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影の郵便局と秘密の手紙

第10話 第10話「二通目の告白」

第10話

第10話「二通目の告白」

# 第10話「二通目の告白」

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 朝一番で騎士団に向かった。  嵐の後の王都は、道のあちこちに落ち葉や折れた枝が散らばっていた。水溜まりが朝日を映して光っている。空気は洗い流されたように澄んでいたが、私の胸の中は濁ったままだった。  騎士団の正門ではなく、裏手の通用口に回った。ユリアン様が「ここなら信頼できる門番がいる」と教えてくれた場所だ。鉄の扉の前に立つ兵士に手紙を差し出した。 「ユリアン・フェルネ副団長に、至急お渡しください。エメラ・リルティングからです」  門番は私の顔を見て、一瞬だけ目を見開いた。それから敬礼をして、手紙を受け取った。何か事前に聞かされているのだろう。「承知しました。直ちに」と短く言って、中に消えた。  帰り道、私は何度も後ろを振り返った。昨夜の男の顔を知らない。声しか聞いていない。通りを歩く誰が敵で、誰が無関係なのか、わからなかった。人ごみの中を早足で抜け、勝手口から屋敷に滑り込んだ。  台所で仕事を始めた。水を汲み、竈の火を起こし、パンを焼く。手を動かしていないと不安に潰されそうだった。鉄の竈の熱で頬が火照る。その熱さだけが、今の私を現実に繋ぎ止めていた。  叔父は朝食に現れなかった。書斎に籠もっているとアンナが言った。叔母は不機嫌な顔でパンを千切りながら、「あの人は最近おかしい」と独り言のように呟いた。リゼットは何も気づいていない様子で、嵐で庭の花が散ったことを嘆いていた。セレナだけが、私をちらりと見た。何も言わなかったが、その視線には何かを測る重さがあった。

 昼過ぎ、勝手口に人影が現れた。  ユリアン様だった。制服ではなく、目立たない灰色の外套を羽織っている。帽子を深く被り、身分がわからないようにしている。けれど背の高さと肩幅、そして灰青色の瞳で、私にはすぐにわかった。手紙を渡してから三時間。この人は、すぐに来てくれた。 「手紙を読みました」  開口一番、ユリアン様の声は静かだった。けれどその静けさの下に、硬い怒りが沈んでいた。瞳がいつもより暗い。手紙で見せる温かさとも、庭園の散歩で見せる穏やかさとも違う。これは副団長の目だ。人を守るために判断を下す人間の目。 「あなたの部屋が探られた。それは確実ですか」 「はい。便箋の位置と引き出しの取っ手に、私の手の癖と違う触り方がされていました。手紙の束の紐の結び方も変わっていました」 「手帳と鍵は」 「身につけています」  私はドレスの胸元に手を当てた。布の下で手帳の角が指先に触れる。首に下げた鍵の冷たさが、鎖骨の窪みにある。  ユリアン様は一つ深く息を吸い、吐いた。感情を整えている。怒りを飲み込んで、冷静になろうとしている。 「エメラ嬢。あなたをこの環境に置いておくわけにはいかない」 「ユリアン様。私は、まだこの家を出られません」 「なぜです」  その声に初めて、苛立ちが混ざっていた。私を守りたい。この危険な場所から連れ出したい。その思いが苛立ちになっている。 「まだ答えが出ていないことがあるからです。叔父の計算書の矛盾。母の文書の正体。誰が私の部屋を探ったのか。この家にいなければわからないことが、まだあります」 「それは、あなたの命より大切なものですか」  鋭い問いだった。返す言葉を探す間、風が勝手口を通り抜けた。嵐の後の、湿った春の風。 「……大切かどうかはわかりません。でも、母が命がけで守ったものの正体を知らないまま、この家を出たくないのです」  ユリアン様は黙った。反論したいのを堪えているのが、唇の引き結び方でわかった。この人は感情を押し殺すとき、唇が白くなる。手紙を読み続けてきた私だから気づく変化だった。 「……わかりました。ただし、条件があります」 「はい」 「第一に、何かあったらすぐに騎士団の通用口に手紙を。一時間以内に私の手に届きます。第二に、危険を感じたら即座にこの家を出てください。行き先は騎士団でも影の郵便局でも構いません。第三に——」  ユリアン様は一歩、こちらに近づいた。帽子の影から灰青色の瞳がまっすぐに私を見据えた。 「一人で抱え込まないでください。あなたは手紙の中で助けを求めてくれた。それがどれほど勇気のいることだったか、わかっています。だから、もう一度言います。一人で抱えないで」  その言葉が、目の奥を熱くした。涙が出そうになったが、堪えた。勝手口の前で泣くのは、もうしたくなかった。第一話で泣いたあの場所と同じ場所で、今度は泣かずに立っていたかった。 「ユリアン様。ありがとうございます」 「私のほうこそ。手紙をくれて、ありがとう」  ユリアン様は外套のポケットから封筒を取り出した。いつもの上質な羊皮紙。けれど今日の蝋印は、銀の無地ではなかった。刻まれた紋章を目にして、私は息を止めた。盾と剣と、一枝のタイム。フェルネ家の紋章だ。 「正式な蝋印です。フェルネ家の名で、あなたに宛てた手紙です。もう匿名で隠れるつもりはありません。——中身は、後で読んでください。ここではなく、一人のときに」  封筒を受け取った。いつもより重い。紙一枚分の差ではない。言葉の重さが違う。  ユリアン様は帽子を直し、外套の襟を立てた。去り際に、こちらを振り返った。その横顔に、副団長の硬さと、手紙の中の優しさが、同時に宿っていた。 「嵐は過ぎました。次の嵐が来る前に、準備をしましょう」  路地の角を曲がって消えるまで見送り、私は勝手口の扉を閉めた。

