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守護者の刃 ―最弱ギルドの再起―

第2話 第2話

第2話

第2話

──歩き出した俺の背に、ミオの足音が二歩遅れて貼りつく。

振り切るには面倒な距離。撒くには彼女の脚が短すぎる。広場の石畳を踏む俺の歩幅を、ミオは半分の刻みで二倍打って追ってきた。靴底が石を擦る音が二系統並走する。

「ノエルさん、待って」 「無理だ」 「無理ってなんですか!」

噴水の古参プレイヤーが、視界の端で動いた。指先がメニューに沈む。フレンド申請か、ギルドチャットへの一行か。どちらにせよ、俺の存在を誰かに通知する動作だ。広場で立ち止まれば包囲される。動きながら、別ルートに切る。

「ミオ」 「なんでそこ呼び捨て」 「南門に逃げる。ついてきても置いてく」 「えっ、待っ──」

俺は会話を切って、商店通りの裏に折れた。

二年前と路地の構造は変わっていない。古参の癖で、店並びの隙間にある巡回NPCの死角と、システム的に座標が荒くなる継ぎ目を、足が勝手に拾っていく。三本目の角でようやく息を整えると、後ろからピンクの頭が、半泣きの顔で追いついてきた。

「ひどいです」 「悪い」 「悪いと思ってない顔ですよそれ」

息が乱れている。新規プレイヤーは、VR内で全力疾走しただけで現実の心拍が同期して上がる。俺は壁に背を預けて、彼女のレベル表示を眺めた。レベル2、装備は支給品の杖、所持金は俺と同程度。チュートリアル中で、ろくな防具もない。

「お前、なんで追ってきた」 「だって、玖城って」 「言うな」 「言いません、もう。……でも、私あなたの剣、知ってます」

腕の中の杖を握り直しながら、ミオは口の端だけで小さく笑った。怯えではない。確信を確かめる笑い方だ。

──この子は、危ない。

そう判断したとき、路地の奥から、聞き慣れない足音が三つ。

革鎧の擦れる音、金属同士が打ち合う鈍い響き、笑い声をひとつ咳払いで隠す音。気配の重みで装備等級が読める。少なくとも、新規ではない。

「お、いたいた。ピンク頭」

先頭の男が、にやけた口で路地の入口を塞いだ。

両手剣、レベル四十二、鎧のエンブレムは見覚えがない弱小ギルドのもの。後ろの二人は短剣使いと弓使いで、装備の擦り切れ方からして、初心者狩り常連だ。新規の所持金と支給装備を狩って小銭を稼ぐ、サーバーに必ず湧くタイプの寄生虫。

「お嬢ちゃん、初日にしては足速えなぁ。逃げ回るから手間取ったぜ」 「あの、私──」 「金、全部置いてけ。装備もだ。チュートリアル装備でも売れんだよ、最近」 「それ、もう四回目です」 「あ?」

ミオが、震える指で杖を握り直しながら、それでも口を開いた。

「四回目、なんです。広場、出てから」

俺は一瞬、彼女の横顔を見直した。顔は青いが、目は据わっている。俺と出会う前から、すでに三回カモにされていた。逃げ続けて、逃げ場を探して、それで広場で俺に声をかけたのか。

ようやく、合点がいく。俺の挙動が異質だったから観察したんじゃない。守ってくれる相手を探していたんだ、彼女は。

「で、お前は何だ。新顔の用心棒気取りか?」

両手剣の男が、俺に視線を移す。

レベル1、装備は支給品の鉄剣。男の目に映る俺は、彼にとってもう一人ぶんの獲物だ。男の唇が舐められる。後ろの弓使いが、軽い気持ちで弦に矢を番えた。短剣使いが、半歩、横に回る。三角形の包囲。

「ミオ、下がれ」 「えっ」 「壁まで」 「は、はい」

俺は、左手で柄を撫でた。

麻紐の摩擦。指の腹に、まだ熱が残っている。さっき森で兎を斬った余韻だ。脈は上がっていない。それが嫌な合図だ、と思いながら、俺は男に正対する。

「やめとけ。装備分の値段じゃ釣り合わない」 「あ?」 「お前の経験値の話だ」

男の眉が一度跳ねて、嗤いに変わる。レベル四十二が、レベル1に経験値を惜しめと言われたのだ。屈辱と愉悦が同時に頬に浮く。男の踏み込みが、半歩深くなる──そこを、俺は読んでいた。

弓のリリース音より、男の踏み込みが先。短剣使いの足音は、男の二拍後ろで揃う。三人とも、息と動作の同期が雑だ。連携を組んでいるつもりで、組めていない。普段からPT戦闘をしている人間の歩幅じゃない。新規狩りに最適化した、囲んで殴るだけの三人。

──四秒で済む。

俺は、最初の一歩を踏み出した。

矢が頬の右をかすめる前に、刃は男の籠手の隙間に滑り込んでいた。剣士見習いの基礎モーション「鉄牙」の発動硬直を、踏み込みの慣性でキャンセルする。スキルツリーの裏側を知らなければ出来ない繋ぎだ。男の両手剣はまだ振り上げの途中で、俺の刃は既に男の腋の下を抜けて背後に流れている。

