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偽聖女は寡黙な騎士に見抜かれる

第1話 第1話

第1話

第1話

光が、私を飲み込んだ。

それは祈りの光だと、後になって誰かが教えてくれた。けれどあの瞬間、私が感じたのは祝福ではなかった。視界を焼く白い閃光と、足元が消える浮遊感。身体の輪郭が溶けていくような感覚があって、自分がどこにいるのか、自分が何なのかさえ分からなくなった。悲鳴を上げる間もなく意識が途切れて、次に目を開けたとき、私は冷たい石の床に横たわっていた。

頬に触れる石の冷たさが、最初に感じたものだった。指先で床をなぞると、滑らかに磨かれた大理石の感触が返ってくる。身体が重い。まるで長い長い眠りから覚めたばかりのように、四肢に力が入らなかった。

天井が高い。見上げた先に、幾何学模様のステンドグラスが連なっている。色とりどりの光が降り注ぐその場所は、どこかの大聖堂のようだった。空気が違う。肌に触れる風の匂いが、知っているどの季節とも違う。甘い香の煙と、古い石と、それから——花。見たことのない青い花の香りが、微かに漂っていた。

「聖女様が……聖女様がお目覚めになられた!」

誰かの叫びが反響した。高い天井に跳ね返った声が何重にも重なって、耳の奥で鐘のように響く。起き上がろうとする私の周りに、白い法衣を纏った人々が次々と膝をつく。涙を流している者もいた。何が起きているのか分からないまま、私は自分の右手の甲に目を落とした。

淡い光を放つ紋様が、そこに刻まれていた。

「聖女の証にございます」

白髪の老人が——後に神官長と呼ばれる人が——震える声で言った。皺だらけの手を組み合わせ、その指の先が白くなるほど強く握りしめている。

「百年に一度、異界より召喚される救い手の証。どうか、どうかこの国をお救いください」

周囲の熱気が、肌を刺すようだった。期待に満ちた無数の瞳が、私だけを見ている。聖女。救い手。この手の紋様が、その証だという。

けれど私は知っていた。この手に宿る力など、何ひとつないことを。

紋様が刻まれた瞬間から、私は何度も念じてみた。祈ってみた。光よ、と心の中で叫んでもみた。目を閉じ、息を止め、紋様に意識を集中させて、身体の奥底に眠っているはずの何かを必死に探った。血管を流れる血の音だけが耳に響いて、指先には自分の脈拍の振動しか感じられない。何も起きない。指先はただの指先で、この紋様は美しいだけの模様に過ぎなかった。

それでも——泣きながら手を合わせる人々の前で、「私には何の力もありません」とは言えなかった。老人の瞳に浮かぶ涙を見たとき、喉の奥に言葉が詰まって、私はただ曖昧に頷くことしかできなかった。

神殿の大広間で行われた歓迎の儀は、三刻にも及んだ。

私は用意された純白の祭服に身を包み、玉座のような椅子に座らされ、ひたすら微笑んでいた。祭服の布地は見たことのない織りで、肌の上を水が流れるように滑らかだったが、その軽さとは裏腹に、纏っているだけで肩が軋むほど重く感じられた。次から次へと貴族や神官が挨拶に訪れ、私の手に口づけをし、涙混じりの感謝を述べていく。右手の紋様を見るたびに彼らの目が輝くのが、申し訳なくてたまらなかった。

「聖女様、お加減はいかがですか」

侍女のマリエットと名乗った少女が、私の隣に控えていた。栗色の髪を丁寧に編み込んだ、年の頃は私と同じくらいの娘だ。

「大丈夫、少し疲れただけ」

「まあ、それはそうでございますわ。異界からいらしたばかりですもの」

マリエットは労るように私の肩に薄い上掛けをかけてくれた。その布の柔らかさに、不意に泣きそうになる。ここでは誰もが私に優しい。聖女だから。この手の紋様があるから。

もし、この紋様がなかったら。力がないと知れたら。この優しさは、一瞬で消えるのだろう。

「リーネ様、ひとつお伝えしなければならないことが」

マリエットが少し声をひそめた。

「本日より、護衛の騎士がお側に付くことになっております。騎士団より選任された方で——あ、いらっしゃいました」

大広間の入口から、ひとりの騎士が歩いてきた。

銀灰色の髪を短く切り揃えた、長身の男だった。黒を基調とした騎士服は他の騎士たちの白銀の鎧とは異なり、どこか影を纏うような印象を与える。年は二十代の半ばだろうか。端正な顔立ちではあったが、その表情には温度というものが見当たらなかった。広間を横切る足音は驚くほど静かで、あれだけの体躯でありながら、まるで床に触れていないかのようだった。

