第3話
第3話「午前三時のクレヨンの絵」
ファイルを開いたのは、午前三時だった。
眠れないまま布団の中で二時間を過ごし、諦めてデスクに戻ると、画用紙とクリアファイルが同じ場所に並んでいた。蛍光灯をつけるのが億劫で、デスクライトだけを点けた。黄色い光の円が六十センチの天板を照らし、その中にクレヨンの絵とボールペンの文字が浮かび上がった。光の外側は闇で、部屋全体が消えたように感じた。世界がこの六十センチだけに縮んでいる。白河は椅子に座り、クリアファイルの表紙を見た。「宮沢拓海 37」。三十七の仮説。その一つ一つを、白河はまだ暗唱できた。できてしまうことが、五年間の呪いそのものだった。
表紙をめくった。
一枚目は初診時の記録だった。白河自身の筆跡。紹介状に書かれた主訴を転記した行から始まっている。「三ヶ月前から続く微熱、関節痛、体重減少」。ありふれた主訴だった。こういう患者は月に何人も来る。大半は膠原病か感染症で、鑑別診断のアルゴリズムに乗せれば二週間以内に答えが出る。白河の頭はそのように動いた。初診の段階で、八つの仮説を立てた。その八つを潰すのに一週間もかからなかった。問題はそこからだった。
二枚目以降に、検査結果が時系列で綴じられている。血液検査、尿検査、画像診断、生検。紙の束は三センチほどの厚みがあった。白河は最初のページから順にめくった。指先が紙の端に触れるたびに、あの頃の空気が戻ってくる。消毒液と古い紙のにおい。大学病院の総合診断科、蛍光灯が常に点いている部屋、ホワイトボードに書き出した鑑別リスト。赤いマーカーで一つずつ消していった線が、ホワイトボードの上で墓標のように並んでいた。宮沢拓海は白河の外来に月曜と木曜に通っていた。痩せた体に大きなリュックを背負って、診察室の椅子に座ると必ず「よろしくお願いします」と頭を下げた。リュックの中にはいつも文庫本が入っていた。待ち時間に読むのだと言っていた。背表紙の色は来るたびに変わっていた。その声を、白河はまだ覚えている。
CRPが微妙に高い。白血球分画に軽度の好酸球増多。だが寄生虫もアレルギーも否定。IgG4は正常範囲。抗核抗体、ANCA、抗リン脂質抗体、すべて陰性。CTで肺にすりガラス影を認めたが、気管支鏡で採取した組織には特異的な所見がない。PET-CTで複数のリンパ節に軽度の集積があるが、リンパ腫の基準を満たさない。遺伝性疾患を疑って家族歴を徹底的に聴取したが、めぼしい情報はなかった。データは蓄積されていくのに、像を結ばなかった。ジグソーパズルのピースが増えるほど、完成図がぼやけていく。白河はそういう経験をしたのは、あの症例が初めてだった。
白河は一枚一枚、紙をめくりながら、五年前の自分の思考を追った。十五番目の仮説を潰した頃から、白河の字が変わっている。それまで几帳面な楷書だった文字が、少しずつ崩れていた。焦りではなかった。焦りならまだよかった。白河の中で起きていたのは、もっと静かなものだった。道がない、という認識が、霧のようにじわじわと広がっていく感覚。鑑別リストを消去していく作業は、本来であれば答えに近づく行為のはずだった。一つ消せば、残りの可能性が絞られる。だがこの症例では、消すたびに霧が深くなった。
カルテの中ほどに、拓海が書いた問診票が挟まっていた。A4のコピー用紙に印刷された質問項目に、拓海の字で回答が書き込まれている。角ばった、しかし丁寧な筆跡だった。一画一画を意識して書く人間の字だ。「現在の症状を具体的にお書きください」の欄に、こう書かれていた。「体の中に知らない火がついているような感じがします。熱いのに、体温計では微熱しか出ません」。白河はその一文に当時も引っかかった。「知らない火」という表現が、患者の主観的な訴えとして妙に正確だった。炎症マーカーが示す数値と、患者本人の体感が一致している。だが、その火の出どころが、どの検査にも映らなかった。
