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外れ枠勇者の真ステータス

第3話 第3話

第3話

第3話

朝の鐘が四度鳴り終わる前に、俺は演習場の隅へ着いていた。

空はまだ青より灰色に近い。砂を敷き詰めた円形の演習場は直径およそ三十間、中央に訓練用ゴーレムが二体、像のように立っていた。石灰岩を組み上げた本体に、関節だけ黒鉄。背丈は俺の倍ある。胸の中心に第三階梯までの魔石が埋まっていて、見た目はちょっとした砦の門柱だ。

「不参加でしょ、外れ枠は」

通りすがりに肘で背中を押されて、俺はよろけた振りをした。実際は、押された衝撃そのものが、肩の表面で止まっていた。表層HP三十八の身体が、肘ひとつでよろけないわけがない。だが、よろけたのは演技だ。

(……仮値の被膜の下で、本当の俺の身体が、押し返している)

砂を踏む音だけで、それがわかる。靴底の砂粒一つひとつの形が、足の裏から伝わってくる。粒の角の鋭さ、湿り気の有無、踏んだときに沈む深さの差。昨夜まで気づかなかった解像度だ。世界の縮尺が、ひと回り細かくなったような感覚に、頭の奥が軽く痺れる。

集合した同期は十一人。俺を入れて十二人。その後ろに、観戦席の段組み。宰相補佐、第三騎士団長、宮廷魔術師の三人が肩を並べ、第二王女が侍女を従えて最前列に座っている。当主格の貴族も二、三人。今日の演習は、合同とは名ばかりの、選別だ。誰を遠征に出し、誰を後方に置くか。指で選り分ける、卵の選別。

「神城」

宰相補佐が指先を立てた。爪の先まで磨かれた、白い指だった。

「お前は見学だ。ゴーレムの脇に立て。回収係でいい」

「……承知しました」

頭を下げて、俺はゴーレムの右手側、五歩離れた砂の上に立った。視界の左下に、半透明の板。誰にも見えない、俺だけの真ステータス画面。≪封滅≫第一階梯のアイコンが、淡い橙色に灯っている。封印中の文字は、昨夜よりほんの少しだけ薄い。

「最初、レオン。──神城を相手に、軽く威嚇魔法を見舞ってやれ。当てるなよ」

第三騎士団長の声で、レオンが中央へ進み出た。両手に魔導書、腰に銀装飾の杖。同期最高の魔力七十、攻撃六十。表層の数字なら、俺の七倍と五倍だ。観戦席から、第二王女が小さく頷いた。レオンの頬が、誇らしげに引きつる。

「軽く、ですよね」

レオンが、わざとらしく口の端を持ち上げた。歯の先が、朝陽に薄く光った。

「外れ枠の前髪が焦げないよう、加減はします。──≪燃焼壁≫、二重」

低い詠唱の後、レオンの杖先から橙色の壁が二枚、扇状に展開した。「軽く」と言いつつ、上位候補としての全力詠唱だ。熱の波が砂を巻き上げ、俺のいる位置へ一直線に向かってくる。表層HP三十八なら、皮膚が焦げる前に水分から先に持っていかれる距離だ。同期たちが一歩、また一歩と後ろへ退がる。第二王女の侍女が、扇で口元を覆った。

(……試運用、ここでやるしかないか)

板の隅で、≪封滅≫第一階梯のアイコンが、橙色から淡い赤へ温度を上げる。封印解除に必要な、宣言。声に出さず、唇の内側だけで形を作った。

──ひらけ。

俺は、右手を顔の前に上げた。掌を開いて、指先をレオンの方向へ向ける。それだけだった。

橙色の壁が、俺の掌の十センチ手前で止まった。止まったのではない。霧散した。火の粉でも煙でもなく、空気のような細かさで、橙の粒が広がって、消えた。下から順に、上に向かって、呼吸ひとつぶんの時間で、輪郭を失っていく。最後の一片が、俺の指先の前で、点になって、消えた。熱が消えた瞬間、頬の表面に張り付いていた汗の被膜だけが、急に冷たく感じられた。

レオンの杖が、震えた。

「な──」

声が出ない。観戦席の宰相補佐が、書字板を持つ指を、いつのまにか強く握り直していた。爪が紙の繊維に食い込んで、白い跡が四つ並ぶ。

(……燃焼壁二重を、第一階梯ひとつで)

頭の中で、メモを取る。前職のクライアントワークで急に大型案件が舞い込んだ夜と、頭の使い方が同じだった。驚きの前に、現在地の把握。レオンの全力が、俺の掌の前で霧散した。これはたぶん、打ち消したのではなく、構成していた魔素ごと無に戻した、というのが≪封滅≫の挙動だ。第一階梯で、これ。第七階梯まで、間に六段、残っている。

