第3話
第3話「野良ギルドの自動端末」
野良ギルド戦の参加登録は、思ったより簡単だった。
闘技場の地下フロアに設置された自動マッチング端末。薄暗い通路の壁際に並んだ端末は、どれも年季の入った筐体で、タッチパネルの端が微かに黄ばんでいる。画面の指示に従って「ソロ参加・ランダムギルド配属」を選択するだけで、システムが自動的にチームを組んでくれる。身元を隠すには好都合だ。アバター名は表示されるが、《不落の独奏者》の二つ名を知っている現役プレイヤーは少ないだろう。三年前の記録を漁るような物好きでなければ、レンという名前に反応する理由がない。
配属先は即座に決まった。《白煙旅団》——ランクはブロンズ。下位リーグの底辺だ。メンバー欄を見ると、レベル帯も装備スコアも低い。明らかに初心者と中級者の寄せ集めだった。
「おっ、新しい人だ。よろしくー」
ギルドチャットに軽い挨拶が流れる。
「よろしく」
短く返した。フードは被ったまま。ステータス画面で《独奏の残響》以外のスキルをすべて外し、汎用の剣技スキルだけをセットする。固有スキルを使えば動きに癖が出る。今はまず、素の自分がどこまで通用するかを確かめたい。
マッチング完了の通知。対戦相手は《山猫遊撃隊》。こちらと同じブロンズ帯、十五対十五。
転移光に包まれ、フィールドが切り替わる。
森林マップ。視界の半分を巨木の幹が占め、木漏れ日が地面にまだら模様を落としている。下草が膝の高さまで生い茂り、足元の感触がロビーのタイルとはまるで違う。湿った土と枯れ葉の匂いまで再現されている。遠くで鳥の声がして、梢を渡る風が頬を撫でた。三年前にはなかったレベルの環境描写だ。
「えーっと、フォーメーションどうする?」
味方のリーダーらしきプレイヤーが、困ったような声を出した。明らかに指揮経験が浅い。周囲のメンバーも反応が鈍く、各自がバラバラに周囲を警戒している。
体が勝手に動いた。
「タンク三枚を正面に。ヒーラーは後方の岩陰。DPSは二手に分かれて左右の茂みに伏せろ。敵が正面から来たら挟撃、回り込んできたらタンクが時間を稼いで合流する」
声に出してから気づいた。指揮を執るつもりはなかった。だが口が、喉が、三年前の俺のまま動いている。脳が考えるより先に、地形を見た瞬間に最適解が喉元まで競り上がってくる。染みついた習性は、三年の空白では消えないらしい。
「お、おう。了解」
リーダーが素直に従った。他のメンバーもぞろぞろと指示通りに動く。下位帯の良いところだ。明確な指示があれば、逆らう理由がない。
開始のゴングが鳴る。
序盤は想定通りに進んだ。《山猫遊撃隊》が正面から接近してくる。タンクラインが受け止め、左右に伏せたDPSが飛び出して——。
噛み合った。
一人目を落とす。連携は荒いが、陣形が機能している。敵の後衛が動揺して位置取りを崩した瞬間、俺は前に出た。タンクの隙間を縫って敵陣に突っ込む。三年前の反射が体を動かしている。剣を抜き、最短距離で敵ヒーラーに迫る。
斬撃。一閃。ヒーラーのHPが七割削れた。
「つっよ! あの人やばくない?」
味方のチャットが沸く。二撃目を振り下ろす。ヒーラーが回復スキルを——。
違和感。
ヒーラーの回復エフェクトが見たことのないものだった。緑色の光ではなく、銀色の粒子が傷口に吸い込まれていく。回復量を示す数字が、予想の倍の速度でHPを押し戻している。知っているスキルツリーのどこにも、この挙動に該当するものがない。三年の間に追加された新系統か——頭の隅でそう結論づける間にも、ヒーラーのHPバーは見る見る回復していく。削った七割が、数秒で半分以上戻されていた。
「なんだこのスキル——」
判断が一瞬遅れた。その一瞬で、横から敵DPSの突進が来る。
回避。間に合った——が、体が覚えている回避モーションと実際のキャラクターの動きに微妙なズレがある。フレーム単位の遅延。三年前なら紙一重で躱せていた攻撃の端が、肩をかすめた。ダメージ表示。わずかだが、確実に被弾している。
