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偽物聖女と孤高の第三皇子

第1話 第1話

第1話

第1話

光が、私を飲み込んだ。

それは祈りでも願いでもなく、唐突に訪れた。足元から這い上がるように白い光が全身を包み、次の瞬間には重力を失っていた。落ちているのか昇っているのかもわからないまま、耳の奥で高い音が鳴り続けていた。金属を擦り合わせるような、あるいは遠くで鐘が割れるような音。視界が白に塗り潰され、自分の手すら見えなくなった。身体の輪郭が溶けていく感覚があった。恐怖よりも先に、諦めに似た静けさが胸を満たしていた。抗いようがないものに抗っても仕方がない——そんな、妙に冷めた思考を最後に、私の意識は途切れた。

目を開けたとき、最初に見えたのは天井画だった。翼を広げた女神が、金箔の光輪を纏い、見下ろしている。女神の瞳は青く、その青さは慈悲というよりも審判に近い色をしていた。金箔は所々剥がれかけており、そのわずかな劣化が、この場所の途方もない古さを物語っていた。石造りの広間には香の煙が細く昇り、その甘さが鼻の奥にまとわりついた。白檀に似ているが、もっと重い。肺の底まで染み込んでくるような、逃げ場のない甘さだった。冷たい床の感触で、自分が仰向けに倒れていることに気がついた。背中から伝わる石の冷気が、薄い衣服を通して骨に届いていた。

「——お立ちなさい」

老いた声が降ってきた。白い法衣を纏った老人が、杖を突きながら私を見下ろしていた。深い皺が顔中に刻まれ、眉は白く、顎に蓄えた長い髭もまた白い。法衣の裾は金糸で縁取られており、その衣装だけで相応の地位にある人物だと察せられた。その目に温かみはない。品定めをするような、値踏みの視線だった。市場で果実を手に取り、傷がないか確かめるような——そういう種類の目だった。

身体を起こすと、広間には十数人の人影があった。中央に据えられた祭壇を囲むように、五人の少女が並んでいる。揃いの白い聖衣を纏い、胸元には淡く発光する紋章——聖印、というものらしかった。紋章は一人ひとり微かに異なる形をしており、あるものは翼、あるものは花、あるものは星の意匠を帯びていた。聖印の光は呼吸するように明滅し、それが生きている証のように見えた。少女たちの視線が一斉にこちらへ向いた。好奇と、それからほんの少しの警戒。一人が隣の少女の袖をそっと引き、耳元で何か囁いた。その声は届かなかったが、唇の動きが「異世界」という言葉を形作ったように見えた。

「六人目の聖女候補か」

誰かが呟いた。候補。その言葉の意味を、私はまだ正しく理解していなかった。

鑑定儀式、と呼ばれるものが始まったのは、それからわずかな時間の後だった。

祭壇の中央に置かれた水晶球に手を触れると、聖女としての資質が示されるのだという。老神官がそう説明する声は淡々としていたが、広間の空気は厳粛な緊張を帯びていた。壁際に並んだ神官たちは一様に背筋を伸ばし、候補の少女たちの顔にも覚悟のような表情が浮かんでいた。正規の候補たちが順番に水晶に触れるたび、広間は柔らかな光で満たされた。あるものは白銀、あるものは淡い碧。光が灯るたびに天井画の女神が照らし出され、金箔がきらめいた。神官たちが頷き、候補の少女たちは安堵の息を漏らしていた。

五人が終わり、私の番が来た。

老神官が顎で促す。祭壇に近づくと、足音だけが広間に響いた。石の床を踏む自分の足音が、やけに大きく聞こえた。十数対の目が私の背中に集まっているのがわかる。その重さに、肩が強張った。水晶球は私の顔ほどの大きさで、内側から霧がかかったように白く濁っている。指先を伸ばした。冷たかった。氷よりもなお冷たい、生き物の体温を拒むような冷たさだった。触れた瞬間、指の感覚が消えた。まるで水晶が私の熱を吸い取っているかのように、冷気が指先から手首へ、手首から肘へと這い上がってきた。

何も起こらなかった。

一秒、二秒。広間の空気が変わっていくのがわかった。先ほどまで光に満ちていた空間が、今は沈黙に満ちている。五人の候補が灯した光の残像が、かえって水晶球の暗さを際立たせていた。神官たちの間にざわめきが広がり、候補の少女たちが顔を見合わせる。私は水晶球に触れたまま、その沈黙を聞いていた。心のどこかで、もう少し待てば光るかもしれないと思っていた。三秒、四秒。五秒。水晶球は私の手の下で、墓石のように黙りこくっていた。

「——反応なし」

老神官の声は平坦だった。しかしその平坦さのなかに、失望すらないという事実が、私の胸を抉った。期待されてすらいなかったのだ。驚きもなく、落胆もなく、ただ予想通りの結果を記録するような声だった。

