第14話
第14話
Dランク最初の依頼は、鉱石の採掘だった。
郊外の採掘場。王都から馬車で半日の距離にある露天掘りの鉱山。依頼主は鍛冶ギルドの職人で、特殊な鉱石——マグナ鉄鉱——が欲しいという。問題は、その鉱石が岩盤の奥深くに埋まっていること。通常の採掘では一日がかりで一塊。効率が悪すぎて、鍛冶ギルドが冒険者に外注している。
鉱山に着いた。岩肌が剥き出しの崖。灰色と赤褐色が交互に層をなしている。空気が乾燥していて、鼻の奥がひりつく。鉄の匂いと砕けた石の粉が混じった、鉱山特有の匂い。手で岩壁に触れると、ざらざらした感触と冷たさが指に伝わった。
採掘担当の労働者が三人いた。疲れた顔で俺を見ている。「冒険者が来ても変わらんよ。この岩は硬い」。鶴嘴を振るう腕が太い。毎日この岩と格闘しているのだろう。だが効率は悪い。鶴嘴が岩に当たるたびに、小さな破片が飛ぶだけだ。マグナ鉄鉱は岩盤の芯に近い部分にあるらしく、表層を削っても届かない。
社畜の目で見た。
ボトルネックは明白だ。表層の岩が硬すぎて、鶴嘴では芯まで到達できない。だが芯のマグナ鉄鉱自体は脆い。問題は「硬い殻」を突破する手段がないこと。
——俺の得意分野じゃないか。
掌の紋章が、微かに熱を持った。使えと言っている。ここなら人目も少ない。鉱山の労働者三人だけだ。
ハインツの忠告が頭をよぎる。人前では使うな。だが——これは戦闘じゃない。採掘だ。スキルの戦闘利用と、素材加工は違う。万象剥離を「便利な道具」として使うなら、注目の度合いは低い。はずだ。
掌を岩壁に当てた。
集中する。範囲を限定。深度を表層のみ。岩の構成を感じ取る。層が見える。表層の花崗岩、中間の石灰岩、そして芯のマグナ鉄鉱。三層構造。
「剥離」
表層の花崗岩が、薄い板のように剥がれた。パリッ、と乾いた音がして、岩の表面が一枚のシートのように地面に落ちた。中間層が露出する。もう一度。石灰岩層が剥がれる。
芯のマグナ鉄鉱が姿を現した。赤黒い金属光沢。鶴嘴で何日もかかる作業が、二回の剥離で終わった。
労働者三人が、口を開けて立っていた。
「なんだ、今の」
「……スキルです」
「岩の表面が剥がれた。紙みたいに。こんなことができるのか」
一人が剥がれた花崗岩の薄片を拾い上げた。断面が驚くほど滑らかだ。指で撫でると、ガラスのように平坦。鶴嘴で砕いた場合のギザギザとは全く違う。層の境界面に沿って、綺麗に剥離されている。
薄片を光に透かすと、微かに結晶が見えた。花崗岩の中に含まれた石英の粒が、陽光をキラキラと反射する。破壊ではなく分離。暴力ではなく手術。この精度は——人間の道具では不可能だ。
「これなら鉱石が傷つかない。品質が段違いだ」
そう。剥離は破壊ではない。構成要素を分離する。結合を解くだけで、素材自体は無傷。採掘においては革命的な精度だ。
採掘を続けた。岩壁の別の箇所。同じ手順で表層を剥離し、マグナ鉄鉱を露出させる。三回目には、手順が身体に馴染んでいた。岩の層構造を読み取り、最も効率的な剥離面を選ぶ。まるでスプレッドシートの行を選択してデータを分離するような感覚。デジタルデータの操作と、物理世界の剥離が、頭の中で重なった。
昼食の干し肉を齧りながら、労働者たちと並んで座った。岩の上は冷たいが、直射日光が背中を温めてくれる。空が広い。鉱山は開けた場所にあるから、王都の密集した建物の間では見えなかった空が一面に広がっている。雲が高い。秋の空は深い。
半日で依頼の三倍量のマグナ鉄鉱を採取した。掌の反動は軽い。岩石の剥離は、生物の剥離より格段に楽だ。有機物より無機物の方が構造が単純で、エネルギー消費が少ない。なるほど、対象の複雑さによって消耗が変わるのか。データが増えた。
鍛冶ギルドに鉱石を届けた。職人が目を丸くした。
「この品質は——断面が完璧だ。割れも欠けもない。どうやって採った?」
「特殊なスキルで」
「スキル名は?」
迷った。だが鍛冶ギルドの職人に戦闘スキルの名前を言ったところで、意味は伝わらないだろう。
「剥離系のスキルです。詳細は——営業秘密ということで」
営業秘密。前の世界の用語が口をついた。職人はピンと来なかったようだが、「秘密か。まあいい。また頼む」と言って報酬を払った。通常の三倍量なので、報酬も増額された。
ギルドに戻って報告書を出した。受付嬢がいつものように内容を確認し——そして、目を上げた。
