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スキルなしと告げられた俺に、女神は『万能の加護』をくれた

第3話 第3話

第3話

第3話

中央通りに出ると、朝の喧騒が一気に押し寄せてきた。

 露店が並び、商人が声を張り上げ、荷車が石畳を軋ませている。人混みの密度が村とは段違いだ。果物売りの黄色いテントの横を抜け、肉の焼ける匂いに腹が鳴り、干し肉の残りがいつ食べたきりか思い出せなくなった頃——路地裏から、声が聞こえた。

 悲鳴ではない。押し殺したような、助けを求める声だ。

 足が止まる。中央通りの人々は誰も気づいていない。あるいは気づいていて、聞こえないふりをしている。村で俺に向けられたのと同じ種類の無関心が、ここにもあった。

 ——関係ない。ギルドが先だ。

 頭ではそう思った。だが身体の奥の井戸が、また脈打った。グレイプレデターのときと同じだ。逃げろという理性と、行けと叫ぶ衝動。

 今度は、衝動のほうが速かった。

 路地裏に踏み込む。石壁に挟まれた薄暗い通路の奥に、三人の男と一人の少女がいた。

 男たちは揃いの革鎧を着ている。腰に短剣、腕に筋肉。冒険者か、あるいは冒険者崩れか。少女は壁際に追い詰められていた。栗色の髪を後ろで一つに縛り、商人風の旅装を身につけている。背負い袋を胸の前で抱え込んで、男たちを睨んでいた。怯えてはいるが、目は死んでいない。

「だから言ってんだろ、通行料だよ。この路地を通るなら銀貨三枚」 「通行料なんて聞いたことないです。どいてください」 「おう、生意気な嬢ちゃんだな。じゃあ荷物で払ってもらおうか」

 先頭の男が少女の腕を掴もうとした。

「——やめろ」

 声が出ていた。三人の男が振り返る。路地の入口に立つ俺を見て、一瞬だけ警戒し——すぐに表情が緩んだ。そりゃそうだ。錆びた短剣に汚れた旅装。どう見ても脅威じゃない。

「なんだ、ガキか。ヒーローごっこなら余所でやれ」 「その子を離せ」 「聞こえなかったか? 消えろっつってんだ」

 先頭の男が面倒くさそうに近づいてきた。右手を伸ばし、俺の胸ぐらを掴もうとする。

 身体が動いた。

 グレイプレデターのときと同じだ。意識より先に身体が反応する。右手で男の腕を払い、左手を突き出した。井戸の底から何かがせり上がる。止めなきゃ、と思った瞬間にはもう遅かった。

 風が炸裂した。

 左手から放たれた突風が、路地裏を暴風域に変えた。三人の男が木の葉のように吹き飛ぶ。壁にぶつかり、地面を転がり、一人は路地の出口まで飛ばされた。だがそれだけじゃなかった。風は路地裏を突き抜けて、中央通りまで到達した。

 屋台が吹き飛んだ。

 果物売りのテントが骨組みごと宙を舞い、隣の焼き串屋の看板が折れ、その向こうの革細工屋の商品棚がドミノ倒しになった。林檎が石畳を転がり、串がばらまかれ、革のベルトや手袋が風に舞う。悲鳴と怒号が立ち上がり、中央通りが一瞬で修羅場になった。

「——あ」

 左手を見る。痺れている。手のひらが赤い。グレイプレデターに撃った衝撃波と同じ感覚だが、今回は属性が違う。風だ。風魔法。俺の意思では止められなかった暴風が、路地裏を抜けて屋台三軒を壊滅させた。

 暴漢たちは地面に転がったまま呻いている。戦闘不能だが、命に別状はなさそうだ。問題はそこじゃない。

 壊れた屋台の残骸を見る。果物は潰れ、串焼きの炭は散乱し、革細工は泥まみれだ。被害総額を想像して、血の気が引いた。

「……やりすぎた」

 呟いた俺の後ろで、笑い声が聞こえた。

 振り返る。壁際にいた少女が、口元を手で押さえて笑っていた。怯えた様子はない。さっきまで三人の暴漢に囲まれていた人間の反応とは思えなかった。

「力の使い方、全然わかってないでしょう」

 少女の声は落ち着いていた。年は俺と同じか、少し下。栗色の髪の下の茶色い瞳が、俺を真っすぐに見ている。面白いものを見つけた子供みたいな目だ。

「……助けたのに、その反応か」

「助けてくれたのは感謝してる。でも、屋台三軒は巻き添えにしすぎ」

 返す言葉がなかった。

「風魔法でしょ、今の。詠唱なしで、あの出力。見たことない。でも方向制御ができてないし、出力の加減もめちゃくちゃ。暴漢を飛ばすだけなら、今の十分の一で十分だったのに」

