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飾り窓の令嬢と灰青の騎士

第1話 第1話

第1話

第1話

夜会の広間は、光で満ちていた。

シャンデリアの硝子が幾千もの炎を砕いて撒き散らし、磨き上げられた大理石の床が、その光をもう一度空へ返す。笑い声と衣擦れの音が絶えず波のように押し寄せ、そこにいるだけで息が詰まった。

私はいつものように、柱の陰に立っていた。

壁に背を預け、手にしたグラスの中身を一口も飲まないまま、ただ時間が過ぎるのを待つ。グラスの表面に結んだ露が指先を伝い、手袋の縁をわずかに湿らせた。冷たさだけが、この場で唯一確かな感触だった。それが、没落寸前の子爵家の末娘に許された、夜会の過ごし方だった。

広間の中央では、色とりどりのドレスが渦を巻いている。侯爵家の令嬢が目を伏せて微笑み、伯爵家の息子がその手を取る。誰もが然るべき相手を見つけ、然るべき輪の中に収まっていく。私だけが、その流れの外にいた。

「飾り窓の令嬢」。

いつからか、そう呼ばれていることは知っていた。美しいけれど手を伸ばす価値はない——飾り窓に置かれた花瓶のようなもの。眺めるだけで十分な、後ろ盾のない子爵家の娘。陰口を言う声は、隠す気もないほどあからさまだった。

悔しいとは、もう思わなかった。

夜会が終わり、馬車に揺られて屋敷に帰る。使用人の数は年々減り、今では老いた侍女が一人と、庭の手入れをしてくれる老人だけだ。父が遺した借金の利子が、屋敷の壁をゆっくりと剥がしていく。雨の日には書斎の天井から雫が落ち、母が大切にしていた絨毯に染みを広げていった。修繕を頼む金はない。私にできるのは、雫の下に器を置くことだけだった。そんな暮らしに慣れてしまった自分が、時々怖かった。

だから私は、王宮で働くことを決めた。

文官補佐。貴族の令嬢が就くような職ではないと、母の古い友人は眉をひそめた。けれど、もう体面を気にしている余裕はなかった。子爵家の名前がかろうじて残っているうちに、自分の足で立たなければならない。それだけが、私に残された選択だった。

文官補佐としての初日は、朝露がまだ石畳を濡らす刻限に始まった。

王宮は、夜会で見る姿とはまるで違っていた。華やかな広間の裏には、迷路のように入り組んだ回廊と、無数の部屋が連なっている。案内役の下官は、最初の角を曲がったところで別の用事に呼ばれ、私は一人で取り残された。

「東棟の第三書記室」。朝に渡された紙片にはそう書かれていた。東がどちらかは分かる。けれど第三書記室がどの階にあるのか、誰にも聞けなかった。すれ違う文官たちは皆忙しそうに歩いていて、足を止めてくれそうな顔は一つもない。

迷った。それも、かなり深刻に。

回廊を二つ曲がり、階段を一つ上り、もう一つ下りた。見覚えのない扉、見覚えのない窓。空気が変わったことに気づいたのは、石造りの廊下が途切れ、足元が砂利に変わった時だった。

風が吹いた。土と、かすかに鉄の匂いがした。

目の前に広がっていたのは、訓練場だった。

朝の光が低い角度で射し込み、砂塵を金色に染めている。木製の的が並び、壁際には槍や盾が立てかけられている。そして、その中央に——一人の男が立っていた。

長身だった。私が見上げなければならないほどの背丈で、手にした剣を、ゆっくりと下ろしたところだった。訓練着の袖が汗で肌に張り付き、呼吸はわずかに乱れている。朝の訓練を終えたばかりなのだと分かった。

彼が振り向いた。

灰青の瞳だった。

空の色でも海の色でもない。冬の明け方、夜と朝のあいだに一瞬だけ現れる、名前のない色。その目が、まっすぐに私を捉えた。

足が動かなかった。

怖いのではなかった。彼の視線には威圧も敵意もなかった。ただ、どこか遠くを見ているような——いや、何も見ないようにしているような、そういう目だった。まるで世界との間に、透明な壁を立てているかのように。

私は、その目を知っている気がした。

鏡の中で、何度も見たことがある目だ。

夜会の広間で、誰にも話しかけられないまま柱の陰に立ち続けた夜。馬車の窓に映った自分の顔。あの時の私の目も、きっとこんな色をしていた。世界を遠ざけているのではない。遠ざけられた側が、やがて自分から距離を置くことを覚えた——そういう目だ。