 その夜、蝋燭の下でフェルネ家の蝋印を剥がした。  中には便箋が二枚。一枚目は、嵐の夜の件についての具体的な対策だった。騎士団として非公式に動ける範囲。叔父の家の周辺を信頼できる部下に巡回させること。影の郵便局の老郵便夫にも事情を伝え、郵便局の安全を確認すること。エメラ自身がいつでも避難できるよう、通用口に話を通しておくこと。事務的だが、隙のない計画。副団長としての判断力が、一行一行に滲んでいた。  二枚目の便箋は、筆跡が違った。  いつもの端正な字ではなく、少し乱れている。書きながら迷った跡。一箇所、書きかけて塗り消した跡がある。けれどその下に、消しきれなかった言葉が透けて見えた。「怖い」。騎士団副団長が「怖い」と書きかけて消した。  本文はこうだった。 『エメラ嬢。  三ヶ月前、最初の手紙をあなたに書いた日から、私はあなたを想っていました。これは告白です。  紙の上のあなたの言葉に恋をしました。声のあなたの笑い方に惹かれました。雨の中で香草を守る横顔に心を奪われました。古書店で本を見つめるあなたの横顔に見惚れました。どれか一つではなく、全部です。全部のあなたを。  今夜の嵐であなたが怖い思いをしたとき、私は自分の無力を呪いました。もっと早く正体を明かすべきだった。もっと近くにいるべきだった。後悔ばかりが胸を占めます。  返事は、あなたの準備ができてからで構いません。一年後でも、五年後でも。手紙を書き続ける限り、私は待ちます。  ——ユリアン・フェルネ』  便箋が揺れた。手が震えていたからだ。嵐の夜の恐怖で震えた手とは種類の違う震え。体温が上がっていくのがわかった。頬が熱い。目の奥が熱い。指先まで熱い。  告白。ユリアン様が、文字にして、フェルネ家の紋章入りの蝋印で封をして、直接手渡してくれた。もう匿名の差出人ではない。伯爵家嫡男の名を賭けた告白。  返事を書こうとした。ペンを取った。インクを含ませた。便箋を広げた。  一文字も書けなかった。  嬉しい。確かに嬉しい。この人に想われていることが、途方もなく嬉しい。けれど同時に、恐怖がある。紙の上の私に恋をしたと言う。でも紙の上の私は、現実の私より聡明で、饒舌で、綺麗だ。この告白を受け取る資格が、褪せた灰色のドレスの私にあるのだろうか。  ——「どちらのあなたにも、同じように会いたかったのです」。初めて会った日の言葉が蘇った。あのとき、ユリアン様はそう言ってくれた。紙のエメラも、声のエメラも、同じだと。  でも、私自身がまだ、二人の自分を一つにできていない。  ペンを置き、告白の手紙を胸に当てた。手帳と鍵と告白の手紙。三つの重さが、胸の上で重なっている。母の秘密と、ユリアン様の想い。どちらも大切で、どちらも重い。  窓辺のタイムの芽を見つめた。双葉の間から三枚目の葉が出始めていた。小さく、けれど確かに、伸びている。  返事は、まだ書けない。でもいつか必ず書く。ユリアン様が待ってくれるなら——いや、待ってくれなくても、書く。自分の言葉で、自分の答えを。それだけは、誰かに急かされてではなく、私の準備ができたときに。

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