「レンさん。鍛冶ギルドから追加の依頼が来ています。同じ鉱山で、定期的に採掘してほしいと」
「指名依頼ですか」
「はい。Dランクで指名が入るのは珍しいです」
指名。個人の能力を認められて、名指しで仕事が来る。フリーランスの営業が軌道に乗る瞬間だ。前の世界では、こういう状態を「引き合いが来る」と言った。
嬉しい。素直に嬉しい。だが同時に、ハインツの忠告が耳に蘇る。「力の使い方を間違えるな」「この街には目が多い」。
スキルを使った。採掘とはいえ、人前で使った。労働者三人が見ていた。鍛冶ギルドの職人にも伝わった。「剥離系のスキル」という情報が、ギルドの外に出た。
噂は、水のように低いところに流れる。
翌日、ギルドの酒場で耳にした。
「おい、聞いたか。Dランクの新人が、岩を紙みたいに剥がすらしいぞ」
「剥がす? どういう意味だ」
「鉱石の採掘で使ったんだと。表面を一枚ずつ剥がすスキル。鍛冶ギルドが大喜びしてる」
「剥がす、か。剥離屋だな」
剥離屋。
噂は想像以上の速度で広がった。翌日には別の鍛冶師からも問い合わせが来た。翌々日には採掘業者の組合から見積もり依頼が届いた。そのまた翌日には、大迷宮の探索パーティから「壁を剥がして隠し通路を見つけられないか」という変わった相談まで来た。
そのあだ名は、三日で王都中のギルド関係者に広まった。
二つ名が付いた。Dランクで二つ名が付くのは異例だとハインツが言った。声に喜びはなかった。むしろ、渋い顔をしていた。
「目立ったな」
「すみません」
「謝るな。仕事をしただけだ。だが——これで北の耳にも届いただろう」
ハインツがギルドの窓から外を見ている。秋の陽光が石畳を照らしている。通りを行き交う人々の中に、ギルドの建物を見上げている男が一人いた。旅装束ではない。上質な外套を纏っている。顔は見えないが、視線がこちらに向いている気がした。
「あの男——」
「北の大国、エルドヴァイン帝国の情報員だろう。最近、王都に増えている」
ハインツの声が低くなった。
「特異スキルの保有者を確保するのが、あの国の国策だ。お前の『剥離屋』の噂が届けば、動きは加速する」
情報員。前の世界で言えばスパイ。いや、もっと実務的な——ヘッドハンターか。能力のある人材を探して、引き抜くか排除するか。企業の人材獲得競争と本質は同じだ。ただし、断った場合のリスクが桁違いに高い。
「俺はどうすれば」
「今すぐどうこうはない。だが、単独行動は控えろ。夜は出歩くな。依頼は信頼できるパーティで受けろ」
セキュリティの強化。リスク管理の基本。だが、制約が増えるということは、自由が減るということだ。
宿に戻る途中、夕暮れの大通りを歩いた。石畳に映る自分の影が長い。「剥離屋」の噂はすでに酒場のあちこちで聞こえた。すれ違う冒険者が俺を見て、何か囁いている。注目されている。
酒場の前を通ったとき、中から声が聞こえた。「あの剥離屋ってやつ、Dランクなのに二つ名持ちだぜ」。別の声が応じる。「まだ若いのにな。羨ましい話だ」。羨望と嫉妬が混じった声。前の世界でも聞いたことがある。若くして案件を任された後輩に向けられる、先輩たちの複雑な視線。
注目は双刃の剣だ。
前の世界で、俺は注目されなかった。透明人間だった。残業の量だけは目立ったが、人としては見えていなかった。それが楽だった。楽だったが、空虚だった。
ここでは違う。「剥離屋」として認知されている。名前がある。役割がある。だが同時に——狙われている。
掌の紋章が疼いた。使えば使うほど、注目が集まる。注目が集まれば、リスクが上がる。だが使わなければ、ただの社畜だ。効率的な段取り屋。それだけでは——。
それだけでは、何だ。
マルタの声が耳の奥で響いた。「自分で決めて、使いな」。
まだ決められていない。力を使うのか隠すのか。注目を受けるのか避けるのか。
決められないまま、宿の部屋に戻った。窓を開けると夜風が入り込む。冷たい。冬が近い。
掌を見た。紋章の線が、ランタンの光に微かに浮かんでいる。
この力と、どう生きるか。答えはまだ出ない。
だが一つだけ確かなことがある。答えを先延ばしにしている間にも、世界は動いている。北の大国は動いている。そして俺の掌の中の力も、静かに脈打ち続けている。
答えを出す前に、答えが向こうからやってくる予感がした。