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鑑定士レインの起源の眼

第1話 第1話

第1話

第1話

血飛沫が宙を舞い、巨大な影が地響きと共に倒れた。

 森の開けた場所に横たわるのは、体長五メートルを超えるグラントベア——Bランク指定の討伐対象だ。その胸には深々と剣が突き刺さり、焼け焦げた体毛からはまだ煙が立ち昇っている。

「やったぞ! 一撃で仕留めた!」

 勇者パーティのリーダー、ガルドが血に濡れた大剣を引き抜いて高々と掲げた。銀の鎧が夕陽を弾く。絵になる男だった。

「ガルドさんの一撃が入る前に、私の火球で動きを止めたからですけどね」

 魔法使いのセレナが杖を肩に乗せて笑う。赤い髪を風になびかせながら、余裕の表情だ。

 僧侶のミラが回復術の残光を消しながら頷く。剣士のカイルが鼻を鳴らして腕を組む。四人が四人とも、勝利の余韻に浸っていた。

 その輪からやや離れた場所で、レインは鑑定眼鏡を外して布で拭いていた。

 レンズに薄くひびが入っている。買い替える金はない。

 ——グラントベアの弱点は左脇腹の鱗の隙間。属性は地。火属性が有効。鱗の内側に魔力核があり、そこを貫けば即死する。

 その情報を戦闘前にパーティへ伝えたのはレインだ。セレナが火球を選んだのも、ガルドが左脇腹を狙ったのも、全てレインの鑑定結果に基づいている。

 だが、誰もそのことに触れない。

「レイン、素材の回収やっといて」

 ガルドが振り返りもせずに言った。

「……了解」

 レインは黙って鑑定眼鏡をかけ直し、巨大な死骸に歩み寄った。毛皮に染みた血の鉄臭さが鼻を突く。膝をつき、鑑定を起動する。右の牙——魔力含有量十分、傷なし。高値で売れる。左の牙——先端に微細な亀裂。等級は落ちるが、まだ使える。爪は六本中四本が無傷。魔力核は——。

 視界の端に、ノイズが走った。

 文字のような、文字でないような。ちらつく光の断片。最近になって頻繁に現れるようになった症状だ。鑑定眼鏡の不調か、あるいは自分の眼の問題か。

 レインは軽く頭を振ってノイズを追い払い、素材の解体作業に戻った。

 一人で。

 王都ベルディアの冒険者ギルド、その受付窓口。

 依頼完了の報告を終えたガルドが、報酬の入った革袋を受け取った。ずしりと重い音。Bランク討伐の報酬は金貨三十枚。四人パーティなら一人あたり七枚と銀貨数枚——そうなるはずだった。

「配分、いつも通りでいいな」

 ガルドが革袋を開き、金貨を並べ始める。

 ガルドが十枚。セレナが八枚。カイルが七枚。ミラが四枚。

 残りの一枚が、レインの前に置かれた。

「これだけですか」

「文句があるのか?」

 ガルドの声が低くなる。ギルドの喧噪の中でも、はっきりと聞こえる声圧だった。

「お前は戦闘に参加していない。素材の目利きと解体をした分として一枚出してやってるんだ。感謝しろ」

「鑑定がなければ、弱点も属性もわからなかった」

「そんなの見ればわかる。グラントベアの弱点なんて冒険者なら常識だろう」

 ——嘘だ。グラントベアの個体ごとに魔力核の位置は異なる。今回の個体は通常より核が深い位置にあり、セレナの火球で外殻を焼かなければガルドの剣は届かなかった。

 だがレインは口を閉じた。言っても無駄だと、三年間で学んでいる。

「ミラ」

 ガルドが僧侶の名を呼ぶ。

「あ、はい……配分、異議ありません」

 ミラは一瞬だけレインと目を合わせ、すぐに逸らした。申し訳なさそうに唇を噛んでいたが、それだけだった。

 セレナは最初から興味がない。カイルは鼻で笑っている。

 レインは金貨一枚を握り、ギルドの酒場を出た。

 その夜の宿は、宿屋の馬小屋だった。

 正確には、宿屋の裏手にある元・物置小屋。壁板の隙間から夜風が吹き込み、干し草の埃っぽい匂いが充満している。パーティの宿泊費はガルドが一括で払うが、レインに割り当てられるのはいつもここだ。

「表の部屋は四つしかないからな。お前は荷物番も兼ねてここで寝ろ」

 そう言われたのは、いつだったか。もう思い出せないくらい前だ。

 レインは干し草の上に外套を敷き、横になった。天井の板の隙間から星が見える。この宿は王都の中でも安い部類だが、それでも表の部屋には暖炉がある。壁に隙間はない。ベッドもある。

 ——金貨一枚。

 三年前、勇者パーティに加入した時は違った。ガルドは「鑑定士は重要な戦力だ」と言い、報酬も均等に分けていた。変わり始めたのは、パーティのランクが上がってからだ。ガルドの剣技が冴え、セレナの魔法の威力が増し、カイルが前線で暴れ回るようになると、レインの「鑑定」は徐々に軽んじられるようになった。