「聖印は沈黙している。この者に聖女の資質はない」

宣告が広間に響き渡った。天井画の女神が、その言葉を見届けているようだった。

くすり、と笑い声が聞こえた。振り返ると、候補のひとりが口元を手で隠している。目だけが笑っていた。哀れみではない。優越だった。自分たちとは違う、紛い物がここに立っているという事実への、隠しきれない愉悦。その隣の少女は視線を逸らしていた。関わりたくないという態度が、嘲笑よりもなお鮮明に、私の立場を突きつけていた。

「偽物よ」

誰が最初に言ったのかはわからない。けれどその言葉は、水面に落ちた石のように広間に波紋を広げた。偽物。偽物。囁きが重なり、やがて空気そのものになった。

私は水晶球から手を離した。指先がかすかに震えていた。何か言い返せばよかったのかもしれない。けれど反論するための材料を、私は何ひとつ持っていなかった。聖印は沈黙した。それが事実であり、事実の前では言葉は無力だった。唇を噛んだ。痛みだけが、今ここに自分が存在していることを証明する唯一の感覚だった。

広間を出されるとき、背中に刺さる視線の数を数えるのはやめた。

与えられたのは、神殿の東棟にある小さな部屋だった。石壁に囲まれた六畳ほどの空間に、寝台と机と椅子がひとつずつ。寝台のシーツは清潔だったが、角が擦り切れており、長く使われていない部屋であることが知れた。机の上には燭台が一本だけ置かれ、その蝋燭の炎が壁に揺れる影を落としている。窓はあったが高い位置にあり、背伸びをしなければ外は見えない。扉の外には見張りが立っていた。軟禁、という言葉が頭をよぎったが、それを否定する材料もまた、なかった。

最初の夜は、眠れなかった。

寝台の上で膝を抱え、天井を見つめていた。石の天井にはひび割れが走っており、その模様を目で辿ることだけが、時間を過ごす手段だった。この世界に来る前の記憶は曖昧だった。名前は覚えている。自分が何者だったかも、おぼろげには。けれど「なぜ召喚されたのか」という問いに対する答えだけが、ぽかりと抜け落ちていた。聖女としての資質がないのなら、なぜ私はここにいるのだろう。

必要とされたから呼ばれたのだと、そう思いたかった。けれど聖印の沈黙は、その希望を根元から断っていた。水晶球に触れたときの、あの拒絶するような冷たさを思い出す。あれは「不合格」というよりも「無関係」という宣告だった。存在を否定されたのではなく、そもそも認識されなかった。それがどれほど深く人を傷つけるものか、きっとあの神官たちは知らない。

何日目かの夜だった。

眠れずに寝台を降り、椅子を窓の下に運んで、外を覗いた。見えたのは中庭だった。月明かりが石畳を青白く照らし、刈り込まれた植栽が影を落としている。静かだった。神殿の喧騒は遠く、虫の声すら聞こえない。夜気は冷たく、窓枠に置いた指先がすぐにかじかんだ。

その静寂のなかに、かすかな音が混じった。

風を切る音。規則的で、けれどどこか切迫した響き。目を凝らすと、中庭の隅にひとりの人影があった。剣を振っている。月光を受けて銀色に光る刃が、弧を描いては空を裂く。繰り返し、繰り返し。まるで何かを振り払うように。刃が空気を断つたびに、鋭い呼気が夜に溶けていく。その呼吸には余裕がなかった。鍛錬というよりも、何かへの抵抗に見えた。

青年だった。私と同じくらいか、少し年上だろうか。遠目にも整った所作だとわかる。剣を振る軌道に無駄がなく、足運びは正確で、身体の芯がぶれない。おそらく幼い頃から剣を握ってきた人間の動きだった。けれど美しさよりも先に目を引いたのは、その横顔に浮かぶ表情だった。

孤独、というのとも少し違う。誰かに向けているのではない怒りのようなもの。あるいは、怒りの形をした悲しみ。それが月光に照らされて、影のように顔に貼りついていた。

息を止めた。

私はその表情を知っていた。鑑定儀式の広間で、「偽物」と呼ばれたときの自分の顔を、もし鏡で見ていたなら——きっとこんな顔をしていただろう。

どこにも属せない者の顔だった。

青年の剣が止まった。ふと顔を上げ、こちらを——私の窓を、見上げるような動きをした。

反射的に身を引いた。心臓が跳ねていた。背中が壁にぶつかり、小さな音が部屋に響いた。見られただろうか。暗がりのなかの小さな窓だ、おそらくは気づかれていない。けれど椅子の上で膝を抱え直しながら、私は自分の鼓動がなかなか収まらないことに気がついていた。耳の奥で血の巡る音がして、頬が熱かった。

触れてはいけない。あの人が誰であれ、今の私が関わるべき相手ではない。偽物と断じられた召喚者が、神殿の窓から誰かを見つめるなど——それがどれほど滑稽なことか、わかっていた。わかっていて、それでも目を閉じると、銀色の刃の軌跡がまぶたの裏に焼きついていた。

それでも翌日の夜も、私は椅子を窓の下に運んでいた。

中庭に、あの剣の音が聞こえることを祈りながら。

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