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未踏灯──Eランクと魔改の石板

第3話 第3話

第3話

第3話

鉱石が手を離れた。

投げた瞬間、レンの視界が白く弾けた。掌から剥がれた鉱石は放物線を描かず、まっすぐに——矢のように——竜種の頭部へ吸い込まれていった。青白い光が尾を引き、空気が焼ける匂いが鼻腔を刺す。焦げた鉄と、雷のあとに残る刺すような臭い。嗅いだことのない匂いのはずなのに、本能が「危険」と叫ぶ種類のものだった。光の軌跡が残像となって網膜に焼きつき、闇に慣れた目が悲鳴を上げた。涙が勝手に滲み、瞬きすらできなかった。

竜種の突進と、鉱石の飛翔が交差した。

衝突音は、なかった。音であるべきものが音になれなかったような、空白の一瞬があった。代わりに空間そのものが痙攣した。床が、壁が、天井が——洞窟全体が一度だけ大きく脈打つように揺れ、レンの足元から振動が膝まで駆け上がった。青白い光が竜種の頭部に触れた刹那、鱗の表面を走っていた紋様が一斉に発光し、直後に砕けるように消えた。ガラスに亀裂が入るときの、あの高く細い音が——ただし何十倍もの規模で——空間を劈いた。

竜種の突進が止まった。

巨体がレンの三歩手前で、糸が切れたように崩れ落ちる。四本の脚が折り畳まれ、扁平な頭部が石の床に叩きつけられた。衝撃で地面が跳ね、レンの体が数寸浮いた。着地した踵に痺れるような衝撃が走り、奥歯が鳴った。横倒しになった竜種の胴体から、ひび割れた鱗がぱらぱらと剥落していく。鱗の下から露出した肉は灰色で、血の色がなかった。

レンは壁に背をつけたまま、動けなかった。呼吸が荒い。心臓が肋骨を殴りつけるように打ち、指先の感覚がない。鉱石を投げた右手が小刻みに震えていた。掌にはまだ鉱石の脈動の残響があって、皮膚の下を何かが這い回るような違和感が消えない。竜種が倒れた事実を、頭が処理しきれていなかった。目の前で起きたことが現実である保証がどこにもない。夢か、幻覚か、あるいは竜種の唸り声に脳をやられて見ている死の間際の走馬灯か——どれであっても不思議ではなかった。

竜種はまだ生きていた。顎の下の鳴嚢が微かに震え、唸り声の残滓が空気を揺らしている。だが、その振動は先ほどまでの圧とは比べものにならないほど弱かった。内臓を直接掴まれるような暴力的な低音はもうなく、今の唸りはむしろ——呻きに近かった。金色の瞳が半開きのまま、虚空を見つめている。瞳孔が焦点を失い、虹彩の中の赤い斑点が色褪せていくのが見えた。

レンの目が、竜種の胸部に吸い寄せられた。

鱗が最も厚く重なっていたはずのその場所に、穴が開いていた。焼け焦げたのではない。溶けたのでもない。鱗と肉と骨が、まるで最初から存在しなかったかのように——円形に、綺麗に、消失していた。穴の直径は拳ひとつ分。その奥に、かすかに脈動する赤黒い塊が見えた。核だ。迷宮の魔物が体内に持つ魔力の結晶。そこにも同じ円形の穴が貫通していた。

鉱石の破片が、鱗を、肉を、核を——すべて貫いたのだ。

「嘘だろ……」

声が掠れた。喉が干上がっていて、自分の声とは思えなかった。Eランクの短剣では傷ひとつつけられなかった鱗を、拾っただけの鉱石の欠片が貫通した。投げただけだ。ただ投げただけだ。身体強化スキルも使っていない。使ったところで同期の半分以下の出力しか出ないスキルが、あの鱗に通るはずがない。

鉱石だ。あの鉱石が持っていた力——掌で脈動した、あの光。あれが竜種の防御を無効化した。レンの力ではない。偶然拾い上げた石の、未知の属性が起こした結果にすぎない。

だとすれば——自分は何もしていない。Eランクのハンターが竜種を倒したのではなく、正体不明の鉱石が竜種を殺しただけだ。レンはただの投擲装置だった。そう理解した途端、安堵よりも先に、腹の底を冷たいものが這った。

