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煉獄体:Gランクの微熱

第1話 第1話

第1話

第1話

朝の通学電車で、俺はまた能力理論の教科書を開いていた。

『能力核の出力と制御精度は比例関係にあり、Cランク以上の能力者は例外なく——』

視線が同じ行を三度なぞる。理屈はわかる。出力が高ければ制御の幅も広がる。問題は、俺の能力核が吐き出す熱量が、文字通り体温を一度か二度上げる程度だということだ。

都内能力者管理局が定める七段階ランクの最底辺、Gランク。能力名「微熱」。養成校の実技評価は入学以来一度も最下位を譲ったことがない。同級生たちが付けたあだ名は「カイロ」。冬場に手を握ってやれば少しだけ温かい、それだけの能力。

電車が駅に滑り込み、制服姿の能力者養成校の生徒たちが次々とホームに降りていく。俺——火宮蓮は教科書を鞄に押し込み、その流れに混ざった。

校門をくぐると、すでに朝練の気配が漂っていた。グラウンドの向こうで誰かが風圧を操り、砂埃が渦を巻いている。Bランクの演習だろう。空気を裂く鋭い音が、朝の湿った空気を震わせた。校舎の壁に反響した衝撃波が、制服の裾をわずかに揺らす。あの出力を目の当たりにするたびに、自分の能力核との落差が腹の底に沈む。わかっている。比べても意味がないことくらい。それでも、体がその差を覚えてしまう。

「おーい、カイロ。今日の実技、また最下位の記録更新か?」

振り返らなくてもわかる。同じクラスの遠藤だ。取り巻き二人を従えて、にやにやと笑っている。

「記録は破るためにあるからな」

「おまえの場合、破るっていうか掘るだよな。底を」

笑い声が背中に刺さる。慣れたはずの痛みが、それでも鳩尾の奥を軋ませた。拳を握り込み、何も言わずに歩き出す。握り込んだ掌がじわりと熱を帯びる。感情に引きずられて能力核が反応したのだ。無意識の発動。制御と呼べるほどのものじゃない。ただ、怒りの熱が行き場をなくして掌に溜まっただけだ。

一限目、能力制御学。座学は悪くない。能力の出力が低い分、理論で補うしかないと腹を括ってから、筆記試験の順位だけは中位を維持している。だが養成校で評価されるのは実技だ。どれだけ理論を積んでも、出力がなければ現場では役に立たない——教官たちの目がそう言っている。

二限目、実技演習。

「火宮、前へ」

教官の声に従い、演習場の中央に立つ。的になるのは耐熱ターゲット。Dランク以上なら一撃で焦がせる代物だ。

演習場には三十人近い同級生が並んでいた。前の順番でBランクの生徒がターゲットを赤熱させたばかりで、焦げた樹脂の匂いがまだ漂っている。温度計の表示がリセットされ、二十二度のベースラインに戻る。その数字を、これから俺がどれだけ動かせるか——答えはもうわかっている。

俺は両手をターゲットに向け、能力核に意識を集中させた。体の奥、みぞおちの少し下にある熱の核。そこから熱を引き出し、掌に集める。

——じわり、と手のひらが温まる。

体温が〇・五度上がった感覚。さらに絞り出す。汗が額を伝い、歯を食いしばる。能力核が軋むような圧迫感。それでも出力は微々たるもので、ターゲットの表面温度計は三十八度を示したきり動かない。視界の端で、前の生徒が叩き出した二百度超の記録が掲示板に残っているのが見えた。三十八度。風呂の湯より低い。

「——そこまで」

教官が無感情に記録をつける。周囲から漏れる失笑。「カイロ、今日はちょっと風邪気味?」という囁きに、また笑いが起きた。

演習場を出ると、廊下の窓際に御子柴が立っていた。Bランク能力者で、学年でも五指に入る実力の持ち主。銀縁の眼鏡の奥の目は、いつも冷静で読みにくい。

「今日の出力、先月より〇・三度上がってた」

「見てたのか」

「たまたまだ。——おまえ、まだ型稽古やってるのか」

「やめる理由がない」

御子柴は少し黙ってから、眼鏡の位置を直した。

「能力出力と技術は別物だ。おまえの型の精度は、Cランクの連中より上だと思ってる」

それだけ言って、御子柴は踵を返した。追いかけてくる言葉はない。御子柴はいつもそうだ。必要なことだけを言い、余計な同情は挟まない。だからこそ、あいつの言葉だけは信じられた。

