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透明な僕のフレーム

第3話 第3話「月曜の部活動審査要項」

第3話

第3話「月曜の部活動審査要項」

部活動審査の要項が配られたのは、翌週の月曜日だった。

朝のホームルームで、宮本先生が一枚のプリントを教卓に置いた。「各部活の代表は放課後までに受け取るように」と事務的に言って、すぐに連絡事項に移った。クラスの大半はスマホを机の下に隠して聞き流している。僕も同じだ。ただ、「部活動審査」という四文字だけが、耳の奥に小さな棘のように残った。

四月の教室は、まだどこか落ち着かない匂いがする。新しい教科書のインクと、誰かが朝コンビニで買ったパンの甘い匂い。窓の外では風が強くて、桜の花びらがもう散り始めていた。満開を過ぎた桜は、遠くから見ると白っぽくなる。咲いているのか散っているのか、曖昧な境目。そういうものを、僕はいつも無意識に目で追ってしまう。

放課後、東棟の部室に行くと、河合がプリントを手にしていた。テーブルの上に広げて、足を組んだまま眺めている。瀬尾は今日も窓際で本を読んでいたけれど、視線がときどき活字からプリントへ泳いでいるのがわかった。

「先輩、これ見ました?」

河合がプリントを指で弾いた。紙がぱさ、と乾いた音を立てる。

受け取って目を通す。文化祭参加のための部活動審査要項。提出期限は五月の第二週。必要なものは、活動報告書と作品またはデモンストレーション映像。審査基準は活動実績、部員数、提出物の完成度。基準を満たさない部活は文化祭への参加権を失い、翌年度の存続審査に直接影響する——要するに、何も出さなければ廃部への一本道ということだった。

「活動実績、ゼロっすよね」

河合が天井を見上げて言った。事実の確認。感情は乗っていない。

「作品も、ない」

瀬尾が本を閉じて、静かに付け加えた。

三人とも黙った。窓の外で、誰かが笑う声が風に乗って聞こえてきた。たぶんグラウンドで練習している運動部だ。あの声の持ち主たちは、廃部の心配なんてしたことがないのだろう。

「まあ、しょうがないっすよね」

河合がスマホを取り出しながら言った。諦めとも達観ともつかない、平坦な声だった。

「元々ほぼ幽霊部だし。名前だけで持ってたようなもんだから」

その通りだと思った。この部活には何もない。実績もなければ、目標もない。僕は名前を貸しているだけで、河合と瀬尾も居場所として使っているだけだ。廃部になったところで、誰も困らない。

瀬尾が席を立った。窓辺からテーブルのほうへ歩いてきて、プリントを手に取る。細い指が、提出期限の日付をなぞった。

「なんでもいいから、出そうよ」

投げやりな提案だった。でも、投げやりな割に、声の芯がわずかに硬い。瀬尾の目がプリントの文字を追っている。「作品またはデモンストレーション映像」の行で、視線が止まった。

「映像研なんだから、映像でしょ。何か撮って、編集して、出せばいいだけ」

「誰が?」と河合が聞いた。

「三人で」

「俺、カメラとか触ったことないっすけど」

「私も」

瀬尾はそう言ってから、僕のほうを見た。河合もつられてこっちを見る。二つの視線が、窓際の置き物に向けられている。

「藤原先輩は?」

心臓が一拍、跳ねた。

「……触ったことはある」

嘘は言っていない。触ったことがある。数千時間の編集経験と、海外映画祭のショートリスト入選があるだけだ。でもそれは、この部室にいる藤原遥斗の話じゃない。yonderの話だ。

「じゃあ先輩が撮って、適当に繋いで出せばいいんじゃないすか」

河合が軽く言った。適当に。繋いで。出す。映像制作をその三語で片づけられることに、胸の奥で何かが小さく軋んだ。苛立ちなのか、悲しみなのか、わからない。

「僕が撮るんですか」

「だって先輩しかいないじゃないすか、経験者」

触ったことがある、としか言っていない。でも否定する言葉を探すうちに、瀬尾がテーブルの引き出しを開けた。中から出てきたのは、古いハンディカムだった。十年くらい前のモデル。傷だらけのボディに、レンズキャップの紐が切れかけている。

