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封印の核と落ちこぼれの弟子

第2話 第2話

第2話

第2話

師匠の亡骸を塔の裏手に埋めたのは、その日の午後のことだった。

凍てついた土は硬く、鍬の刃を幾度も弾き返した。リオンは三度、四度と振り下ろし、ようやく掘れた浅い溝に師匠の身体を横たえた。白衣の襟元を整え、胸の上で両手を組ませる。師匠がいつも首から下げていた銀の鎖——掌ほどの小さなペンダントだけを最後に外し、手記の間に挟んだ。形見として持っていく、それ以外の理由は自分でもよく分からなかった。

土を被せるとき、指先がもう一度師匠の頬に触れた。肌は石のように冷たく、陽を透かさぬ白さがあった。リオンは奥歯を噛みしめた。泣いてしまえば、この穴の中に倒れ込んで二度と立てなくなる。そんな予感があった。喉の奥で嗚咽が膨らみ、何度も呑み下した。呑み下すたびに胸がじんと痛んだ。外套の袖で目元を強くこすり、残りの土を一息に落とす。鍬を地面に刺して、墓標の代わりにした。

名前は彫らなかった。辺境の森のただ中、通りかかる者など誰もいない。師匠が望んだ静けさを、これからも守ってやることだけが、せめてもの供養になるように思えた。

塔へ戻ると、朝に沸かした湯はすっかり落ち、薬湯を注いだ椀の縁に灰色の膜が浮いていた。リオンはそれを竈の中に流し、椀を水で濯いだ。日々繰り返してきた動作が、今は何の意味も持たなかった。

旅支度は半刻とかからなかった。手記を外套の内側、胸の左に仕舞う。薬草の袋——熱さましのカモラ草、傷薬のシュレン、眠気覚ましのリエン——それぞれ小袋に分けて背嚢へ。保存食は黒パンが四切れと、塩漬けの干し肉が少し。墨壺と筆、書写用の羊皮紙の切れ端。師匠が使っていた短剣は、柄に細かい彫刻があって自分には不釣り合いだったが、腰帯に差した。

最後に扉を閉めた。鍵は掛けなかった。誰も来ないと分かっている場所に、鍵を掛ける意味はない。扉の前で深く息を吸い、薬草と古い紙の匂いを肺に焼き付けた。十二の年にここへ連れて来られてから、八年。振り返るのは、それきりにした。

街道は、塔から北へしばらく下った谷の底を走っていた。石畳が崩れかけた古道で、両側には背の低い黒松が風に軋んでいる。リオンは膝下ほどの雪に足を取られながら、ひと筋に北を目指した。

一人で歩く道は、思っていたよりも長く感じた。背嚢の紐が肩に食い込む。師匠と二人で薬草採りに出たときとは、何もかもが違っていた。師匠はいつも後ろからついてきた。リオンの歩幅に合わせ、ときおり古い魔術師たちの逸話を語ってくれた。今、その声は風の音に紛れて聞こえるような気がして、何度も背後を振り返った。振り返るたびに、雪を踏む自分の足跡だけが、白い路の上に点々と続いていた。

正午を過ぎた頃、最初の集落が見えた。山間にへばりつくように家々が並び、煙突からは細い煙が立ち上っている。ハルシュ村——師匠に連れられて月に一度、塩と穀物を買いに来ていた場所だった。

井戸端で洗い物をしていた老婆が、顔を上げた。目が合った瞬間、老婆の手が止まった。

「……塔の、小僧か」

短い声だった。歓迎でも敵意でもない、ただ距離を測るための声だった。

「はい。ご無沙汰しております」

「ゲルダ様は、どうなさった」

リオンは一瞬、言葉に詰まった。

「……先立たれました。今朝方に」

老婆は濡れた手を前掛けで拭った。それから、ゆっくりと三度、胸の前で指を交差させた。古い森の民が死者に捧げる祈りの形だった。

「そうかね。……そうかね」

それきり、老婆は口を閉ざし、井戸の方へ向き直ってしまった。背中がはっきりと、これ以上近づくなと告げていた。井戸の滑車が風に軋み、汲み上げた水が半分凍りかけたまま木桶の縁で光っていた。リオンは頭を下げ、背を向けて歩き出した。師匠の死を告げた自分の声が、やけに遠く耳に残っていた。

村の中を歩くと、同じ視線が幾度も刺さった。戸口から顔を出した子供が、母親に袖を引かれて家の奥へ引き戻される。荷車を押していた男は、リオンと目が合うなり道の反対側へ寄った。魔術師の弟子——そう呼ばれていることは知っていた。だが師匠が生きていたときは、師匠への畏敬がリオンをも薄く覆っていた。今、その傘はもうない。