「っ——」
立て直す間もなく、敵の第二波が来た。タンクが二枚、正面から突進してくる。盾のスキルが——知らないスキルだ。盾を地面に叩きつけると衝撃波が扇状に広がり、範囲内の味方に短時間のダメージ軽減バフがかかっている。
三年分のメタ知識の空白が、ここに来て一気に牙を剥いた。
敵のスキルが分からない。クールタイムが分からない。射程も効果時間も分からない。分からないまま判断を迫られ、判断が遅れるたびに被弾が増えていく。かつての俺なら、敵のモーションの起こりを見た瞬間にスキルの種類と対応策が頭に浮かんでいた。今はモーションを見ても、その先が読めない。まるで字幕のない外国語の映画を観ているようだった。動きは見える。意味が取れない。
「レンさん、大丈夫? HP結構減ってるけど」
味方ヒーラーの声。大丈夫じゃない。だが返事をしている余裕がなかった。
操作精度も落ちている。頭では分かっている動きを、指が正確に再現できない。コンボの繋ぎで微妙にタイミングがズレ、本来繋がるはずの連撃が途切れる。ダメージ効率が体感で三割は落ちていた。三年のブランクは、想像以上に体に刻まれている。指先が微かに震えているのを自覚して、奥歯を噛んだ。
中盤。戦況が傾き始めた。
俺の指揮で序盤に稼いだリードを、個々の技量差で少しずつ削られていく。味方が一人落ち、二人落ちるたびに陣形が歪む。穴を塞ごうとポジションを変えるが、変えた先で知らないスキルに引っかかる。
「やべ、囲まれた!」 「右のタンク落ちた! 誰かカバー——」 「ヒーラーのマナがもうない!」
チャットが悲鳴で埋まる。俺は歯を食いしばって前線を維持しようとしたが、敵のDPSが三人がかりで俺を狙い始めた。序盤に目立ちすぎたのだ。集中攻撃を捌ききれず、HPがじりじりと削られていく。
最後は呆気なかった。
敵タンクの突進を右に躱したところに、死角からの範囲攻撃。見たことのないスキル——地面から氷柱が突き上がる——に足を取られ、動きが止まった一瞬にDPSの一斉射撃を浴びた。
HP、ゼロ。
灰色の画面。『戦闘不能』の文字が視界の中央に浮かぶ。
リスポーン待ちの暗闘の中で、奥歯を噛み締めた。格下だ。ブロンズ帯の、寄せ集めチーム相手の、十五対十五。それすら満足に戦えなかった。頭の中で、三年前の自分が冷たい目でこちらを見ている気がした。あの頃の俺なら、この程度の戦場は片手間で済ませていた。
試合自体は辛うじて勝った。俺が落ちた後、序盤の指揮で崩した敵の陣形が最後まで立て直せなかったらしい。だが個人成績は惨憺たるものだった。キル数は三。デス数も三。ブロンズ帯の平均と変わらない、凡庸な数字。
「ありがとうございましたー」「レンさんの指揮すごかった!」「また一緒にやりましょう」
解散時のチャットが、かえって痛かった。指揮は通用しても、腕が追いついていない。かつての俺を知る人間が見たら、目を覆うような試合内容だった。褒められるほど、現実との落差が喉に刺さる。
リザルト画面を閉じ、次のマッチングを申請する。ここで止まるわけにはいかない。錆を落とすには実戦しかない。拳を開いて、閉じる。指の震えはまだ残っていた。だが、さっきよりほんの少しだけ、握り返す力が強くなった気がした。
マッチング処理中の画面が回る。数秒後、対戦カードが表示された。
目を疑った。
対戦相手の欄に刻まれた名前——《覇王連合》第三遊撃小隊。ギルドエンブレムは、数時間前に闘技場で見たばかりの黒地に金の王冠。
ブロンズ帯に上位ギルドの精鋭が出てくるのは、本来ありえない。訓練マッチか、新メンバーのテストか。理由は分からない。だが画面に並ぶメンバーのレベルと装備スコアは、さっき戦った《山猫遊撃隊》とは次元が違っていた。一人一人の数値が、このランク帯では見ることのない桁に達している。
味方チャットが凍りついている。誰も何も言わない。
俺は深く息を吸い、剣の柄を握り直した。