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呪いの令嬢は処刑台で予言する

第16話 第16話「母の日記」

第16話

第16話「母の日記」

# 第16話「母の日記」

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破られた日記の全頁を取り戻すのに、リオンの力が必要だった。

セレスティアの書斎に忍び込むのは不可能に近い。王宮付き星詠みの私室には、星詠みの術式による封印が施されている。通常の鍵とは比べものにならない強固さだ。けれど、セレスティアが議会に出席している間なら——書斎は空になる。リオンが衛兵の交代時間を調べ、わたくしが書斎の鍵を開けた。星紋が鍵穴に触れると、星詠みの術式で封じられた錠がかちりと回った。金属が動く小さな音が、静まり返った廊下に響いた。鍵を開ける瞬間、右手の星紋がじくりと痛んだ。同じ星詠みの術式が、わたくしの体を通じて共鳴したのだ。

リオンが廊下の角で見張りをしている。壁に背を預け、腕を組んでいる。彼の背中が石壁に影を落としていた。赤毛が廊下の松明に照らされて、暗い銅色に光っている。振り返りもしない。けれど、彼がそこにいるという事実だけで、わたくしの手の震えが少し収まった。

書斎の中は整然としていた。黒いカーテン、黒い机、黒いインク壺。棚に並ぶ書物は、すべて星詠みの記録だった。部屋の空気は冷たく、乾いていた。窓を閉め切った部屋特有の澱んだ空気。けれどその中に、微かに花の残り香が混じっていた。薔薇だろうか。セレスティアもまた、花を部屋に飾るのだろうか。そう思うと、この冷たい部屋が少しだけ人の住む場所に見えた。

そして——母の日記の原本が、引き出しの奥に眠っていた。引き出しを開けたとき、古い紙と革の匂いが立ち上った。母の日記帳の隣に、小さな銀色のブローチが置かれていた。母のものだろうか。それともセレスティアが母から受け取ったものか。触れなかった。今は日記だけが必要だ。

セレスティアがわたくしに渡した四枚は写しだった。原本には、もっと多くのことが書かれていた。

母の日記の全容。

最初の頁から通して読んだ。母が星詠みとしての力に目覚めたのは十五歳。わたくしの祖母から直接訓練を受けた。セレスティアとは同期の弟子だった。二人は親友であり、ときにはライバルだった。母の筆致はセレスティアの名前が出るたびに少し柔らかくなっていた。インクの濃さが均一になり、文字の間隔が広がる。心が穏やかなときの書き方だった。

母の記述で重要だったのは、銀盤についての考察だった。

『銀盤を鏡として使うのは安全だが、限界がある。映すだけでは流れを変えられない。けれど、始祖エレーヌが言う「糸車」としての使い方を試みると、銀盤が光を発し、手のひらに紋様が浮かぶ。これが「代償」の始まりだとは、このとき知らなかった』

さらに読み進めた。母はある発見をしていた。文字が小さくなり、行間が狭くなっている。興奮して書いた跡だ。

『銀盤には二つの層がある。表面の銀層(鏡)と、その下の金層(扉)。通常、銀層だけが機能しており、金層は封じられている。銀層を意図的に傷つけると、金層が露出する。金層に触れた瞬間、銀盤は鏡から扉に変わる。けれど、わたくし一人では扉を開ききれなかった。力が足りない——いや、手が足りない。紡ぐには、二人の手が要る』

始祖の手記と同じ結論。母も気づいていた。けれど、母には「糸の片方を持つ者」がいなかった。セレスティアは星詠みの同業者であって、糸を持つ側ではなかった。二人とも糸車を回す手しか持っていなかった。

日記の終盤。母の筆跡が変わっていた。丸みのある文字が、角ばった急ぎの文字に変わっている。時間がなかったのだろう。

『アイリーンが生まれた。わたくしの小さな星。この子の瞳は淡い紫——星詠みの血が、どの子供よりも強い。銀盤がアイリーンの産声に共鳴して光った。わたくしは悟った。この子は、わたくしを超える星詠みになる。ならば——わたくしが見つけられなかった「扉の開け方」を、この子なら見つけるかもしれない。けれど、そのためにはこの子が星詠みの道を歩むことになり、代償の危険に晒される。それは避けたい。だから、銀盤に制御装置を仕込む。力を抑え、鏡としてだけ機能するように。もし将来、この子が扉を開く覚悟を持ったなら——制御は自ら解けるはずだ。わたくしの血が流れている限り』

わたくしは日記から顔を上げた。右目の視界が灰色に翳っている中で、左目だけで母の文字を追い続けていた。目が熱い。涙ではない。長時間の読書で疲労した目の熱さだ。けれど、胸の奥はそれ以上に熱かった。

