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錆びた剣十四振り──亡国王子の革命譚

第3話 第3話

第3話

第3話

ベオの報告が、坑道の闇に静かに沈んだ。

十四。徒歩。蹄鉄に布を巻いた暗殺者の足取り。

ガレンは錆びた剣の柄を、もう一度、掌で握り直した。老騎士の呼吸は、意外なほど乱れていなかった。三十年、王旗の下で矢と槍を受けた男である。この程度の闇に、怯えるほどの余生は、もう残していなかった。

「殿下」マルシスが潰れた左耳を岩壁に押しつけた。「足取りに、躊躇がない。坑道の裏口を、完全に読んでおります」

「カイゼルを追ってきたか」ヨハンが囁いた。「――いや」

いや、とヨハンが呻いた意味を、レオニスは即座に覚った。暗殺者十四を単身で坑道に差し向ける主は、枢機卿より他にない。そして、その匕首はカイゼル一人に向けたものではなかった。王家の生き残り十四人の噂が、すでに坑道に渡り、今、同じ闇の底で重ねて葬られようとしている。――刈り取れる芽は、まとめて刈り取る。枢機卿は、そういう男だと、三年前から聞かされていた。

岩棚の上で、カイゼルの瞼が開いた。男は起き上がり、脇腹の麻布を押さえながら、坑道の奥を見た。

「――枢機卿の犬だ」カイゼルは言った。「俺の脇腹に矢を打ち込んだ、あの匂いがする」

「どうしてわかる」ヨハンが睨んだ。

「油の匂いだ」カイゼルは短く答えた。「枢機卿庁の石弓は、黒檀油を塗る。三日前、俺の背後で嗅いだ匂いと、同じものが、この坑道の風に乗っている」

ベオが、首筋の空気を鼻で読んだ。それから、小さく頷いた。確かに、雫の匂いに、微かな油の膜が混じっていた。

レオニスは、岩棚のカイゼルに目を向けた。男の長剣は、まだ岩の上に置かれたままだった。

「剣を取れ」レオニスは言った。「――明朝の答えは、今、受け取る」

カイゼルは、一瞬、レオニスの瞳を見た。それから、無言で剣を拾い、鞘から半ば抜いた。蛇の紋の擦り消えた鞘が、岩の肌で鈍い音を立てた。

戦闘は、短かった。

ブラムが坑道の天井に仕掛けていた落盤用の木枠を、ヨハンの合図で蹴り落とした。岩塊三つが、先頭の暗殺者二人を薙いだ。ベオは闇の底で短弩を構え、松明の明かりに照らされた三人目の咽喉を、矢一筋で貫いた。マルシスは坑道の角で刃を待ち伏せ、斬り上げの一手で、鎖帷子の腋の下を裂いた。

そして、カイゼル。

男は松明の陰から踏み込み、三人の暗殺者を、息を三つ吐く間に崩した。斬撃の一つは、脇腹の傷が開くのも構わぬ振りだった。王都流の細剣は、鎖帷子の環を縫うように刃先を走らせ、咽喉の脇、肩の関節、膝裏の腱を、順に断った。ヨハンが息を呑んだ。――三年前、王都の石廊で近衛を屠ったラスベルグ家の剣筋が、今、自分たちの味方の位置から、敵の鎖帷子を裂いていた。

残る七人は、退いた。

坑道の奥に、黒い血と油の匂いが、重く沈んだ。カイゼルは壁に凭れ、脇腹の麻布を押さえた。血が、指の間から新しく滲み出ていた。

ガレンが、倒れた暗殺者の一人の前で屈み、頭巾を剥ぎ取った。剃り上げた額に、枢機卿庁の鷲の焼印が残っていた。

「……鷲じゃな」ガレンは呟いた。「父王を討った蛇の紋では、もはやない」

三年前、王都の石廊を染めた血の色と、今、坑道の床に広がる血の色は、同じ赤だった。だが、その赤を流させた手は、すでに別の者の手に移り替わっていた。ガレンは、焼印の鷲を、指で一度だけ撫でた。三十年、王旗を掲げた手である。その指が、敵の紋に触れる日が来るとは、思っていなかった。

レオニスは、錆びた剣を鞘に戻した。獅子の柄頭が、返り血で濡れていた。

「カイゼル・フォン・ラスベルグ」レオニスは言った。「貴殿の手の意味を、もう一度、儂の前で、言え」

カイゼルは、壁に凭れたまま、息を整えた。脇腹の血が、岩肌を伝って落ちていた。それでも男の声は、坑道の闇を貫いて、真っ直ぐに届いた。

「玉座は、くれてやる」カイゼルは言った。「ファルスヴェルンの王冠は、貴殿が戴け。俺は手に触れぬ。――その代わり、首謀者の首は、俺が貰う。枢機卿を斬るまで、俺の剣は、貴殿の兵と同じ方を向く」

「それだけか」

「それだけだ」カイゼルは言った。「信義ではない。利の符合じゃ。貴殿は王家の仇を、父の代で終わらせる。俺は父の仇を、自分の代で終わらせる。――血の筋は、そこで閉じる」