竜種の呼吸が浅くなっていた。鳴嚢の振動が間遠になり、唸り声がかすれ、途切れ、消えた。空間から低周波が完全に消えたとき、鼓膜に痛みとも安堵ともつかない感覚が残った。ずっと水中にいた人間が急に水面に引き上げられたような、圧力の消失。耳が静寂を思い出すのに、数秒かかった。

竜種の体が変質し始めた。

鱗の表面から、砂のように微細な粒子が立ち上がっていく。灰色の肌が、縁から浸食されるように崩れ、粒子となって上昇する。青白い鉱石の光を受けて、粒子はかすかに輝きながら天井へ向かって漂い、やがて見えなくなった。分解は静かで、音がなかった。巨大な四足竜種の体が、数分をかけて砂塵に還っていく。脚が消え、胴が消え、尾が消えた。最後に残った頭部が粒子に変わり切る瞬間、金色の瞳がもう一度だけ光を帯びたように見えた。見間違いかもしれない。だが、その光の中に——怒りでも苦痛でもない、何か別の感情が宿っていたと、レンには思えた。

竜種がいた場所には、何も残らないはずだった。通常の魔物なら、核の欠片と魔石がいくつか散乱して終わる。

だが、石の床の上に——漆黒の板が、一枚だけ横たわっていた。

手のひらより一回り大きい、長方形の板。黒いというより、光を吸い込んでいるように見えた。周囲の鉱石が放つ青白い光が、その板の表面に届いた途端に飲み込まれ、反射がない。影すら生まない黒。板の表面には細い線で何かが刻まれていたが、光がないために読み取れなかった。

レンは動けなかった。壁に背をつけたまま、荒い呼吸を繰り返しながら、その漆黒の板を見つめていた。

近づくべきではない。直感がそう告げている。得体の知れないものには触れるな。それはハンターの基本だ。特にこの場所——公式マップに存在しない空間で、図鑑に載っていない竜種を偶然の一撃で倒した直後に現れた未知の物体に、無防備に近づく愚かさは理解している。

だが、レンの足は動いていた。

膝が笑っていた。左肩は落下の痛みが引かず、頬の傷から乾きかけた血が顎を伝っている。それでも足が前に出る。一歩、二歩。竜種が消えた場所の空気はまだわずかに温かく、砂塵の名残が靴先に触れてかすかに舞った。温もりは生き物のそれに似ていて、レンは一瞬、足を止めた。数分前まで自分を殺そうとしていたものの体温の残りを踏んでいる——その事実が、不意に生々しく迫った。

三歩目で、漆黒の板の前に立った。

しゃがみ込む。膝をついた瞬間、左肩に鈍い痛みが走り、奥歯を噛み締めた。近くで見ると、板の表面に刻まれた線はやはり何かの文字か紋様だった。壁面に走っていた紋様とは系統が違う。より古く、より単純な線で構成された、見たことのない意匠。だが光を吸い込む黒い表面のせいで、目を凝らしても全容がわからなかった。

指を伸ばした。

手袋はとうに外れていた。落下のときか、転がったときか。むき出しの指先が、漆黒の表面に触れた。

冷たくなかった。鉱石の冷たさとも、石床の冷たさとも違う。温度がなかった。触れているのに温度を感じない。まるで何もない空間に指を突っ込んだような、存在と不在の境界に触れているような——。

視界が白く染まった。

一瞬ではなかった。白が、じわりと滲むように広がっていった。指先から始まり、腕を伝い、胸を覆い、頭蓋の内側を満たした。痛みはない。熱もない。ただ白い光が、体の内側と外側を同時に浸食していく。音が消えた。自分の呼吸も、心臓の音も、洞窟の空気が動く気配も——すべてが白に溶かされて、世界から剥落していった。

レンの視界の中央に、見慣れたものが浮かび上がった。ステータス画面——ギルドの測定装置でしか見たことのない、自分の能力値を表示するあの半透明の窓が、頼んでもいないのに展開されている。表示された数値は見慣れたEランクのそれだった。何度見ても変わらなかった数値。同期の中で最低の出力、伸びしろなしと判定された才能の上限。だがその数字が、一つずつ、溶けるように消え始めた。

数値が消え、枠線が消え、文字が消えた。画面全体が白い光に呑まれていく。

そして——白の中に、新しい数字が、書き込まれようとしていた。

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