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万色の鍵と虚神の王座

第2話 第2話「見知らぬUIの浮上」

第2話

第2話「見知らぬUIの浮上」

白が引いていく。

視界がじわじわと輪郭を取り戻す。地面の枯れ葉。木々の幹。月明かり。見慣れた深夜のフィールドが戻ってくる——だが、何かが違う。

画面中央に浮かんでいるのは、見たことのないUIだった。

通常のシステムウィンドウではない。フォントが違う。枠線のデザインが違う。EGOの標準UIはシルバーの枠に黒地だが、これは——枠そのものが存在しない。文字だけが虚空に浮かんでいる。金色の、古い碑文のような書体で。

『——隠しクエスト《万色の試練》が発生しました』

隠しクエスト。

指先がまだ痺れている。石柱に触れた瞬間の衝撃が、フルダイブの触覚フィードバックを通して指の骨まで伝わった感覚が残っていた。フィードバック強度が通常の倍以上ある。これもまた、通常の実装ではありえない挙動だ。

クエストログを開く。通常のクエスト一覧の最下部——いや、違う。通常欄の「下」に、今まで存在しなかった別枠が生成されている。折りたたまれた枠をタップすると、詳細が展開された。

『《万色の試練》  分類:不明  推奨人数:1名  推奨レベル:不明  報酬:不明  受注条件:■■■■■■■■(判定中)』

受注条件が伏字になっている。「判定中」の文字が点滅を繰り返す。

3年間このゲームをやってきて、クエストの受注条件がリアルタイムで判定されるなんて仕様は見たことがない。通常は条件を満たしていればそのまま受注、満たしていなければ「条件未達」の一言で弾かれる。判定に時間がかかるということは、参照しているデータ量が尋常ではないのか。

その間に、石柱の文様が変化していた。脈動していた青白い光が金色に変わり、文様自体が動いている。まるで何かの演算処理を可視化しているかのように、複雑な図形が組み替わっては消えていく。

10秒。20秒。30秒。

ゲーム内で30秒の処理待ちは異常だ。サーバー負荷か。それとも——

『受注条件判定完了』

金色の文字が書き換わる。

『受注条件:全12クラスのスキルツリーを70%以上解放していること  判定結果:【適格】  ※本クエストはソロ専用です。パーティ参加時は進行できません』

---

全12クラスのスキルツリーを70%以上解放。

文字を二度読みした。ステータス画面を開いて自分のスキルツリー解放率を確認する。剣士92%。魔術師88%。僧侶85%。暗殺者91%。錬金術師79%。弓使い83%。召喚士81%。槍兵87%。格闘家84%。吟遊詩人76%。盾騎士90%。呪術師82%。全クラス80%前後——最低の吟遊詩人ですら76%。条件の70%を大幅に超えている。

だが、これは異常な条件だ。

EGOのスキルツリーは1クラスを極めるだけでも数千時間かかる。普通のプレイヤーはメインクラス1つとサブクラス1つ、よくて3つ。それが「全12クラスを70%以上」。これがどれだけ狂った要求か、開発陣が理解していないはずがない。

ブラウザを呼び出した。EGOのフルダイブ環境ではオーバーレイでウェブブラウジングが可能だ。攻略wiki。解析データベース。5ch——今は掲示板と呼ぶべきか。片っ端から検索をかける。

「万色の試練」——該当なし。 「隠しクエスト 石柱」——該当なし。 「新アプデ 過疎フィールド オブジェクト」——該当なし。

解析DBにもない。EGOの解析勢は新アプデのたびに数時間でデータをぶっこ抜く。3周年アプデの解析データはすでに大量にアップロードされていた。新マップ、新モンスター、新装備、虚神イグノアのステータス推定値——だが、石柱についても《万色の試練》についても、一切の記述がない。

解析勢が見落とした? ありえなくはないが、考えにくい。あいつらはクライアントのアセットデータまで解剖する。存在するオブジェクトなら、たとえ出現条件が不明でもデータ上は発見されるはずだ。つまり——

このクエストは、クライアントに事前配置されたものではない。サーバーサイドで動的に生成された。

背筋に冷たいものが走った。EGOで動的生成されるコンテンツは、ランダムイベント程度のものしか前例がない。専用UIまで持つクエストが動的生成される設計は、少なくとも公知の仕様には存在しない。

