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反転属性のEランク退魔師

第1話 第1話

第1話

第1話

Eランク。

 電光掲示板に映し出されたその文字を、俺は三回読み直した。佐倉翔真、適性等級E。退魔師ギルド「鎮守府」の適性検査において、Eランクとは事実上の能力なし判定を意味する。測定可能な霊脈反応が確認できなかった者に押される烙印だ。

 検査会場の第三体育館は、四月の朝にしては妙に冷えていた。コンクリートの壁が夜の寒気をまだ抱えているのか、吐く息がわずかに白く見える気がする。百二十人の同期受験者がひしめく中、壇上のモニターには上位者から順にランクが表示されていく。Aが二名、Bが十一名、Cが三十四名——そしてDの列が延々と続いた後、最下段にぽつんと浮かぶE。俺の名前だけだった。

 心臓が一拍、空打ちした。次の拍動は普通に来た。意外なほど冷静だった。どこかで予感していたのかもしれない。適性検査の事前測定でも数値が安定しなかったし、練習で霊脈を開こうとするたびに、体の中を素通りしていく感覚があった。水を掴もうとして指の間からこぼれるような——あの感覚を、才能がないと呼ぶのだと、今なら分かる。

 隣で小さく息を呑む気配がした。

「翔真」

 神崎蓮。幼稚園からの幼馴染で、今日この場に一緒に来た相手。壇上のモニターには彼の名前がAランクの欄に刻まれている。同期百二十人中、二名しかいない最上位。蓮はこちらを見ていたが、俺は目を合わせなかった。視界の端に映る蓮の表情が、憐憫なのか困惑なのか——確かめたくなかった。どちらであっても、それを受け取る余裕が今の俺にはない。

「——なんでもない。おめでとう、蓮」

 声が平坦になるのを止められなかった。蓮は何か言いかけて、しかし口を閉じた。その沈黙の意味を、俺は正確に理解していた。慰めの言葉を探して、見つからなかったのだ。Aランクの人間がEランクに何を言えばいい? 俺だって逆の立場なら同じだろう。「大丈夫だよ」と言えば嘘になる。「頑張ればなんとかなる」と言えば残酷だ。だから何も言えない。それが正しい。

 体育館の天井に据えられた蛍光灯が、白々とした光を落としている。同期たちのざわめきが潮騒のように耳を満たしていた。あちこちで握手や抱擁が交わされ、歓声が弾ける。俺の周囲だけ、奇妙な空白ができていた。Eランクの近くに立っていると自分まで格が落ちるとでも思っているのか——あるいは単純に、俺という人間が視界に入っていないだけかもしれない。

 そっちのほうが、たぶん正解だ。

 配属発表は午後だった。

 蓮を含むAランク二名は第一戦闘班への即時配属。Bランクは各専門班へ。C・Dランクでさえ、実戦訓練プログラムへの参加が認められた。

 そして俺の配属先は——補助要員。

「佐倉翔真くん、ですね。補助要員は本部地下二階の資材管理室が拠点です。業務内容は装備品の在庫管理、使用済み呪具の廃棄手続き、各班への物資搬送。あ、実戦訓練への参加はありませんので、訓練スケジュールの確認は不要です」

 事務員の女性は、書類から一度も目を上げなかった。まるで宅配便の伝票を処理するみたいに淡々と、俺の退魔師人生とやらの全容を三十秒で読み上げた。その声には悪意も同情もなく、ただ業務があるだけだった。むしろそれが救いだったかもしれない。特別扱いされるより、事務処理の一行として流されるほうがずっと楽だ。

「質問はありますか」 「……ありません」 「では、こちらにサインを。お疲れさまでした」

 ボールペンを受け取り、配属同意書の最下段に名前を書いた。佐倉翔真。インクが紙に染みるのを見ながら、この名前がさっきモニターの最下段に映し出されていたことを思い出した。ペン先が微かに震えたのは、きっと空調のせいだ。

 配属先の資材管理室は、地下二階の廊下の突き当たりにあった。蛍光灯の半分が切れかけていて、残りの半分もちらちらと不規則に点滅している。空調の音だけがぼうっと響く空間。棚には退魔具の予備パーツや消耗品が並び、埃の匂いが鼻腔の奥にまとわりついた。古い金属と乾いた紙の匂いが混ざった、地下特有の澱んだ空気。窓はない。時計がなければ朝も夜もわからない場所だ。

 ここが俺の持ち場か。

 鎮守府の本部ビルは地上十二階、地下四階の堂々たる構造だ。上層階には幹部の執務室や作戦指揮室があり、中層は各戦闘班のフロア、地下一階に訓練施設。そして地下二階以降は倉庫と廃棄物処理場。建物の中の序列が、そのまま退魔師の序列を映している。