「がっ──」

男のHPバーが、半分から赤に。さらにもう一閃。剣の戻りで頸動脈相当のヒットボックスを撫で、ダメージ判定が二重に乗る。男のアバターが粒子になって崩れ始める。

弓使いが、矢を継ぎ直そうとした手を止めた。短剣使いが、半歩、後ろに退いた。退いた、という事実が、もう敗北だ。

「待っ──」 「悪い、四秒のタイマーだ」

短剣使いの懐に踏み込み、剣の腹で胸甲の継ぎ目を打った。スタン値が一気に飽和する仕様を、俺は二年前から知っている。男の体が硬直したまま倒れる前に、俺は剣を返して、棒立ちのままの弓使いの喉元に切先を当てた。

「降りるか、消えるか」

弓使いの口が、酸欠の魚みたいに開閉した。彼は弓を放して、両手を上げた。それでもダメージは入る。HPバーが残り一割で点滅する。俺は剣を引いた。とどめを刺さなかったのは、慈悲じゃない。配信を意識した。

──既に、誰かが録っている。

そう感じる視線の重さが、路地の屋根の影から落ちていた。観察している誰かのカメラ起動の気配。広場の古参プレイヤーから、もう情報が流れている。「無名の剣士」の動向は、たぶん今この瞬間も、誰かのリアルタイム配信に上がっている。

逃げる弓使いの背中が、路地の角を曲がって消えた。

足元の地面に、男のドロップアイテムが二つ転がっている。両手剣と、安いポーション瓶。俺はそれを拾わない。報酬を拾うのは、PK返しを名分にしないという宣言になる。拾わなければ、ただの正当防衛だ。

「ノエルさん」

ミオが、壁から離れて、こちらに歩いてくる。

途中で、彼女の足が止まった。彼女の視界の端、崩れていく男のエフェクト粒子を見て、息を呑んだのが、肩の動きで分かった。彼女は怖がっている──のと同時に、安心している。それが分かる目をしていた。

「私、四回も逃げ続けて、もう諦めかけてたんです。チュートリアル中の人を狙うパーティーがいるって、噂で聞いてて、でも初日でログアウトしたら負けな気がして」

「うん」

「だから、ありがとう」

短い礼が、路地の壁にぶつかって、跳ね返ってこない。湿った石の匂いが、ようやく鼻に戻ってきた。心拍が、いまさらのように、ゆっくり上がる。彼女の声に、安堵が一拍混ざっていたからだ。それが、俺の中の何かを、二年ぶりに小さく揺らした。

ステータスメニューに、通知ランプが点滅している。

俺は迷ったが、開いた。

掲示板のスレッド更新通知が、フォルダの上から三件、勢いよく積まれていた。

【速報】広場に出た無名剣士、初日にPK返り討ち四秒 【動画】チュートリアル装備で40台パーティー瞬殺の件 【考察】こいつ、二年前に引退した『あの剣士』じゃね?

スレッドのレス数が、一桁ずつ増えていくのが、リアルタイムで視認できる速度だ。誰かが録画を切り抜き、誰かがそれを掲示板に貼り、誰かがフレームを比較している。塗り替えたはずの剣筋を、もう何百人が解析にかけている。

──早すぎる。

「ノエルさん、これ」

ミオが、自分のメニュー画面を、俺の方に向けて見せてきた。彼女の画面にも、同じスレッドが上がっている。新規プレイヤーが初日に踏むべき情報じゃない。掲示板の文化に、彼女はもう慣れている。動画を何百本も観ていた、というさっきの言葉が、嘘ではないと知る。

「無名の凶悪剣士、ですって」 「凶悪は心外だ」 「四秒で三人ですよ?」 「二人だ。一人は降参した」 「そういう問題じゃないですよ……」

ミオが少しだけ笑った。

笑ったあとで、彼女のメニュー画面が、ぽん、と通知音を鳴らした。続いて、俺のメニューも、半拍遅れて鳴る。

差出人匿名の、ダイレクトメッセージ。

『今夜二十二時、低層闘技場・第三リング。一対一を所望する。逃げないでほしい。──二年待った』

文面は、たったそれだけだった。

差出人欄は空白で、ID追跡もブロックされている。送信者の権限じゃ、本来ありえない仕様の隠蔽。運営寄りの権限を持つ者か、抜け道を知っている古参か。心当たりは、一つしかなかった。

俺は、メニューを閉じた。

「ノエルさん、これ」 「見るな」 「もう見ました」 「……だろうな」

ミオが、俺の袖を、人差し指の先だけでつまんだ。麻のチュニックの裾が、ほんの少しだけ引かれる。引き留めるには弱すぎる力で、けれど、引き留めようとしているのは伝わる握り方だった。

「行くんですか」 「行く」 「私も」 「来るな」 「行きます」

俺は答えなかった。代わりに、左手で柄を、もう一度撫でた。

麻紐の摩擦が、指の腹で、二年前の温度に戻っていく。路地の屋根の隙間から、夕方の光が斜めに落ちて、剣の鞘の縁で薄く跳ねた。

俺は、闘技場の方角へ、一歩、踏み出した。

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