銀盤に制御装置が仕込まれている。母がわたくしを守るために、力を封じた。だからわたくしの銀盤は、ずっと鏡としてだけ機能していた。わたくしが「見る」ことしかできなかったのは、力が足りないからではなかった。母が、わたくしの力を意図的に制限していたのだ。

守るために。壊れさせないために。母は自分の命を犠牲にしながら、最後の力でわたくしの銀盤に鍵をかけた。

「アイリーンさま。時間です」

リオンが廊下から声をかけた。低い声。緊張を含んでいたが、落ち着いていた。わたくしは日記の重要な頁を記憶に焼きつけ、原本を引き出しに戻した。銀色のブローチが、日記帳の隣で光っていた。

書斎を出た瞬間、銀盤が懐の中で光った。一瞬だけ、強く。衣服越しに金色の光が漏れ、廊下の石壁にちらりと反射した。母の制御装置が——揺らいだように。母の日記を読んだことで、わたくしの中の何かが変わった。覚悟が一段、深くなった。母が遺した鍵が、それに応えたのかもしれない。

「銀盤が、光りましたわ」

「見えました。星紋が——」

リオンが、わたくしの右手を見た。星紋が、一瞬だけ薄くなった。首筋まで広がっていた紋様が、ほんの一瞬、手首まで後退した。銀色の模様が肌の上を波のように引いていき、肩から腕へ、腕から手首へ。まるで潮が引くように。

「消えた……?」

すぐに戻った。星紋は再び首筋まで広がっている。けれど、一瞬の変化は確かにあった。リオンも見ていた。碧眼が大きく見開かれている。

「母の制御装置が反応した。銀盤の中の金層が、一瞬だけ露出したのだと思いますわ」

「つまり——」

「銀盤を鏡から扉に変えることは、可能。わたくしの中に、その鍵がある。あとは——」

あとは、扉を開ける方法を見つけること。そして、糸の片方を持つ者と共に、紡ぐこと。鍵は見つかった。あとは扉の前に立つだけ。

リオンが、わたくしの右手を軽く握った。火傷の跡に銀色が走った。今回は、銀色ではなく、かすかに金色が混じっていた。

「必要なら、私がその片方になります」

「……知っていますわ」

離宮への帰り道、わたくしは銀盤を胸に抱いた。銀面の奥に、金色の光が微かに、けれど確かに、脈打っていた。母の制御装置の光ではない。その奥にある、扉そのものの光。母が見つけ、けれど開けなかった扉。

夕暮れの空が、西から東へ色を変えていた。茜色から紫へ、紫から藍へ。右目では空の半分しか見えない。けれど、左目で見る半分の空は、どこまでも広かった。

離宮に戻ると、ルルが夕食の支度をして待っていた。テーブルの上にスープとパンが並んでいる。パンの焼きたての匂いが、書斎から持ち帰った古い紙の匂いを上書きした。

「お嬢さま。お出かけの間に、お部屋のお花を替えておきました」

「ありがとう、ルル」

食卓について、スープを一口飲んだ。温かい液体が喉を通り、胃に落ちた。体が温もりを求めていたことに、飲んで初めて気づいた。右半身の冷たさが、スープの温もりと拮抗する。わずかに、温もりが勝った。

食事をしながら、母の日記の内容を頭の中で整理した。銀盤の二層構造。銀層と金層。鏡と扉。母が仕込んだ制御装置。わたくしの覚悟が鍵になる。

覚悟。その言葉の重さが、スープの温もりと共に体に染み込んでいく。母は覚悟を持って予言を書き換え、命を失った。わたくしにも覚悟はある。けれどわたくしの覚悟は、母のものとは違う方向を向いている。母は一人で死ぬ覚悟をした。わたくしは——二人で生きる覚悟をする。

銀盤が懐の中でまた微かに光った。衣服越しに金色の光が漏れ、テーブルの上のスープの水面に反射した。ルルが目を丸くした。

「お嬢さま、お胸のあたりが光って——」

「大丈夫ですわ。銀盤が少し、機嫌がいいだけです」

機嫌がいい、という表現は正確ではなかったが、ルルには通じたらしい。くすっと笑って、二杯目のスープをよそってくれた。

夕食を終え、自室に戻った。金盤を机の上に置いた。金色の光がまだ脈打っている。以前より確かに、強くなっている。母の制御装置が揺らいだ一瞬から、金盤の中の何かが目覚め始めている。

リオンが星紋に触れたとき、痛みが和らぐ。リオンの火傷に金色が走る。そしてわたくしの覚悟に銀盤が応える。すべてのピースが、少しずつ揃いつつある。

あとは——扉を開く日が来るのを、待つだけだ。

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