国軍の側から。銀髪が風に流れている。右手の手袋が外れて、紋章が光っている。彼女の欠片が、俺の紋章と共鳴している。

二つの紋章が近づいた。光が増幅した。掌から放たれる力が、倍以上に膨らんだ。ヴォルフが言っていた。「欠片の保有者と共鳴すれば、力は増幅する」。

増幅した力が——帝国軍の指揮官のテントに向かった。俺が向けたのではない。紋章が自動的に「脅威」を検知した。力が勝手に動こうとしている。暴走の予兆。体が覚えている。辺境の村で、制御を失ったあの感覚。

制御。止める。意志で止める。深呼吸。感情と意志を分離する。力を使いたい衝動は感情だ。「今は使わない」が意志だ。

止まった。力が掌の中に収まった。暴走しなかった。指先の震えだけが残っている。

ミラが隣に立っていた。息が荒い。走ってきたのだ。帝国軍の側から、こちら側に。

「私は——自分で選びました」

二度目の同じ言葉。だが今度は、声が震えていなかった。目が真っ直ぐだった。

帝国軍の指揮官が白旗を上げたのは、その十分後だった。白い布が長い竿の先で風に揺れる。降伏の合図。城壁の上から見下ろすと、帝国兵たちが武器を地面に置き始めていた。鎧を脱ぐ者もいる。金属が石畳に当たる音が、降伏の音だ。

ハインツが城壁の上から叫んだ。

「レン! ハインツだ! あの手紙——マルタの手紙のもう一通がある!」

もう一通。マルタが「蓮には渡すな」と言っていたもの。

「後で読む!」

今は戦場の処理が先だ。社畜は後処理を怠らない。プロジェクト完了後のクロージング作業。報告書の作成。教訓の整理。リソースの解放。次に繋げるための記録。戦場でも同じだ。負傷者の搬送。城壁の応急修繕。見張りの配置。帝国軍が再攻撃してこない保証はない。

帝国軍が撤退を始めた。旗が降ろされ、兵が後退していく。来たときの整然とした行軍とは別物だ。隊列が崩れている。負傷兵を担架に乗せて運ぶ者。武器を捨てて走る者。指揮官の怒声が響くが、もう誰も聞いていない。

城壁の上から、冒険者たちの歓声が上がった。ガルドが拳を突き上げている。リーナが泣いている。クルツだけが無表情のまま、帝国軍の撤退を見つめていた。あの男は最後まで冷静だ。

俺は掌を見た。紋章が静かに光っている。制御された光。自分の意志で灯した光。暴走なし。壊れたものは敵の兵器と甲殻だけ。味方に被害はない。

隣にミラが立っていた。銀髪が冬の朝日に白く輝いている。小さな体。大きすぎる軍服。だが目には、もう「命令で動く人間」の色はなかった。

二人の紋章が、穏やかに共振していた。器と欠片。三百年前に引き裂かれた力が、今ここで並んでいる。ヴォルフには叶わなかったことが、今ここで実現している。

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