放課後。誰もいなくなった第三演習場で、一人きりの型稽古を始める。

拳を突き出す。引く。踏み込み、体重を乗せる。能力がなくても体は動かせる。能力核からの熱を拳に載せる訓練を、もう二年続けている。成果は——正直、見えない。

それでも繰り返す。

夕日が演習場の高窓から差し込み、埃っぽい空気を橙色に染めていた。影が長く伸びる中、自分の呼吸音だけが壁に跳ね返ってくる。五十回を過ぎた頃から腕が重くなり、能力核への集中が滲むように散り始める。歯を噛んで意識を引き戻す。散らすな。拳の先端に、一点に。御子柴の言葉が頭の中で反響した。——型の精度は、Cランクの連中より上。なら、この精度の先に何かがあるはずだ。

汗が顎から落ちて、演習場の床に染みを作った。百回目の正拳を突いたとき、拳の表面温度が一瞬だけ四十度を超えた気がした。気のせいかもしれない。でも、俺はその一瞬を信じることにしている。

弱い能力でも、使い方次第で戦える。

それは祈りに近い信念だった。だが、祈りを捨てたらGランクの俺には何も残らない。

午後七時。型稽古を終えて校門を出ると、春先の夜気が火照った体を冷ました。最寄り駅までの道は住宅街を抜ける十五分ほどの一本道で、街灯がまばらに続いている。イヤホンを片耳だけ着け、能力理論の音声講義を流しながら歩く。

——異変に気づいたのは、路地裏の手前だった。

空気が、冷たい。

四月の夜にしては異常な冷気が、細い路地の奥から滲み出していた。吐く息が白くなる。気温が局所的に氷点下まで下がっている。これは自然現象じゃない。能力者の気配だ。

肌の表面が粟立ち、腕の産毛が逆立つ。能力核が本能的に反応し、みぞおちの奥でかすかな熱を灯した。微熱が、冷気に抗うように体の内側からじわりと広がる。だが冷気の方が圧倒的に勝っていた。指先の感覚が薄れていく。

立ち止まった俺の耳に、声が届いた。

「——頼む、やめてくれ。金なら払う、いくらでも——」

男の声。怯えきった、喉を絞められたような声。

そして、別の声が被さった。低く、冷ややかで、路地の空気そのものが凍りつくような声。

「払えるのは知ってる。だから取りに来たんだ」

能力の行使を示す低い振動音。直後、甲高い悲鳴が路地の壁に反響し、不自然に途切れた。

足が動いていた。頭では理解している。Gランクの俺が首を突っ込んでいい事態じゃない。だが体が先に反応した。路地の角まで進み、壁に背中を押し付けて覗き込む。

路地の奥。街灯の届かない暗がりの中に、二つの人影があった。

一人は地面に倒れ伏している。スーツ姿の中年男性。その足元から白い霜が広がり、アスファルトが氷に覆われていく。男の唇は紫色に変わり、浅い呼吸のたびに白い靄がかすかに揺れた。意識はあるが、体が動かないのだ。もう一人は、立ったまま倒れた男を見下ろしている。長身、黒いコート。右手から冷気が立ち昇り、路地の壁面に霜の結晶が花のように広がっていた。

——Aランク級の冷気操作。

俺は息を呑んだ。教科書で読んだ数値が頭をよぎる。Aランク能力者の出力は、Gランクの数百倍。理論上の話ではなく、今まさに目の前で証明されている。俺の「微熱」が体温を二度上げるあいだに、こいつは路地ひとつを凍土に変えた。

足元が凍りついている。比喩ではなく、俺の靴底が路地の氷に張り付き始めていた。冷気が俺の存在に気づいたように這い寄ってくる。

黒いコートの男が、ゆっくりとこちらを振り向いた。

街灯の薄い光に照らされた顔。整った造作。そして、感情の欠落した瞳。

俺を見ている。

「——見てたのか」

その一言が、凍てつく空気の中に落ちた。静かで、だからこそ絶対的な宣告だった。

心臓が跳ねる。逃げろ、と本能が叫ぶ。だがその前に、男の右手が持ち上がった。指先から透明な氷の槍が形成されていく。長さ一メートル。先端は針のように鋭い。

Aランク能力者の殺傷術式が、俺に向けられている。

Gランクの「微熱」で、何ができる。

路地裏の冷気が一段と深まり、俺の吐く白い息が凍って砕けた。

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