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雑務適性Eの古代結界師

第3話 第3話

第3話

第3話

上層は、予想以上に暗かった。

魔石ランタンの光が湿った岩壁を舐め、数歩先までしか照らさない。天井から垂れる鍾乳石が不規則に並び、視界を遮る。空気は重く、肺の底に沈むような圧迫感がある。ダンジョン特有の瘴気——魔力が凝縮し、大気そのものが粘性を帯びている。吸い込むたびに舌の奥に鉄錆の味が広がり、喉の粘膜がひりつく。

カイは最後尾を歩きながら、索敵の術式を絶え間なく走らせていた。振動、気流、魔力の揺らぎ。三つの感覚を重ね合わせ、半径百メートルの空間を立体的に把握する。前方四十メートルに空洞。左壁の裏側に何かが蠢いている——蟲系の魔物が三体、壁の内側で待ち伏せしている。

「ガルドさん、左壁に注意してください。四十歩先で——」

「うるせえ。見りゃわかる」

ガルドは左壁を一瞥もせず、大剣を構えて歩き続けた。だが三十歩を過ぎたあたりで足を止め、鼻を鳴らした。

「——左だ。来るぞ」

壁が弾け、三体のロックバイターが飛び出した。岩石の外殻を持つ蟲型魔物。硬質な脚が石床を叩く乾いた音が反響し、砕けた壁の破片が水飛沫のように散る。ガルドの大剣が一体目を叩き潰し、ヴェルドの双剣が残り二体を刻む。ミレーヌが浄化の光で飛散した体液を消毒し、リーナは杖すら構えなかった。Aランクパーティにとって、上層の魔物は作業にすぎない。

「俺の勘も冴えてるな」

ガルドが大剣の刃についた粘液を拭う。カイは何も言わず、砕けたロックバイターの核石を拾い集めた。換金素材だ。これも自分の仕事。指先に残るぬめりを革手袋で拭いながら、黙って荷袋に詰める。

先に進むと、通路が広い空間に開けた。天井が高く、ランタンの光が届かないほど上まで続いている。床には薄く水が張り、足を踏み入れるたびに波紋が広がった。

カイの索敵が、空間全体に漂う異質な魔力を捉えた。

「止まってください」

珍しく、カイの声に切迫した響きがあった。ガルドが片眉を上げて振り返る。

「何だ」

「この先の空間に、毒霧のトラップがあります。床の水に溶け込んだ触媒が蒸発して瘴気と反応する仕組みです。踏み込めば三十秒で肺がやられます」

「はあ? 毒霧? どこにもそんなもん見えねえだろうが」

ヴェルドが苛立たしげに足を踏み出そうとした。カイはその前に、結界を展開した。

掌から放たれた薄い光の膜が、空間の入口を覆う。続けて浄化の術式を結界に織り込み、内部の空気を少しずつ入れ替え始めた。毒霧トラップの触媒を無力化するには、術式を二重に組む必要がある。結界で空間を密閉し、浄化で汚染を除去する。五年間、夜営で繰り返してきた手順の応用だ。

三分ほどで、結界の内側の空気が澄んだ。カイは結界を維持したまま先に進み、トラップの術式核を見つけて解除した。床の水から立ち昇りかけていた薄紫の蒸気が、霧散して消える。

「終わりました。安全です」

「ふん。最初から大したことねえトラップだったんだろ」

ガルドが結界を素通りして歩き出す。ヴェルドが後に続き、リーナが無言で通過する。ミレーヌだけが一瞬立ち止まり、カイの方を見た。何か言いたそうな顔をして——結局、何も言わずに歩いていった。

いつものことだ。カイは結界を静かに解除し、消耗した魔力の残量を頭の中で計算した。まだ余裕はある。まだ、大丈夫だ。

その後も、カイの索敵と結界が「黄金の牙」を守り続けた。

落とし穴の手前で警告を出し、ガルドが「俺も気づいてた」と言った。天井からの落石トラップを結界で防ぎ、ヴェルドが「運がいいな」と笑った。魔物の群れが待ち伏せる分岐路を回避させ、リーナが「この道のほうが近いでしょうね」と当然のように先へ進んだ。

七回、カイはパーティを死から救った。七回とも、誰も気づかなかった。

上層の奥に進むにつれ、魔物の質が変わり始めた。ロックバイターやシャドウウルフといった単体の中級魔物から、群れで連携するダンジョンリザードの集団、さらには準上級のアイアンゴーレムが通路を塞いでいた。