パン屋の戸を叩いて黒パンを二斤だけ買った。店主の女は銅貨を受け取るとき、リオンの指先に自分の指が触れないよう、木皿の上に置かせた。魔力が移るとでも思っているのか、不吉の気を恐れているのか。問う気も起きず、釣り銭を無言で受け取って店を出た。

村を抜け、北へ続く道が山の稜線に沿って折れるあたりにある古い祠の石段に、リオンは腰を下ろした。パンを一口だけ齧る。固く、塩気が強く、味わう余裕もない。

手記を胸から取り出したのは、日が稜線に傾きかけた頃だった。

岩陰で風を避け、膝の上に手記を開く。背中に岩肌の冷たさが染み、吐く息が白く手記の上に散った。革の表紙にはまだ塔の煮薬と古い墨の匂いが残っていて、嗅ぐたびに鼻の奥が熱くなった。指先がかじかんで、思うようにページが繰れない。師匠の筆跡が、黄ばんだ紙の上で細く傾いでいる。晩年の、少し震えを帯びた細い字。窓辺で前屈みに筆を走らせていた師匠の背中が、紙面の向こうから立ち上がってくるようだった。何度か読み返すうちに、ようやく一つの単語がリオンの目に留まった。

『ノルデン』

北の都の名だ。大陸最北の交易都市で、古い封印の塔があるという。だが師匠はなぜ、その都の名を幾度もこの手記に書き残しているのか。ある箇所では赤い印、ある箇所では二重線。目的地としてではなく、まるで何度もその地を出入りしていた者の覚書のようだった。

――師匠は、塔に籠もる前、何者だったのだろう。

宮廷を追われた老魔術師。それしか聞いていなかった。火の入らぬ冬の夜、薬湯の湯気越しに一度だけ、師匠が宮廷の庭の話をこぼしたことがあった。白い石の回廊と、噴水の水音。話はそこで途切れた。追放の理由も、それ以前の経歴も、尋ねるたびに師匠は薄く笑って話題を変えた。リオンも深くは問わなかった。拾われた身で、過去を詮索する権利はないと思っていた。

手記の中ほどに、折り畳まれた紙片が挟まっているのを見つけた。開くと、簡単な地図だった。塔を起点に、北へ伸びる破線。途中にいくつかの印が落としてある。墨の濃淡が場所ごとに違う。何年にも分けて、少しずつ書き足していったものらしかった。ハルシュ村、渡りの橋、ヴェルンの関所、そしてその先、点線の終わりにノルデンの名。

指でその線を辿りながら、リオンはようやく気づいた。師匠は、この道を知っていた。自分がいつかこの手記を携えて北へ発つことを、あらかじめ想定していた。

胸の奥が、静かに軋んだ。悲しみとも、怒りともつかない感情だった。知らされなかったことへの寂しさが、何より先にあった。

どこまでが偶然で、どこからが仕組まれていたのか。火点しの術が使えなかったのも、書写と薬草調合ばかり教えられたのも、全てが繋がっていたのだとしたら——。

考えても、今は何も分からない。分かることは一つだけだった。歩くこと。北へ向かうこと。師匠が遺言に込めた意味を、自分の足で確かめること。膝の上の手記を閉じ、リオンは立ち上がった。西の空が橙色に焦げていた。陽が稜線の向こうに沈む前に、せめて次の集落の近くまで辿り着かなければならない。歩幅を広げ、靴底の下で凍土が乾いた音を立てた。

風向きが変わったのは、それから小半刻ほど経った頃だった。

鼻腔をかすめたのは、薬草の匂いでも、冬枯れの木の匂いでもなかった。焦げた木材と、それとは別の、饐えた獣のような臭気。リオンは足を止めた。

街道の先、緩やかに下る尾根の向こうに、黒い煙が一筋、空に立ち上っていた。細く、途切れながら、北風に流されている。近隣の家の煮炊きの煙ではない。煙の根元に、赤黒い火の色が微かに揺らいで見える。

風下から漂ってきた臭いが、喉の奥にまとわりついた。鉄錆に似た、血の臭い——気づいた瞬間、リオンは外套の襟を握りしめた。背嚢の重みが、急に体のどこか遠い場所のものに感じられた。

手記の地図を思い返す。ハルシュ村から北へ進めば、次に辿り着くのは渡りの橋。その手前に小さな宿場があったはずだった。煙の上がる場所は、ちょうどその方角——。

師匠の声が、頭の奥で繰り返された。北の都へ行け。お前には別の道がある。

リオンは腰の短剣の柄に指を添え、凍った街道を一歩、前へ踏み出した。

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