「これ、部室にあった。動くかわからないけど」

瀬尾がカメラをテーブルの上に置いた。夕方の光がレンズの表面を一瞬だけ光らせて、すぐに消えた。

僕はそのカメラを見ていた。

古い。画質は悪いだろう。手ぶれ補正もまともに効かないはずだ。センサーのダイナミックレンジなんてたかが知れている。

でも——手が伸びた。自分の意思とは少しずれた場所から、指がカメラに触れていた。ボディの樹脂がひんやりと冷たい。グリップを握ると、掌に吸いつくような重さがあった。バッテリーを確認する。残量表示が一瞬だけ画面に映って消えた。充電が要る。でも、動く。

ファインダーを覗いた。狭い四角の中に、部室の風景が映った。埃の浮かぶ空気、色褪せたVHSテープの棚、窓から差し込む光の筋。画質は粗い。色は浅い。

でも、この粗さが——悪くない。

デジタルの精緻な映像では出せない質感がある。フィルムとも違う、ビデオ特有の奥行きのなさが、逆にこの古い部室の空気と合っている。ノイズが浮かぶ暗部が、埃っぽい空間にそのまま溶け込んでいる。

「先輩、それ覗いて何が見えるんすか」

河合が怪訝な顔で聞いた。

「……埃」

「でしょうね」

河合が笑った。初めて聞いた、悪意のない笑い声だった。瀬尾も口元がわずかに緩んでいる。

僕はファインダーから目を離して、カメラをテーブルに戻した。指がまだグリップの感触を覚えている。握っていたのは十秒くらいだったはずなのに、手のひらにじんわりと熱が残っていた。

「……充電して、試し撮りくらいは」

「おっ、やる気じゃないすか」

「やる気じゃないです。動作確認です」

河合が「はいはい」と笑って、瀬尾が小さく頷いた。

提出期限まで三週間。何を撮るかも決まっていない。技術もない——というのは嘘だけど、使えるのはこのカメラ一台と、自分の手だけだ。yonderの機材は使えない。使った瞬間、二つの世界が繋がってしまう。

このカメラだけで、審査を通せるものが作れるだろうか。

考えている自分に気づいて、少し驚いた。昨日まで、この部活が潰れても何も感じないと思っていた。今もたぶん、そう思っている。でも指がカメラを握った十秒間だけ、体が勝手に判断を下していた。

窓の外はもう薄暮だった。空が藍色に沈みかけて、グラウンドのナイター照明がぱちん、と一斉に点いた。白い光が砂埃を照らし出して、部活帰りの生徒たちの影が長く伸びている。

帰り支度をして部室を出たとき、廊下の向こうから声が聞こえた。

職員室に近い階段の踊り場。二つの人影が立っていた。一人は生活指導の吉岡先生——部活動審査の担当教員だ。もう一人は、背の高い男子生徒。ブレザーの胸ポケットにピンマイクを挟んでいる。放送部のバッジが、蛍光灯の光を反射していた。

「映像研って、今年も何も出さないですよね」

男子生徒が笑いながら言った。余裕のある声だった。勝者の余裕。勝負が始まる前から結果を知っている人間の、穏やかな確信。

吉岡先生が苦笑して首を傾げた。

「まあ、あそこは……期待しないほうがいいだろうな」

「ですよね。スクリーンの配分、早めに決めちゃったほうがいいと思うんですけど」

「神崎、お前が気にすることじゃないだろ」

「いやぁ、放送部としては準備があるんで」

神崎と呼ばれた男子生徒が、軽く肩をすくめて笑った。その横顔が一瞬だけこちらを向いた——気がした。目が合ったかどうかはわからない。僕は反射的に視線を逸らして、廊下の壁際を歩いた。足音を消すように。透明なまま、通り過ぎるように。

階段を降りながら、さっきの声が耳に残っていた。

「何も出さないですよね」。

その言葉に怒りは湧かなかった。当然の予測だ。活動実績ゼロ、作品ゼロ。何も出せないと思われて当たり前だ。僕だって昨日までそう思っていた。

でも、鞄の中に入れたハンディカムの重さが、歩くたびに腰のあたりで揺れている。充電ケーブルも一緒に借りてきた。動作確認。それだけのつもりだった。

昇降口を出ると、四月の夜風が頬に触れた。まだ冷たい。桜はほとんど散っていて、足元のアスファルトに花びらが貼りついている。踏まないように歩く癖が、いつの間にかついていた。

帰り道、鞄の重さがいつもと違う。右肩に、古いカメラの分だけ余計な重力がかかっている。それがなぜか、不快じゃなかった。

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