 スチール机の引き出しを開けて備品の配置を確認しながら、俺は自分に言い聞かせた。仕方ない、と。Eランクなのは事実だ。霊脈測定器に何の反応も出なかった。霊力がない人間に戦闘をやらせるほうが無責任だろう。理屈はわかる。だから仕方ない。

 ——でも、なんで俺だけなんだ。

 疑問は押し殺した。のど元に込み上げたそれを、唾と一緒に飲み下した。退魔師の家系に生まれ、小学生の頃から穢れを視る訓練を受け、蓮と同じだけの時間を費やしてきた。才能の差と言えばそれまでだ。それまでなのだ。わかっている。親父もお袋も退魔師で、兄貴は二年前にBランクで鎮守府に入った。佐倉家で霊脈反応が出なかったのは、記録にある限り俺だけだ。家族の中の突然変異。出来損ない。そんな言葉が頭の中を横切ったが、振り払った。自己憐憫に浸っている暇はない。ここで腐ったら、本当に終わる。

 資材管理室の業務は単純だった。消耗品の在庫表を更新し、使用済み呪具を分類し、各班から送られてくる補充要請に対応する。誰とも喋らない。電話は鳴るが、声の向こうの相手は俺が誰かなど気にしない。「地下二階、呪符Bタイプ三十枚、第三班に」。それだけだ。

 三日目にして、俺はこの部屋の主のような気分になっていた。棚の配置は完全に頭に入り、どの装備がどの班にどれだけ消費されているかも把握した。やることがなくなると、棚の奥の整理を始めた。誰も手をつけていない区画の埃を払い、ラベルの剥がれた箱の中身を確認し、台帳と現物を突き合わせていく。意味のある仕事かどうかはわからなかったが、手を動かしていれば少なくとも考えずに済んだ。

 そのときだ。

 資材管理室の最奥、天井近くの棚に押し込まれた段ボール箱。ラベルには「旧人事記録——処分待ち」とだけ書かれていた。触れる理由は特になかったが、暇だった。脚立を引きずって箱を下ろし、蓋を開けた。テープの粘着力はとうに失われていて、蓋は抵抗なく持ち上がった。

 中身は古い名簿だった。十年以上前の紙で、端が黄ばんでいる。適性検査の結果一覧、配属先リスト、そして——除籍者名簿。

 退魔師ギルドを除籍された者たちの記録。名前、ランク、除籍理由、備考。ほとんどの備考欄は空白か「自主退職」「規律違反」といった定型文だった。

 だが、一人だけ異質な記載があった。

 十二年前。名前は黒いインクで塗り潰されていて読めない。ただの二重線ではなく、文字の原形が判別できなくなるまで何度も重ねて塗り込められている。意図的に、執拗に。ランクはE。除籍理由は「霊脈異常」。そして備考欄に——走り書きのような筆跡で、二文字だけが書かれていた。

 反転。

 意味はわからなかった。だが、指先に触れた紙の冷たさが、妙に長く残った。霊脈異常。能力なしの判定を受けた者に対して使う言葉だろうか。「なし」と「異常」は違う。ゼロと、何かが歪んでいるのとでは、根本的に意味が違うはずだ。

 蛍光灯がちらちらと明滅する。空調の低い唸りだけが、地下二階の沈黙を埋めている。

 名前を塗り潰された、Eランクの除籍者。俺と同じEランク。

 偶然だ、と思った。思おうとした。

 でも——この名簿が「処分待ち」のまま十二年間放置されていたのは、なぜだ。処分するなら、とっくにしているはずだろう。かといって保存するなら、こんな地下の倉庫に押し込む理由がない。

 まるで、誰かが捨てきれなかったみたいに。

 俺は名簿をそっと箱に戻し、蓋を閉じた。棚には戻さず、机の下に置いた。

 帰り道、地上に出ると四月の風が頬を撫でた。地下の澱んだ空気を吸い続けていた肺に、生温い春の風が染み込んでくる。日はすでに傾きかけていて、本部ビルのガラス壁面がオレンジ色に染まっていた。本部ビルのエントランスを出たところで、見覚えのある背中が目に入った。蓮だ。第一戦闘班の同僚らしい数人と談笑しながら歩いている。その横顔は、今朝の検査会場で見たときより遥かに生き生きとしていた。笑い声が風に乗って届く。蓮の声だと、すぐにわかった。十五年以上聞いてきた声だ。

 蓮は俺に気づかなかった。

 気づかないまま、角を曲がって消えた。

 俺は立ち止まったまま、しばらくその場にいた。鞄の中には今日の業務日誌と、箱に書かれた「反転」の二文字が頭の中に残っている。

 地下二階の埃の匂いが、まだ鼻の奥にこびりついていた。

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