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鉄槌の雨、父の渇望

第3話 第3話

第3話

第3話

暗闘の中を走る。コンテナの壁が左右から迫り、肩が金属の角に当たるたびに鈍い衝撃が走った。足元は水溜まりとボルトの残骸。視界はゼロに近い。錆びた鉄の匂いが鼻腔を突く。雨に濡れた金属と、自分の血の匂いが混じり合って区別がつかない。だが蓮は壁に触れる指先の感覚だけを頼りに、迷路の奥へ進んだ。

背後の足音が二手に分かれた。挟み撃ちにくる。コンテナの配置を読め。搬入口があったということは、ここはコンテナターミナルの仮置き場だ。通路は格子状。袋小路が多いが、必ず外周に抜けるルートがある。

蓮は右に折れ、すぐに左に折れた。足音が一瞬迷う気配。追手の連中はこの迷路の構造を完全には把握していない。地の利は互角か、わずかにこちらが上だ。戦場で市街戦を何度もやった。暗闇の閉所で動くことに、蓮の体は慣れている。

コンテナの隙間から夜空が覗いた。外周が近い。蓮は速度を上げた。三歩先に光。フェンスの向こうに港湾道路の街灯が見える。フェンスは高さ二メートル。有刺鉄線なし。蓮は助走をつけて跳び、上端を掴んで体を引き上げた。左手の傷が悲鳴を上げる。布が血で重い。指の間から生暖かい液体が滴り、金属のフェンスを伝って落ちた。構わず乗り越え、反対側に着地した。

港湾道路。片側二車線。深夜三時半。車はまばらだが、ゼロではない。蓮は道路を横断し、対岸の倉庫の影に身を隠した。追手がフェンスを越えてくるまでに数十秒の猶予がある。

その猶予で何をする。考えろ。

車が要る。この場から離脱し、かつ追手を振り切れるだけの機動力。蓮は道路の先に目を凝らした。百メートル先、路肩に一台のトラックが停まっている。荷台に幌。エンジンはかかっていない。だがキャビンの窓が開いている。運転手が仮眠中か。

駄目だ。トラックでは加速が足りない。

反対方向に目をやった瞬間、フェンスの向こうで金属が軋む音。追手が来る。蓮は判断を切り替えた。倉庫の裏手に回る。そこに駐車スペースがあるはずだ。港湾作業員の通勤車両が停まっている可能性がある。

読みは当たった。倉庫の裏手に砂利敷きの駐車場。車が五台。蓮は手前から確認する。施錠。施錠。三台目——古い白のセダン。窓がわずかに開いている。蓮は指を差し込み、ロックを外した。運転席に滑り込む。車内に残る煙草と芳香剤の混じった匂い。ステアリングコラムのカバーを外し、配線を引き出す。イグニッション線とスターター線を接触させる。セルが回り、エンジンが震えながら目を覚ました。

ヘッドライトは点けない。ギアを入れ、砂利を蹴立てて駐車場を出た。港湾道路に合流する。バックミラーを確認。まだ追手の車両は見えない。だが時間の問題だ。コンテナ区画の外にも車を配置しているはずだ。

蓮は港湾道路を西に走った。市街地に向かう。湾岸線の高架に乗れば選択肢が広がる。制限速度を無視してアクセルを踏む。古いセダンのエンジンが唸る。メーターが百二十を指したあたりで加速が鈍った。これが限界だ。

バックミラーに光が現れた。

二つ。高速で接近してくる。蓮は歯を食いしばった。やはり来た。しかも速い。セダンの最高速を上回るペースで距離を詰めてくる。高性能車だ。このまま直線で逃げ切るのは不可能。

前方に湾岸線の合流ランプが見えた。蓮はウインカーも出さずにランプに飛び込んだ。急カーブ。タイヤが路面を引っ掻く音。車体が外側に膨らみ、ガードレールまで十センチ。蓮はカウンターを当て、加速しながらカーブを抜けた。

本線合流。片側三車線。深夜でも長距離トラックが断続的に走っている。蓮は第二車線に入り、前方のトレーラーの背後についた。追手から姿を隠す。ミラーで確認。二台の追手がランプを上がってくる。黒い車体。見覚えがある。さっきの包囲に使われていた車種と同型だ。

