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断頭台の暗号、転生探偵の推理録

第3話 第3話

第3話

第3話

書庫の窓に朝日が差し込んで、机の木目に影が伸びていた。

 私は『薬草概略』の「親和性区分」のページを三度目に読み返している。麻の綴じ糸が乾いて、めくる度に微かな音が立つ。指先に粉のような埃が溜まり、爪の奥に入り込む。昨日と同じ埃。だが手触りが違うように感じるのは、この身体の皮膚感覚にまだ慣れていないせいだ。十二歳の指先は、三十二年分の皮膚の厚みを持たない。

 魔素親和性の高い薬草。夕顔草、銀葉、そして鉱物では「蒼灰石」。鉱物の項目は三行しかなかった。〈産出稀少、王都南の鉱山で年に数貫のみ。薬剤調合の媒介として用いるが、取扱いには熟練の薬剤師を要する〉。書き写す紙もないので、鉱物名と数字を頭の中に刻み込む。前世の記憶術がそのまま使える。位置と色と音で三重に結びつける——蒼、灰、南、数貫。

 扉の向こうで足音が急いだ。複数。シスター・ブリギッテのものではない、もっと重い靴音が混じっている。鋲付きの軍靴。

 書庫の外、中庭を横切る人影が磨りガラスの向こうに滲む。五人、いや六人。革鎧の紺色。腰の鞘の位置が揃っている——訓練された集団の歩法だ。衛兵団。

 私は『薬草概略』を棚の奥に押し込み、何食わぬ顔で書庫を出た。廊下の角で年下のミラが飛び出してきて、私の腹に頭をぶつけた。

「レイン、大変! 大変なの!」 「何があった」 「ヴェルナー様が死んだって! 昨日の夜、お部屋で倒れてたんだって!」

 赤毛の頭が興奮で震えている。ミラの手のひらは汗で湿り、私の袖を掴む指が小刻みに震えていた。恐怖というより、何かに参加している高揚だ。八歳の子どもにとって、大人の死は遠い出来事で、語る物語の一つにすぎない。

 私は腹に当たったミラの頭を軽く撫で、広間へ歩いた。廊下を曲がる直前、息を一つ整える。顔の筋肉を弛緩させ、瞳孔の開きを意識的に調整する。十二歳の孤児にふさわしい、怯えと好奇心の入り混じった表情。名探偵アルベルト・グレイが尋問室で何百回と使った仮面の、縮小版だ。

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 広間には衛兵団の兵士が四人、シスター・ブリギッテ、それと孤児たちが年齢順に並べられていた。昨日ヴェルナー氏が立っていたのと、ほぼ同じ位置に今は紺色の革鎧の男が立っている。革の擦れる音、鞘の金具が鎧にぶつかる硬質な響き、汗と鉄錆の混じった匂い——昨日の甘い香油と寄付の革袋の革の匂いを、兵士の体臭が上書きしていた。

「王都衛兵第三隊のガルベルトだ。ヴェルナー商会主ヴェルナー・ハルトマン氏が昨夜自宅にて不審死を遂げた。昨日この孤児院を訪問されたと聞いている。何か変わった様子はなかったか、一人ずつ聞く」

 低い声、四十前後、頬に古い刀傷。隊長格。私は兵士の配置を横目で確認した。出入口に一人、広間の奥に二人、隊長本人が中央。子どもたちの退路を塞ぐ配置だが、攻撃的ではない。単なる聴取の段取りだ。

 聞き取りは年長の子から始まった。ほとんどの子どもは「元気そうでした」「いつも通りでした」と答える。当然だ。昨日のヴェルナー氏の訪問は五分もなかった。子どもたちには観察する時間も理由もなかった。

 私の番が来た。隊長ガルベルトは私の顔を見下ろし、目線の高さを合わせようともしなかった。

「お前もヴェルナー氏を見たか」 「はい。広間で、寄付の革袋をシスターにお渡しになっていました」 「変わった様子は」 「……咳は、少し。風邪だとシスターが仰っていました」

 指の震え、瞳孔の反応、肝斑。三つとも伏せた。無籍民の十二歳が拾うべき情報ではない。拾ってしまったと知られれば、別の厄介が始まる。ガルベルトは「よし、次」と手を振った。その手の爪の形、節の太さ、剣ダコの位置までが視界に焼きついた——観察をやめる術を、この脳は知らない。私は広間の隅に下がり、他の子どもたちの証言に耳を澄ませた。

 子どもは観察しない。だが子どもは、大人の会話の断片を正確に記憶する。ミラが兵士の一人に甘えるように近づき、訊ねていた。

「ヴェルナー様、どんなふうに亡くなったの?」 「子どもが聞くことじゃない」 「でも厨房のおばさんが言ってたよ。爪が青くなってたって」

 私の視界の端で、兵士の顔が一瞬硬くなった。口止めされていた情報が子どもの口から出た時の顔だ。兵士は「憶測で物を言うな」とミラを追い払ったが、遅い。

 爪の、青黒い変色。

 広間の空気の匂いが、急に濃くなった気がした。石の床から立ち上る冷たさが足裏を伝い、膝の裏に鳥肌が走る。私は唾を飲んだ。喉が狭まる。この身体が恐怖反応を起こしている。理性ではなく、神経が先に答えを出している。舌の根に苦い味がにじむ。胃の奥で何かが逆流しかけ、私はそれを飲み下した。