石柱の前にしゃがみ込む。文様はまだ動いている。金色の光が指先を照らし、フルダイブの温度フィードバックが妙な暖かさを返してくる。機械的な熱ではない。焚き火に手をかざしたときのような、有機的で不規則なゆらぎ。こんなフィードバックのパターンは、3年間で一度も経験していない。

「……なんだよ、これ」

声に出したのは久しぶりだった。ソロプレイ中に独り言を言う習慣は、とうの昔になくしたはずだ。

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クエストの受注ボタンが表示されている。金色の碑文体で『試練に臨む』と書かれた、やはり通常UIとは異なるデザインのボタン。

押す前に、一つ確認しておきたいことがある。

公式サイトに戻り、プレイヤー統計ページを開いた。EGOは毎週月曜にプレイヤー統計の一部を公開している。クラス別プレイヤー分布、レベル帯分布、そして——スキルツリー解放率の分布。

全12クラスのスキルツリーを70%以上解放しているプレイヤーの割合。

統計ページにはクラスごとの解放率分布しかない。全クラス横断の条件を満たすプレイヤー数は直接は出てこない。だが、各クラスの70%以上解放者数を掛け合わせれば、上限の概算はできる。

剣士を70%以上解放しているプレイヤー:全体の12.3%。 そのうち魔術師も70%以上:推定1.8%。 さらに僧侶も加えると——

指が止まった。

5クラス目の時点で、推定値が統計的に意味のある数字を下回る。そもそもEGOのアクティブプレイヤー数は約18万人。12クラス全てを70%以上という条件を満たすには、少なくとも1万時間以上のプレイ時間が必要で、かつその時間を特定クラスに集中させず均等に分散させている必要がある。

効率的なプレイヤーほど、メインクラスを極める。サブクラスに手を出すにしても、シナジーのある2〜3クラスに絞る。全クラスを均等に育てるのは——非効率の極みだ。そんなことをするのは、ギルドを追い出されて他にやることがなくなった廃人くらいだ。

つまり。

統計ページの数字をもう一度にらむ。12クラス全てで70%以上。全サーバー合算のアクティブプレイヤー18万人の中で、この条件を満たしうる人数の理論上限——

1人。

計算を三度やり直した。前提を変えて、解放率の相関が高い場合と低い場合の両方で試した。どのパターンでも結果は変わらない。統計的に、全サーバーでこの条件を満たしているのは最大でも1〜2人。そして俺は自分のステータスを知っている。俺は条件を満たしている。

もう一人いる可能性はゼロではない。だが、もしいるなら——そいつも俺と同じように、全クラスを均等に上げるという非効率な道を、何千時間もかけて歩いたことになる。そんな物好きが、この世界にもう一人いるとは思えなかった。

石柱の光が、まるで俺の逡巡を見透かすように、一段強く脈動した。

金色の文字が虚空に浮かんでいる。『試練に臨む』。このボタンを押す理由は、論理的には何もない。報酬は不明。難易度も不明。解析情報もない。攻略の手がかりはゼロ。普段の俺なら、情報が出揃うまで待つ。掲示板を監視して、誰かが先に踏んで情報を共有するのを待つ。——だが。

全サーバーで俺だけが条件を満たしているなら、待っても誰も踏まない。情報は永遠に出てこない。

14,211時間の蓄積が、初めて意味を持つかもしれない。あの非効率で、誰にも理解されなかった、全クラス均等育成という狂気の歩みが——このクエストの、たった一つの鍵になる。

指先がボタンに触れる。金色の光が指を包み、石柱の文様が一斉に回転を始めた。

『《万色の試練》を受注しました。第一段階:各地の古き祠を巡れ』

クエストログに座標が5つ表示される。全て、俺が知っているフィールドだった。14,000時間で踏破した、EGOの隅から隅まで。

だが祠なんてオブジェクトは、そのどこにも存在しなかったはずだ。

石柱の光が消え、深夜の森が静寂を取り戻す。月明かりだけが、クエストログの金色の文字を淡く照らしていた。5つの座標。一人旅。報酬も難易度も不明な、誰にも知られていない隠しクエスト。

——14,000時間で初めて、次にやるべきことができた。

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