第2話
第2話
封筒を持つ手が、そのまましばらく動かなかった。
母の名前。篠崎節子。見慣れたはずの三文字が、郵便受けの薄暗がりの中で、知らない人の名前のように見えた。いや、知らない人の名前であるはずだった。三年前の十一月に、この名前の人間はもういなくなったのだから。
廊下に立ったまま、封筒を裏返したり表にしたりした。表の宛名は僕の現住所——離婚後に越してきたこのマンションの住所になっている。母が亡くなったのは三年前だ。この住所に僕が住み始めたのは、二週間前。母がこの住所を知っているはずがなかった。
封筒の右下に、小さな活字で事務所名が印刷されていた。「泉法律事務所」。聞いたことのない名前だった。
玄関の靴箱の上に封筒を置いて、顔を洗った。冷たい水で目の周りをこすると、一晩眠れなかった頭が少しだけはっきりする。タオルで顔を拭きながら玄関に戻ると、封筒はさっきと同じ場所にあった。当然だ。動くはずがない。でもどこかで、戻ったら消えているのではないかと思っていた。
ダイニングテーブルに封筒を持っていき、向かいの空いた椅子の前に座った。昨夜の目玉焼きの皿がまだ流しに残っている。テーブルの上には何もない。封筒の端に指をかけて、ゆっくりと開けた。
中には三つのものが入っていた。
一つ目は、A4の白い紙を三つ折りにしたもの。泉法律事務所の便箋に、ワープロ打ちの文面。
「篠崎蓮様。当事務所は故・篠崎節子様より生前に書面をお預かりし、所定の条件が成就した際にお届けするよう委任を受けておりました。このたび条件の成就を確認いたしましたので、同封の書面をお届けいたします」
条件。その言葉が目に引っかかった。読み進める。
「お預かりの条件は、『届出人が婚姻関係を解消した事実が公的記録により確認できた時点』とされております。当事務所は定期的に戸籍記録の確認を行い、本年四月十五日付の届出受理を確認いたしました。ご不明の点がございましたら、下記連絡先までお問い合わせください」
二度読んだ。三度読んだ。
母は、僕が離婚することを知っていた。いや、そうではない。知っていたのではなく、その可能性を想定していた。三年前の時点で、僕がいつか一人になることを、母は一つの選択肢として準備していた。
弁護士の手紙をテーブルに置いた。封筒の中に残った二つ目のものに手を伸ばす。
便箋だった。薄い藤色の、母が昔から使っていた便箋。右上に小さな桔梗の花が印刷されている。子どもの頃、年賀状の返事をこの便箋で書いている母の横顔を見ていた記憶がある。台所のテーブルに万年筆のインク瓶を置いて、母は一枚ずつ丁寧に書いていた。あのインク瓶が実家のどこかにまだあるのか、それとも遺品整理のときに処分されたのか、僕は知らない。遺品整理は叔母に任せてしまった。
便箋には一行だけ書かれていた。母の筆跡で。
「あなたが一人になったとき、ここへ行きなさい」
それだけだった。その下には何もない。裏返しても白紙だった。母らしいと思った。母はいつも、必要なことしか言わない人だった。ただ、その「必要なこと」が何なのか、周囲にはよく分からないことが多かった。
三つ目は、二つ折りにされた紙だった。開くと、手描きの地図が現れた。
ボールペンで描かれた簡素な地図。駅名が一つ書いてある。知らない駅だった。そこから何本かの線が伸びて、角を曲がり、細い道を辿っていく。途中に「酒屋」「公園」と小さな字で目印が書き込まれ、最後に丸で囲まれた場所がある。丸の横に、母の字で何か書いてあるが、インクが薄くなっていて読みにくい。目を近づけた。「千代さん」と読めた。人の名前だった。
地図には住所も電話番号も書かれていない。ただ駅からの道順だけが、母の几帳面な筆跡で引かれている。まるで母が自分の足で何度も歩いた道をなぞるように、線の一本一本に迷いがなかった。角を曲がる箇所には小さな矢印が添えてあり、公園のところには「桜」と注釈がある。地図を描いた季節が分かるような、そんな書き込みだった。