 もう一人の年長の女の子——ヨハナが、別の兵士に問いかけるのが聞こえた。

「苦しまれたんですか」 「顔が……左側だけ、引きつっていたそうだ。痛みがあったのかもしれん」

 唇の、左側だけの痙攣痕。

 二つ揃った。

 私は壁に寄りかかった。寄りかからなければ、膝が抜けていた。十二歳の身体の膝関節が、三十二年分の記憶の重みを支えきれなかった。漆喰の壁の冷たさが背中に染み、それが逆に意識を繋ぎ止めた。呼吸が浅い。肋骨の奥で心臓が規則を失い、二拍ごとに一拍を飛ばすように跳ねている。

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 聴取が終わり、衛兵団が引き上げた後、シスター・ブリギッテは広間の真ん中で祈りの姿勢を取ったまま動かなかった。子どもたちは中庭に散り、いつもより高い声で走り回っている。死の噂は子どもの遊びに変換される。それが孤児院の流儀だった。

 私は一人、書庫に戻らず、洗い場の裏手の井戸端に座り込んだ。石の縁が冷たい。掌を押し当て、呼吸を整える。吸って四拍、止めて二拍、吐いて六拍。前世の現場検証の前にいつもやっていた呼吸法。滑車の軋む音、桶の底で揺れる水の低い反響、苔の湿った匂い——五感を一つずつ拾い直し、神経の暴走を鎮めていく。

 整理する。

 一。爪の青黒い変色。  二。唇の左側だけの痙攣痕。  三。自室での死亡。外傷は——子どもたちの証言には出ていない。なかったのだろう。

 前世で私が着せられた連続毒殺事件の被害者たち——全員が、同じ三点の特徴を持っていた。爪の色調変化、片側性の痙攣痕、そして外傷のない室内死。六人の被害者に通底した、あの毒の指紋。前世の帝都と、この世界の王都。空気の匂いが違い、言語が違い、魔素という概念まである別世界で、同じ症状の死体が出た。

 偶然ではない。偶然という言葉は、因果が見えていない状態の仮のラベルだ——私は昨夜も同じことを自分に言った。だが今、ラベルを剥がす時が来ている。

 手の震えが止まらない。この身体の震えではない。前世の私の——断頭台に引きずられた朝の、あの震えだ。刃が落ちる直前、石壁の暗号を目に焼きつけた、あの時の震え。首筋に走った金属の予感、観衆のざわめき、朝靄の湿り気までが、井戸端の冷気に呼び起こされて甦る。

 同じ毒が、この世界にある。

 同じ手口の人間が、この世界にいる。

 そして昨日、私はその毒で死ぬ男と、一秒だけ目を合わせていた。指の震えの間隔を数え、肝斑の位置を確認し、瞳孔の遅延を記録しながら——風邪の範疇で処理した。あの時点で踏み込んでいれば。シスターに医者を呼ぶよう進言していれば。ヴェルナー氏の訪問を引き止め、水を一杯勧めていれば。

 無理だ。十二歳の孤児の進言で、商会主人の訪問が変わるはずがない。論理的にはそうだ。だが論理は今、胃の奥を掴む手の力を緩めてはくれなかった。喉の奥で空気が詰まり、一度咳き込みそうになるのを、奥歯を噛んで堪える。涙ではない何かが、目の縁に薄く滲んだ。

 井戸の水面に、小さな顔が映っている。頬の細い、目の落ち窪んだ少年。その目の奥に、三十二年分の男が息を潜めて私を見返していた。

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 夕方、私は立ち上がった。

 井戸の縁を掌で押し、膝に力を戻す。脚の震えはまだ残っているが、歩ける。書庫へ戻り、『薬草概略』を棚の奥から抜き出す。「魔素親和性」の項目を開き、蒼灰石のページに指を置いた。

 仮説を立てる。ヴェルナー氏の死因は、この世界の通常の毒ではない。魔素親和性の高い触媒を介した遅効性毒。前世で六人を殺した毒と、機序が共通する。犯人は両世界の毒物学を知っている可能性がある。

 仮説の検証には、情報が要る。ヴェルナー商会の内情。事件当夜の状況。誰が利を得るか。そして——あの指の震えは、いつから始まっていたか。

 シスター・ブリギッテに事件の続報を聞き出す口実を考えながら、廊下に出た。その時、玄関の方から衛兵団の伝令らしき声が響いた。

「——長男エーリヒ・ハルトマン、跡目争いの嫌疑にて拘束!」

 私は足を止めた。

 跡目争い。動機としては雑だ。だが十二歳の孤児が、たった半日で拾った情報だけで、衛兵団の判断を覆せるわけがない。

 覆す方法を、考えなくてはいけない。

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