「次、ゴーレム」

第三騎士団長の声が、半音低い。場の流れを取り戻そうとする声の作り方だ。喉のどこかに、無理な力が入っているのが、この距離からでも聞き取れた。

「──ハルト、お前で頼む」

今までの「神城」が、急に「ハルト」になった。そういう、視線の届くところに、俺は立たされている。

俺は、まだ右手を上げたまま、ゴーレムのほうへ向き直った。

砂の表面が、爪先の前でわずかに震えていた。レオンの燃焼壁の余熱だ。靴底ごしに、まだ温い。砂粒の隙間から、焦げた草の匂いが薄く立ちのぼってくる。

掌をゴーレムの胸の魔石へ向ける。距離、五歩。指の角度を一度ぶん下に振った。それだけだった。

ゴーレムの胸が、砕けた。

粉でも砂でもなく、灰色の粒が、空気のような細かさで霧散していく。胸から肩へ、肩から首へ、首から頭頂へ、上に向かって、呼吸ふたつぶんの時間で、輪郭を失った。続いて、もう一体。同じ動作で、掌を二回ぶん横へ振っただけで、二体目の魔石も、そのまま霧へ還った。

砂が舞う音すら、ほとんどしなかった。崩落の轟音も、石が割れる甲高い破裂音もない。ただ、空気が一段薄くなったような、奇妙な耳鳴りだけが残った。

演習場の空気が、止まった。

第二王女の扇が、膝の上で滑り落ちた。骨が砂に当たる、乾いた小さな音だけが響く。宰相補佐の指が、書字板を持ったまま固まっていた。宮廷魔術師のひとりが、口の中で何かの祈祷句を二度繰り返した。隣の魔術師は、口を開けたまま、瞬きさえ忘れていた。

「……ハルト」

第三騎士団長の声が、もう一段、低い。

「もう一度、やれ」

俺は答えなかった。答えるかわりに、自分の右手を見た。掌に、熱はない。痺れもない。指の腹に、ゴーレムを構成していた石灰岩の粒が、二粒だけ載っている。それを、親指の腹で撫でて落とした。粒は、砂に触れる前に、空気の途中でほどけて消えた。

(──過剰だ)

頭の中で、自分にだけ向けて呟く。

封印スキル十四個のうち、いちばん下の一片。それでこれだ。レオンが二重の燃焼壁で削るはずだったゴーレム二体を、俺は掌一枚で、呼吸ふたつに縮めた。第一階梯で、すでにこの差。神格三柱の合議審判、世界の境界に裂痕、自我の消去。昨夜の注釈の文字列が、いま、砂の上の灰色の輪郭と重なって見える。

(世界に裂痕を残す、って、こういう手触りの先にあるのか)

膝の裏が、わずかに震えた。震えを、剣士装束の裾の内側で押し殺す。観戦席の方向は見ない。見たら、第二王女と目が合う。合った瞬間に、宰相補佐の頭の中で、俺は「外れ枠」から「兵器」に書き換わる。書き換わるのは、たぶん、止められない。せめて、こちらの足が竦んでいる顔を見せたくなかった。

「もう一度、と申されましても」

俺は、声を低く保ったまま、第三騎士団長へ会釈した。喉の奥で、声が裏返らないよう、一度だけ唾を飲み下す。

「ゴーレムが、ありません」

「……新しいのを出させる」

「いえ。今日は、ここまでに」

宰相補佐が立ち上がった。書字板の角が、背後の侍女の肩に当たって、書字板が床に落ちた。誰も拾わない。

「神城ハルト」

宰相補佐の声が、初めて、俺の名を正しく呼んだ。

「演習後、執務室まで来い。陛下にもお伝えする」

頬の内側を、軽く噛んだ。掌に残った石灰岩の粒は、もう一粒もない。だが、指先の感覚だけが、まだ少しだけ熱い。封印解除の余韻か、霧散させた燃焼壁の残響か。両方だ、と、頭のどこかが冷静に答えた。

集合解除の号令も待たずに、同期たちは三歩ぶん俺から距離を置いた。レオンだけが、杖を肩に担いだまま、口を半分開いて固まっている。視線が合う。逸らされたのは、向こうのほうが先だった。逸らした先で、レオンの喉仏が一度、上下に動くのが見えた。

第二王女が、扇を拾い直した。骨を一本、丁寧に揃え直してから、俺の側へ笑みを向ける。昨日まで、俺の顔の手前で止まっていた視線が、今日はまっすぐ目まで届いた。届いた瞬間、背筋を、見えない指が一本、上から下へなぞった。

「演習場の砂、片付けは衛兵に」

宰相補佐が指を鳴らした。「神城殿は、こちらへ」──「殿」が、ついていた。

俺はゴーレムの跡地を一度だけ振り返った。砂の上に、灰色の輪郭が、人ひとり寝かせるくらいの大きさで、二つ薄く焼き付いている。輪郭の縁を、朝風が一筋撫でて、すぐに均してしまった。

塔のほうから、王宮の本殿へ続く回廊の鐘が鳴った。執務室行きの鐘だ。

(──父さん。真凛。今日の俺、ちょっとだけ、強かったよ)

口の中で、二つの名前を呼ぶ。返事はない。代わりに、回廊の奥から、衛兵が二人、俺の左右に並んで歩き出した。歩幅が、護衛のそれではない。監視のそれだった。

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