 的確すぎる分析だった。魔法の知識がある。ただの商人の少女じゃない。

「あんた、何者だ」

「エルナ。旅の商人。あんたは?」

「——レン。冒険者志望、というか、さっきこの街に着いたばかりだ」

「見れば分かる」

 エルナは俺の装備を一瞥して、遠慮なく言った。

 中央通りから怒声が近づいてくる。壊れた屋台の主たちだ。赤ら顔の大男が肉串の残骸を握りしめて路地裏に突入してきた。

「おいっ、誰だ俺の屋台を吹っ飛ばしたのは!」

「あー……すみません」

「すみませんで済むか! 銀貨三十枚分の商品がパァだぞ!」

 銀貨三十枚。冒険者の初級依頼で日当が銀貨二、三枚だと教本に書いてあった。途方もない額だ。果物売りと革細工屋も駆けつけてきて、被害報告が積み上がる。果物が銀貨十五枚、革細工が銀貨二十枚。合計——銀貨六十五枚。

「……払います。必ず」

 言うしかなかった。自分がやったことだ。

「どうやって払うつもり? あんた、銀貨一枚持ってないでしょ」

 エルナが横から口を挟んだ。事実だから何も言えない。

「冒険者ギルドで依頼を受けて——」

「銀貨六十五枚。最低ランクの依頼報酬で割ると、三十回以上。毎日こなしても一ヶ月。その間の宿代と食費を差し引いたら、三ヶ月はかかるね」

 計算が速い。商人の血か。

 屋台の主たちが腕を組んで俺を睨んでいる。衛兵を呼ばれたら、最悪牢屋行きだ。ギルドに登録すらしていない身元不明の人間が、街中で魔法を暴発させた。言い訳のしようがない。

「——私が保証人になる」

 エルナが一歩前に出た。背負い袋から革の手帳を取り出し、屋台の主たちに見せる。

「エルナ・マルセン。アルテス商会の登録商人です。この人の弁償金は、私が立て替えます。返済は冒険者ギルドの依頼報酬から天引きする形で。分割払いの誓約書を今ここで書きますが、それで手を打ってもらえませんか」

 屋台の主たちが顔を見合わせた。商会の名前に信用があるのか、渋々ながら頷く。エルナは手際よく誓約書を三枚書き上げ、署名を集め、俺にペンを渡した。

「ここにサイン」

「——なんで助ける」

「助けたんじゃない。投資。あんたの力、出鱈目だけど本物でしょ。ちゃんと制御できるようになれば、銀貨六十五枚なんてすぐ取り返せる」

 投資。商人らしい理屈だった。だが、その目は損得だけで動いている目じゃない。さっき暴漢に囲まれていたとき、助けを待つのではなく自分で睨み返していた目だ。この少女は、自分の足で立とうとしている。

 サインした。名前を書くだけの行為が、妙に重かった。

「よし、成立」

 エルナが誓約書を畳みながら言った。

「まずギルドで登録。それから依頼を回して弁償金を稼ぐ。あんたが力の暴発で街を壊さないように、私が横について制御を見る。文句ある?」

「ない」

 文句を言える立場じゃなかった。屋台を壊し、借金を背負い、見ず知らずの少女に保証人になってもらった。冒険者志望の初日としては、最悪の滑り出しだ。

 だが——悪い気分じゃなかった。

 村を出てから、初めて人とまともに会話した気がする。カイトに追い出され、衛兵に鼻で笑われ、暴漢を吹き飛ばし、屋台を壊した。その全部を見た上で「投資」と言い切る人間が目の前にいる。

「行くよ。ギルドはこっち」

 エルナが歩き出す。中央通りの喧騒の中に、壊れた屋台の残骸がまだ散らばっていた。果物売りの老人が林檎を拾い集めているのが見える。申し訳なさが胸を刺した。あの人たちの生活を、俺の制御不能な力が壊した。

 ——制御しなきゃいけない。

 グレイプレデターのときも、今回も、力は勝手に出た。俺の意思で起動したものは一つもない。次にまた暴発したら、屋台どころじゃ済まない。人を傷つけるかもしれない。守ろうとした相手を、自分の力で。

 エルナの背中を追いながら、身体の奥の井戸に意識を向ける。水面は穏やかだ。だが、底は相変わらず見えない。

「——エルナ」

「なに」

「さっき、俺の魔法を見てすぐ分析してたな。風魔法だとか、出力がどうとか」

「うん」

「普通の商人にできることか、それ」

 エルナは振り返らなかった。ただ、歩調が一瞬だけ乱れた。

「普通じゃない商人なんでしょ、私が」

 それだけ言って、足を速めた。中央通りの先に、大きな建物の看板が見えた。交差した剣と盾の紋章。冒険者ギルド。

 その扉の前で、エルナが立ち止まった。

「一つだけ言っておく。あんたの力、さっきの風魔法だけじゃないでしょ。昨夜あたり、何か別のも使ったはず。身体の消耗具合で分かる」

 鋭い。衝撃波のことを見抜いている。やはりただの商人じゃない。

「中に入ったら、力のことは最低限しか言わないで。この街には——面倒な耳を持った人間がいるから」

 エルナの声が、初めて低くなった。

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