 戦えない。魔法も使えない。剣も振れない。

 ——お前がやっていることは、道具屋の親父でもできる。

 いつだったか、カイルに面と向かって言われた言葉だ。

 言い返せなかった。レイン自身、そうかもしれないと思い始めていたからだ。

 視界の端に、またノイズが走る。今度は少し長い。文字列のように見えるが、読めない。鑑定眼鏡を外しても消えない。裸眼でも見える。

 ——眼の病気だろうか。

 金貨一枚では医者にもかかれない。

 レインは寝返りを打ち、目を閉じた。ノイズは瞼の裏でもちらついていたが、やがて疲労が意識を奪った。

 翌朝、ギルドの大広間は冒険者で溢れていた。

 年に二度の冒険者査定会。ギルド公式の鑑定水晶を使い、全冒険者のランクと適性を再評価する。ランクの昇格もあれば、降格もある。冒険者にとっては報酬の等級に直結する重要な行事だった。

 大広間の中央に据えられた鑑定水晶が青白い光を放っている。その周囲をギルド職員が取り囲み、順番に冒険者を呼んでいく。

「勇者パーティ、ガルド。Aランク・剣士。——据え置き」

 歓声。ガルドが余裕の表情で水晶から手を離す。

「セレナ。Bランク・攻撃魔法使い。——昇格審議対象、Aランク候補」

 セレナが嬉しそうに髪を撥ねる。周囲から口笛が飛ぶ。

「カイル。Bランク・剣士。——据え置き」

 カイルが舌打ちするが、Bランク維持なら悪くはない。

「ミラ。Bランク・僧侶。——据え置き」

 ミラが静かに一礼して下がる。

 そして。

「レイン。——Dランク・鑑定士(汎用)」

 大広間が一瞬、静まった。

 Dランク。パーティの最低構成員ですら通常はCランクを維持する。Dランクは駆け出し、あるいは引退間際の冒険者に与えられる等級だ。

 レイン自身、驚いていた。鑑定の腕が落ちた実感はない。むしろ、最近はノイズが増えた分だけ、何かが変わり始めている感覚すらあった。だが水晶の判定は絶対だ。

「やっぱりな」

 ガルドの声が背後から聞こえた。レインが振り返ると、ガルドは腕を組み、待ち構えていた表情をしていた。

「Dランクの鑑定士なんざ、街の道具屋にもいる。ずっと考えてたんだが——」

 ガルドがレインの肩を掴む。力が強い。

「お前の席は、もうない」

 周囲の冒険者たちの視線が集まる。だが誰も口を挟まない。勇者パーティの内部事情に首を突っ込む酔狂はいなかった。

「三年間の功績を考慮する気は」

「功績?」ガルドが鼻で笑った。「素材の仕分けと荷物持ちの功績か?」

 レインの視線がミラに向く。ミラは唇を震わせていた。

「……ごめん、レイン」

 小さな声。ほとんど吐息に近い。

 ガルドがミラを一睨みする。ミラは口を閉じ、視線を床に落とした。

 セレナは窓の外を見ている。カイルは薄笑いを浮かべている。

 ギルド職員が事務的な口調で告げた。

「所属パーティ欄を抹消します。レイン様、冒険者証をお預かりします」

 レインは冒険者証を差し出した。職員が刻印器で所属欄を削り取る。金属が擦れる小さな音が、妙に大きく聞こえた。

 ——三年間。

 レインは何も言わなかった。振り返らず、大広間を出た。

 王都の裏路地は薄暗かった。

 建物の間から差す光は細く、石畳は湿っている。レインは壁に背を預け、空を見上げた。荷物は背嚢ひとつ。中身は替えの服と、壊れかけの鑑定眼鏡と、金貨一枚。三年間の全てが、それだけだった。

 怒りはあった。だが不思議と、絶望はなかった。

 ずっと感じていた違和感——自分がいなくてもパーティは回る、という思い込みと、自分がいなければパーティは判断を誤る、という確信。その矛盾が、今日ようやく決着した。

 ——ガルドは俺の価値を知らない。俺自身も、正確には知らない。

 視界の端で、ノイズがちらついた。

 今までで一番長い。文字の羅列のように見える。読もうとすると消える。追いかけると逃げる。だが今夜のノイズは、どこか違った。

 輪郭が、少しだけはっきりしている。

 レインは目を細め、ノイズに意識を向けた。文字列が揺れる。形を成しかけて、崩れる。また集まる。

 ——もう少しで、読める。

 その感覚だけを残して、ノイズは闇に溶けた。

 明日からどうするか。ギルドの依頼は冒険者証があれば個人でも受けられる。だがDランクの鑑定士に回ってくる仕事など、薬草の仕分けか、せいぜい出土品の簡易鑑定くらいだ。

 レインは壁から背を離し、安宿を探して歩き始めた。

 視界の端で、ノイズがまた一瞬だけ瞬いた。今度は——ほんの一瞬だが——『起源』という二文字が読めた気がした。

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