「面白えじゃねえか!」

ガルドの目が輝く。大剣が唸りを上げ、アイアンゴーレムの胴体を横薙ぎに断った。鉄の表皮が裂ける甲高い悲鳴が洞窟に反響し、火花が闇を一瞬だけ橙色に染める。ヴェルドが背後に回り込み、関節部を正確に斬り裂く。リーナの火球がゴーレムの核を焼き、ミレーヌの回復光がガルドの擦り傷を塞ぐ。

戦闘そのものは、確かに見事だった。四人の連携は五年の実戦で磨かれ、それぞれの役割を正確にこなしている。ガルドの突破力、ヴェルドの機動力、リーナの火力、ミレーヌの支援。Aランクの看板に偽りはない。

——ただし、戦場が整っていればの話だ。

索敵で敵の配置を事前に把握し、結界で不意打ちを封じ、トラップを無効化し、逃走経路を確保する。その全てをカイが裏で済ませているからこそ、四人は正面戦闘だけに集中できる。土台のない建物が立っていられるのは、見えない杭が地中深くに打ち込まれているからだ。

杭を抜けば、建物は倒れる。

アイアンゴーレムを片付けた後、ガルドが地図を広げた。

「上層はほぼ制圧した。この先に中層への降下階段がある。今日中に中層に入るぞ」

「少し休憩しませんか。ミレーヌの魔力が——」

「平気よ、カイ。ありがとう」

ミレーヌが遮った。だが呼吸は荒く、額には汗が浮いている。回復魔法の連続使用で魔力残量は半分を切っているはずだ。カイの索敵がそれを正確に感知している。

「中層は上層の倍は危険だと聞いています。万全の状態で——」

「荷物持ちが作戦に口出しすんじゃねえよ」

ヴェルドの声が冷たく遮った。

「お前は荷物を運んで、飯を作って、寝るときに見張りをしてりゃいいんだ。それ以上は求めてねえ」

カイは口を閉じた。五年間の経験が教えてくれる。ここで押しても何も変わらない。むしろ反発を招いて、状況が悪化するだけだ。

「……了解です」

背中の荷物が、ほんの少しだけ重くなった気がした。

パーティは休憩なしで先に進んだ。

中層への降下階段は、上層の最奥にあった。幅十メートルほどの巨大な螺旋階段が、暗闇の底へと続いている。壁面には古代文明の紋様が刻まれ、微かに青白い光を放っていた。階段の入口には半壊した門柱が二本、番人のように立っている。

ガルドが先頭に立ち、階段を覗き込んだ。

「深えな。底が見えねえ」

リーナが魔導の光を放り込む。青白い球体が螺旋を描いて落ちていき、やがて闇に呑まれて消えた。

カイは階段に足を踏み入れる前に、壁面の紋様に手を触れた。指先に伝わる微かな振動。索敵とは違う、もっと根源的な——構造そのものの声。

紋様の光が不規則に明滅している。本来は均一な周期で脈動するはずの古代術式が、ところどころで途切れ、欠損している。まるで建物の柱にひびが入っているような——。

カイの目が細くなった。

階段の内壁に走る亀裂。肉眼ではほとんど見えないほど細い線だが、カイの指先はそれを捉えていた。亀裂は壁面だけではない。天井にも、床にも、螺旋階段の支柱にも。蜘蛛の巣のように広がった微細な崩壊の網。

これは——。

「みんな、この階段は——」

「何だよ、また何か言いてえのか。さっさと降りるぞ」

ガルドが苛立たしげに階段を降り始めた。ヴェルドとリーナが続く。ミレーヌがカイの表情を見て一瞬足を止めたが、すぐにガルドの背中を追った。

カイは壁から手を離し、四人の後を追った。

嫌な予感が、索敵の勘を超えて全身を支配していた。これは予感じゃない。確信だ。この構造の歪みは、自然劣化じゃない。何かが——何者かが、意図的にこの階段を脆くしている。

崩落トラップだ。

しかも上層のトラップとは比較にならない規模の。結界で防げるかどうか、計算が追いつかない。今すぐ引き返すべきだ。だが四人はもう螺旋の先を降りている。声が届かない。

カイは荷物の重みに耐えながら、階段を駆け降り始めた。四人に追いつかなければ。

螺旋階段の壁面で、古代紋様の光がまた一つ、消えた。

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