窓の外で鳩が鳴いている。向かいのマンションのベランダに止まっているらしい。規則正しい鳴き声が、静かな部屋の中に繰り返し届く。
テーブルの上に、弁護士の手紙と、母の便箋と、地図を並べた。三枚の紙が、四月の朝の光の中で白く光っている。
母が亡くなったのは三年前の十一月だった。膵臓の癌が見つかってから四ヶ月。発見が遅かったと医師は言った。入院してからの母は急速に痩せて、最後の二週間はほとんど眠っていた。見舞いに行くたびにベッドの上の母が小さくなっていくのを見ていた。妻はいつも一緒に来てくれた。帰りの車の中では二人とも黙っていた。
母が弁護士に手紙を預けたのは、いつだったのだろう。入院する前か。あるいは、もっと前か。癌の告知を受ける前から、母は僕の結婚生活に何かを感じ取っていたのだろうか。
考えても分からなかった。母に訊くことはもうできない。
「ここへ行きなさい」と母は書いた。命令でも懇願でもない、母の独特の言い方だった。小学校の頃、学校に行きたくないと布団にもぐった朝、母は理由も聞かず「顔を洗いなさい」とだけ言った。顔を洗うと、不思議と足が玄関に向いた。母の言葉はいつもそうだった。理由を省いて、次にやることだけを示す。なぜそうするべきなのかは、自分で歩いた先で分かればいい。そういう育て方だったのだと、大人になってから気がついた。
でも、今はもう小学生ではない。知らない場所に、知らない人の名前だけを頼りに行くのは、三十二歳の判断としてどうなのかと思う。地図に描かれた駅名をスマートフォンで調べようかと指が動きかけて、やめた。調べてどうなるというのか。行くとも決めていないのに。
地図を二つ折りに戻した。便箋をその上に重ねた。弁護士の手紙は封筒に戻した。
三枚の紙を重ねて、テーブルの端に置こうとした。置いて、そのまま忘れてしまえばいいと思った。母の気まぐれだと片付けてしまえばいい。
手が止まったのは、便箋の藤色が目に入ったからだった。母が年賀状の返事を書いていたあの台所の光景が、不意に輪郭を持って浮かんできた。万年筆を持つ母の右手の、薬指の第二関節にできたペンだこ。母はいつも薬指にも力を入れる癖があった。そんなことを、今まで一度も思い出したことがなかった。
便箋を鼻に近づけた。紙の匂いしかしなかった。三年も経てば、当然だった。
地図をもう一度開いた。「千代さん」という文字を指でなぞる。母の知り合いなのだろう。母には僕の知らない交友関係があった。通夜のときに見知らぬ人が何人か焼香に来て、僕も妻も名前を知らなかった。その中に「千代さん」がいたのかもしれない。いなかったのかもしれない。
地図を折り畳んだ。二つ折りにして、それからもう一度折って四つ折りにした。ズボンの右ポケットに入れた。ポケットの中で、紙の角が太ももに触れる感覚がある。
行くとは決めていない。ただ、捨てる気にもならなかった。昨夜、冷蔵庫の扉を閉めたのと同じだった。手放すことも、使うこともできない。ポケットの中に入れたまま、判断を先送りにしている。
椅子から立ち上がった。昨日と同じ朝が始まる。顔を洗って、着替えて、このマンションを出る。出たところで行く場所はないのだが、この部屋にいつまでもいるわけにもいかない。
洗面台の鏡に映った自分の顔は、昨日より少しやつれて見えた。蛇口をひねると水が跳ねて、鏡に細かい飛沫がついた。それを拭かないまま、歯を磨いた。
着替えて、鞄を持って、玄関に立つ。靴を履いて、ドアノブに手をかける。右のポケットの中で、四つ折りの地図がかすかに擦れた。
外に出ると、昨日と同じ四月の風が吹いていた。桜はもう半分以上散っている。マンションの前の通りを駅に向かって歩きながら、ポケットの上から地図の輪郭を指で確かめた。
駅の改札を抜けて、路線図の前で足が止まった。地図に書かれていた駅名を探している自分がいた。
あった。二つ隣の路線の、各駅停車しか止まらない小さな駅。
行くとは、まだ決めていない。