「ここは立入禁止だ」

低い声だった。怒ってはいない。咎めてもいない。ただ事実を告げるだけの、感情を削ぎ落とした声。それなのに、その声は妙に耳に残った。冬の朝に飲む白湯のように、温度がないのに、体の奥まで染みていくような。

「申し訳ありません。道に迷って——」

声が震えた。初日から禁域に踏み込むなんて、文官補佐としてこれ以上ない失態だった。頬が熱くなるのを感じながら、紙片を握りしめた。指先が白くなるほど強く。頭を下げ、踵を返そうとした時、彼が口を開いた。

「東棟なら、この廊下を戻って右だ」

一瞬、耳を疑った。彼は私の手の中の紙片を見たのだろうか。いや、そんな距離ではない。朝の刻限に場違いな格好で迷い込んだ娘を見て、すぐにそう判断しただけだ。その観察の正確さに、騎士としての練度がにじんでいた。

私は足を止めた。振り返ると、彼はもう背を向けていた。剣を鞘に収め、訓練場の奥へ歩いていく。その背中は広く、けれどどこか重たげだった。何かを背負っているというより、何かを置いてきたまま歩いているような——そんな背中だった。砂利を踏む足音が、一歩ごとに遠ざかる。朝の光が彼の輪郭を淡く縁取り、やがてその姿は訓練場の奥にある石壁の影に溶けていった。

右。彼はそう言った。私が東棟を探していることを、なぜ分かったのだろう。朝の刻限に迷い込んだ文官補佐など、毎年のように現れるのかもしれない。それだけのこと。深い意味などない。

けれど私は、あの灰青の色がしばらく瞼の裏に残り続けていることに気づいていた。

第三書記室にたどり着いた時、すでに鐘が一つ鳴った後だった。上席の文官は私の遅刻を一瞥しただけで何も言わず、書類の山を指差した。ここが私の居場所になるのだと思った。夜会の壁際と同じように、誰にも気に留められず、ただ息を殺してやり過ごす場所。

仕事は単純だった。決裁書の写しを作り、封印を確認し、番号を振って棚に収める。指先がインクで黒く染まるころには、窓の外の光が傾き始めていた。羽根ペンを置き、無意識に指を揉んだ。爪の際に入り込んだインクは、こすっても落ちなかった。子爵家の令嬢の手としてはもう見せられないな、と思い、すぐに可笑しくなった。そんな手を気にする相手は、とうの昔にいなくなっている。

帰り支度をしながら、ふと窓の外に目をやった。

訓練場が見えた。夕暮れの光の中、誰もいない砂地に、足跡だけが残っていた。朝、あの男が立っていた場所。灰青の目をした、名前も知らない騎士。夕陽が足跡の凹凸に影を落とし、まるで誰かがまだそこに立っているかのような錯覚を覚えた。

「近衛騎士団の副団長殿よ」

隣の席の文官が、私の視線の先に気づいて言った。興味なさそうな声だった。

「カイル・ヴェルナー。近づかない方がいい。あの人は——」

文官は言葉を切り、肩をすくめた。その仕草には、忠告というより諦めに近いものがあった。何度も同じことを言ってきたような、もう説明する気も失せたような。その先を聞く前に、退庁の鐘が鳴った。

カイル・ヴェルナー。口の中で、音にならないようにその名を転がした。名前を知ったところで何が変わるわけでもない。ただ、名前のなかった灰青の目に、たった今ひとつの名前がついた。それだけのことが、胸のどこかに小さく響いた。

帰り道、馬車の中で目を閉じた。

「ここは立入禁止だ」。あの声が、まだ耳の奥で響いていた。立入禁止。それは訓練場のことだけではないのだと、なぜか思った。彼自身が、誰も立ち入らせない場所なのだ。

——あの灰青の瞳の奥に、何があるのだろう。

窓の外で、夕焼けが消えかけていた。馬車の車輪が石畳の継ぎ目を拾うたびに、小さな振動が背骨を伝う。その揺れに身を任せながら、今日という一日を反芻していた。明日からまた、あの回廊を歩く。あの訓練場の横を通る。けれど私は足を止めない。止めてはいけない。迷い込んだのは一度きりの偶然で、彼の声を覚えているのは、ただ初日の緊張のせいだ。

そう、自分に言い聞かせた。

言い聞かせなければならないほど、あの静かな声が胸に残っていることに、私はまだ気づかないふりをしていた。

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