ヨハンが、錆びた剣を抜いた。

刃が、坑道の闇に、鈍い線を引いた。ヨハンの喉元から、三年近く封じていた声が、震えて漏れた。

「『血の筋は、そこで閉じる』じゃと」ヨハンは呻いた。「貴様の父が、王妃様の胸を刺した夜、儂は、王妃様の最期の息を、この袖で受けた。その袖の染みは、三年経っても、落ちぬ。――筋は、そこでは閉じぬ」

ヨハンの錆剣の切先が、カイゼルの喉元、ちょうど三年前に王妃が刺された高さに、突きつけられた。

マルシスが、一歩踏み出した。潰れた左耳が、ヨハンの背中に向けられていた。止めるべきか、止めぬべきか――その判断を、老兵は、老騎士の瞳に委ねた。

ガレンは、動かなかった。

レオニスの胸の奥で、父王の印章が、肋骨を叩いた。

三年前の夜。燃える玉座の間。梁が落ち、近衛の屍が血溜まりに沈み、幼い妹の手が、己の掌の中で震えていた。母の声は、石廊の闇の奥から、聞こえなくなっていた。ガレンが叫んだ。「殿下、裏路から! 王妃様は、もう――」もう、と、老騎士は言い切らなかった。十三の王子は、その先を察した。――ラスベルグの蛇が、王妃の胸を刺した。

十三の心が、その夜、ひとつの誓いを、胸底に沈めた。いつか、ラスベルグの血を、一滴残らず、自分の手で絶つ。

錆びた剣の柄が、掌の中で、熱を持った。

いま、その男の息子が、壁に凭れ、脇腹から血を流しながら、己の顔を見ていた。

――斬れ。

胸の底で、十三の声が、囁いた。ヨハンの錆剣が、男の咽喉を裂くのを、止めるな。母の袖の染みを、今、雪げ。三年、懐で温めた印章の重さを、ここで、報いよ。

レオニスは、瞼を閉じた。

閉じた闇の中で、もう一つの声が、重なった。――坑夫の咳。徴兵官に引かれて母の名を呼んだ少年。塩湯を霜に落とした母親。少女の爪の白い岩粉。血の混じった袖の染みを、自分より、はるかに多く抱え込んだ者たちの息。

父王の印章が、胸骨の内側で、熱を増した。獅子と麦穂の紋。――民の塩を、民に。

レオニスは、瞼を開けた。ヨハンに、静かに、言った。

「――剣を、下ろせ」

「殿下、しかし」

「下ろせ、ヨハン」

ヨハンは、唇を噛んだ。錆剣の切先は、カイゼルの咽喉から、一寸も下がらなかった。

「殿下の御心は、儂にもわかっており申す」ヨハンは呻いた。「だが、ここで手を握れば、王妃様の最期の御声が、儂の耳の中で、腐り申す」

「腐らせよ」

レオニスの声は、低かった。自分の喉から出た声とは、思えぬほどに、低かった。

「腐らせよ、ヨハン。儂の胸の底でも、十三の夜の誓いが、今、腐ろうとしておる。――儂は、その腐臭を背負って、民の塩を取り戻す。仇を討つは、その後じゃ」

ヨハンの腕が、微かに、震えた。

レオニスは、カイゼルの前に進み出た。男の脇腹の麻布は、黒く重くなっていた。レオニスは、錆びた剣の柄頭に彫られた獅子紋を、一度、掌で擦った。それから、カイゼルに向かって、右手を差し出した。

「利の符合を、握る」レオニスは言った。「儂が玉座を取り、貴殿が枢機卿の首を取る。――貴殿を斬る日は、そののちに、儂が自分で決める」

カイゼルは、一瞬、息を止めた。

それから、壁から身を起こし、血に汚れた右手を、ゆっくりと、差し伸ばした。男の掌の傷は、新しく開いたものだった。暗殺者の鎖帷子を裂いた際に、己の指も一緒に裂いていたらしい。

二つの掌が、坑道の闇で、重なった。

父を殺した男の息子の血と、その父の印章を懐に抱いた王子の汗が、一つの握手の内で、混ざった。ヨハンが、錆剣を地に落とした。鉄の鳴る音が、坑道の奥まで、一度だけ響いた。

ガレンは、壁に凭れ、静かに瞼を閉じた。老騎士の頬に、一筋、湿ったものが、光った。王妃の最期の息を受けた袖は、三年、洗っても落ちぬ染みを抱えていた。だが今夜、その染みの上に、もう一つ、別の湿りが、重なった。

坑夫頭のブラムは、坑道の奥の暗がりで、その握手を見ていた。

三十年、岩盤を叩き、火薬を扱い、落盤を生き延びてきた男の瞳に、新しい光が灯った。貴族の喧嘩ではなかった。玉座の取り合いでもなかった。――仇の血と、王子の血が、民の塩のために、一本の縄に縒り合わされた夜だった。

ブラムは、左手の失くした小指の跡を、親指の腹で擦った。それから、無言で坑道の奥の火薬庫に向かい、黒色火薬七樽のうち、一樽の封を、指で解いた。

外の闇で、二つの報せが、同時に走り始めていた。

一つ。枢機卿庁の暗殺隊が、坑道で消えた。その沈黙を、枢機卿がどう読むか。二つ。ラスベルグの長子が、王家の生き残りと、坑道で手を握った。その噂を、三領主がどう聞くか。

そして、鉱山の街道の向こう、朝もやの底から、簒奪政権の巡察隊の鐘が、近づいていた。

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