追手の一台が第三車線に出た。蓮を探して加速している。もう一台は第一車線を低速で流し、蓮が減速して降りるのを警戒している。挟み撃ちの変形。高速道路の上でも同じ戦術を使う。

蓮はトレーラーの陰から飛び出し、第三車線に車線変更した。追手の車が即座に反応する。加速。距離が詰まる。蓮は前方を読んだ。三百メートル先にトンネルの入口。トンネル内は照明が暗い。その手前に追い越し車線から本線への合流地点がある。

蓮はブレーキを踏んだ。急減速。追手のドライバーが反応する。だが車間が近すぎた。追手は急ブレーキか車線変更かの二択を強いられる。ブレーキを選んだ。タイヤのスキール音が高架に反響する。

その隙に蓮は第一車線に飛び込み、加速した。トンネルに入る。暗転。照明がオレンジの点々になって流れていく。追手の二台がトンネルに入ってくるのがミラーに映った。だがこちらが一瞬だけリードを稼いだ。

トンネルの中間地点。前方にタンクローリーが第一車線を走っている。蓮はその右側を抜けようとして、意図的にハンドルを振った。車体がタンクローリーとの間で左右に揺れる。追手から見れば不安定な挙動。事故寸前に見える。

追手の一台が判断を誤った。蓮がタンクローリーに接触すると読み、左から追い抜こうと第一車線の内側に入った。だがトンネルの壁が迫る。スペースが足りない。

蓮はそこを見逃さなかった。

タンクローリーを追い抜いた直後、蓮は急激に第一車線に戻した。セダンの後部が追手の右前部に接触する。金属が噛み合う衝撃がハンドルを伝って腕を揺さぶった。追手の車がスピンした。トンネルの壁に右側面から突っ込み、火花の尾を引きながら回転する。後続のもう一台が急ブレーキで回避する。その間に蓮はアクセルを床まで踏み込んだ。

トンネルを抜けた。夜の空が広がる。バックミラーにはトンネル出口の光だけが小さくなっていく。追手の残り一台はスピン車両に塞がれて出てこない。

蓮は最寄りの出口ランプで高速を降りた。一般道に入り、二つ目の角を曲がったところで路肩に車を寄せた。エンジンを切る。

静寂。雨はいつの間にか小降りになっていた。フロントガラスを細い雫が不規則に伝い落ちていく。蓮は額の汗を拭い、呼吸を整えた。心臓がまだ速い。だが手は震えていない。左手の傷口が熱を持ち、脈拍に合わせてずきずきと主張していた。

ふと、助手席の足元に目が行った。接触の衝撃で車内のものが散乱している。グローブボックスの中身。地図。ペン。そして——セダンの後部と接触した瞬間に何かが飛び込んできたのか。助手席のシートの下に、見慣れない黒い長方形が転がっている。

携帯端末。

蓮は手を伸ばして拾い上げた。追手の車から弾き飛ばされたものだ。衝突の衝撃で窓から飛び出したか、あるいは接触面から車内に入り込んだか。画面に亀裂が入っているが、電源は生きている。

ロック画面が光った。通知が一件。暗号化メッセージアプリの表示。本文は読めない。だがプレビューに表示された一行が、蓮の目を射貫いた。

『——鉄槌計画 第四区画 搬入日程を——』

鉄槌計画。

蓮はその三文字を凝視した。意味は分からない。だが追手の連中——武装し、組織的に動き、桐生の名を無線で呼んだ連中の端末に表示された暗号メッセージ。これは名前だ。蓮が追っているもの、蓮を追っているもの、妻子を殺したものの名前。

指先が微かに震えた。手ではない。指先だけだ。怒りでも恐怖でもない。三年間、闇の中を手探りで歩いてきた男が、初めて確かな輪郭に触れた感覚。

蓮は端末をジャケットの内ポケットにしまった。写真の隣に。凛が残した手がかりと、追手が落とした手がかり。二つの欠片がポケットの中で重なった。

エンジンをかけ直す。安全な場所が要る。この端末を調べるための時間と、傷を治療するための場所。蓮は車を発進させた。行き先は一つ。三年間連絡を取っていない、かつての戦友の顔が頭に浮かんだ。

街灯が流れていく。夜明けまであと二時間。蓮は右手でハンドルを握り、左手で内ポケットの端末の輪郭を確かめた。冷たい金属の感触。その中に、三年分の答えが眠っている。

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