二十五番目の仮説が潰れた頃、主治医としての白河は拓海に説明をしなければならなかった。原因がまだ分からない、と。検査を続ける、と。診察室の窓から午後の光が入っていて、拓海の顔の半分が影になっていた。拓海はうなずいて、「先生が諦めないなら、僕も諦めません」と言った。笑顔ではなかった。ただ事実を述べるように、静かな声で言った。その言葉に白河は何も返せなかった。返せなかったのは、諦めないと約束する自信がなかったからではなく、諦めないことが正しいのかどうか分からなかったからだった。原因不明のまま検査を重ねることは、患者の体と時間を消耗させる。どこかで線を引くべきだという判断と、まだ見落としがあるはずだという直感が、白河の中で綱引きをしていた。
三十七番目の仮説は、未知の自己炎症性疾患だった。既知のどのカテゴリにも当てはまらない、新規の疾患である可能性。それは仮説というより、敗北宣言に近かった。「既存の知識では説明できない」と認めることだった。白河はその仮説を検証する手段を持たなかった。遺伝子解析の技術は五年前にも存在したが、何を探すのか分からないまま全ゲノムを解析する体制は当時の大学病院にはなかった。いまならあるいは——白河はその考えを途中で止めた。止めようとした。だが止まらなかった。五年分の論文と技術の進歩が、白河の頭の中で勝手に積み上がっていく。止めろ、と白河は自分に言い聞かせた。余命八ヶ月の人間が、五年前の未解決症例に手を出してどうなる。
カルテの最後のページ。退院サマリー。「原因不明の多臓器炎症。症候的治療を行うも効果不十分。今後の方針について患者・家族と協議の上、在宅緩和ケアへ移行」。その下に、白河が付箋で貼った一行があった。黄色い付箋は五年で色褪せて、ほとんど白に近かった。書かれた文字は読めた。「要再検討」。白河はあのとき、この症例を終わらせていなかった。いつか答えを出す、と付箋一枚で宣言していた。その宣言を、五年間放置した。
デスクライトの光の中で、白河はカルテを閉じた。紙の束が擦れる音がして、それから静寂が戻った。窓の外は暗いままだった。時計は四時を過ぎていた。閉じたカルテの表紙に、両手を重ねて置いた。画用紙のクレヨンの匂いが、まだ微かに空気に残っていた。
「たすけてください」と、七歳の子どもは書いた。
その五文字に応える資格が自分にあるとは思えなかった。五年前に病名を見つけられなかった医師が、今さら何をするのか。余命八ヶ月の体で、何ができるのか。理屈はすべてそちらを指している。白河の頭は今もなお、正しい結論を出し続けていた。正しさが壁のように立ちはだかって、その向こうに手を伸ばすことを許さなかった。
クリアファイルを引き出しに戻した。画用紙も封筒に入れ、その上に重ねた。引き出しを閉め、デスクライトを消した。暗くなった部屋で、布団に入った。もう考えるのはやめる。余命のある人間がやるべきことは、残された時間を静かに減らすことだ。誰かを助けることではない。ましてや、かつて自分が救えなかった患者の娘の言葉に応えることではない。
天井が暗い。街灯の光の筋もカーテンが遮っている。白河は目を閉じた。瞼の裏に何も映らないことを願った。だが暗闇の中に、拓海の字が浮かんだ。「知らない火」。その三文字がゆっくりと燃えるように滲んで、消えなかった。
それから何時間眠ったのか分からない。気がつくと、部屋に朝の光が薄く差していた。六時前。白河は体を起こし、自分がデスクの前に座っていることに気づいた。布団ではなく椅子の上にいた。いつ移動したのか記憶がなかった。引き出しが開いていた。クリアファイルが手の中にあった。「宮沢拓海 37」。表紙の文字が、朝の弱い光の中でじっとこちらを見ていた。
色褪せた付箋の「要再検討」が、最後のページで白河を待っていた。五年前の自分が貼った、たった四文字の宣言。白河はその付箋を親指でなぞった。糊がほとんど剥がれていて、紙の端がめくれかけていた。いつ剥がれ落ちてもおかしくない。いつ消えてもおかしくないものが、まだそこにあった。
窓の外で、鳥が鳴いた。