彼は私の前で片膝をつき、右手を胸に当てた。

「騎士セルディス。本日より聖女様の護衛を拝命いたしました」

声は低く、平坦だった。儀礼的な言葉に、儀礼以上の感情は何も乗っていない。

「よろしくお願いします、セルディス」

私が笑顔で答えると、彼は顔を上げた。

その瞬間、息が止まった。

青灰色の瞳が、まっすぐに私を見ていた。冷たい、というのとは少し違う。温かくないのではなく、余計なものを一切含まない目だった。まるで硝子の向こう側から覗くように、私の表情を、仕草を、笑顔の裏側を、静かに観察している。

——見られている。

頬の筋肉がひきつるのを感じた。笑顔が、わずかに強張った。慌てて口角を持ち上げ直す。大丈夫、誰にもばれていない。神官たちも、貴族たちも、マリエットも、誰もが私を聖女と信じている。

けれどセルディスの瞳は動かなかった。値踏みするでもなく、疑うでもなく、ただ——見ている。私が纏っている「聖女」という衣の、その布地の薄さを測るように。

「聖女様」

立ち上がった彼が言った。

「お側に控えてもよろしいでしょうか」

「え、ええ。もちろん」

声が裏返りそうになるのを堪えた。セルディスは一礼すると、私の斜め後ろに立った。背後に気配がある。呼吸の音さえ聞こえないほど静かなのに、その存在だけが妙に重い。影に見下ろされているような圧が、背骨に沿ってじわりと広がっていく。

歓迎の儀の残りの時間、私は懸命に聖女の顔を保ち続けた。頬の筋肉が痛くなるほど微笑み、差し出される手を取り、ありがとうございますと繰り返した。けれど背中にはずっと、あの硝子のような視線が貼りついていた。

夜になって、ようやく一人きりになれた。

与えられた部屋は神殿の最上階にある広い居室で、天蓋付きの寝台も、銀の燭台も、何もかもが聖女のためにしつらえられたものだった。燭台の炎が揺れるたびに、壁に刻まれた浮き彫りの聖人たちの影が伸び縮みして、まるで息をしているように見える。窓の外には見知らぬ星座が広がっている。月がふたつあった。大きな白い月と、寄り添うように浮かぶ小さな青い月。

私はその月明かりの中で、右手の紋様をじっと見つめた。

聖女の証。百年に一度の救い手の証。なのに祈っても、念じても、何も起きない。この手はただの手だ。明日も明後日も、私は笑って祈りを捧げ、何も起こせないまま、嘘を重ねていく。

元の世界に帰る方法は、誰に聞いても分からなかった。召喚は一方通行だと、神官長は申し訳なさそうに言っていた。帰れない。力もない。この世界で「聖女」として生きるしか、道がない。

涙が一筋、頬を伝った。温かいそれが顎の先から落ちて、手の甲の紋様の上に小さな染みを作った。紋様は涙を吸い込むでもなく、光を強めるでもなく、ただそこにあった。何の反応もない。やはり、ただの模様だ。

そのとき、廊下にかすかな足音が聞こえた。規則正しく、けれど限りなく静かな足音。部屋の前で止まり、そのまま動かなくなる。

扉の向こうに、セルディスがいる。分かった。あの気配を、もう身体が覚えてしまっている。

——この人にだけは、嘘がばれる。

根拠のない確信が、胸の奥に冷たく沈んだ。あの硝子の瞳が、闇の向こうから私を見ている気がして、私は音を立てないように涙を拭い、寝台に潜り込んだ。掛け布の中で膝を抱え、自分の体温だけを頼りに身体を丸める。知っている匂いがどこにもない。洗剤の香りも、自分の部屋の空気も、何もかもがここにはなかった。代わりに香の残り香と石の匂いが肌にまとわりついて、ここが帰る場所ではないのだと、何度でも思い知らせてくる。

眠れるはずがなかった。けれど目を閉じた。聖女はきっと、こんなふうに怯えたりしない。だから私も怯えていない顔で、明日を迎えなければならない。

窓の外で、青い月が静かに傾いていく。その光が右手の紋様をほのかに照らし、まるで嘲笑うように、淡く、淡く、瞬いていた。

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