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燐光作戦の亡霊

第3話 第3話「一畳半の棺桶」

第3話

第3話「一畳半の棺桶」

ネットカフェの個室は、棺桶のように狭かった。

パーティションで仕切られた一畳半の空間。備え付けのリクライニングチェアに体を沈め、神崎は天井の蛍光灯を見上げた。白い光が目に刺さる。眼球の奥に鈍い疼痛が広がり、こめかみの血管が脈打つのがわかる。倉庫を出てから二時間。住宅街を南へ抜け、繁華街の外れにあるこの店に辿り着いた。入口の受付で身分証は求められなかった。フリータイム料金を現金で払い、奥の個室を指定した。非常口に最も近い席。壁を背にできる位置。

店内に追手の気配はない。ここまでの移動中、三度立ち止まって背後を確認した。尾行なし。だが安全だとは思わない。猶予があるだけだ。

リクライニングを倒さず、浅く座る。ジャケットの内側から三枚の死亡記事を取り出し、デスクの上に並べた。安物の蛍光灯の下で、新聞のコピーが白く浮かぶ。紙面のインクの匂いが微かに鼻をつく。

松永大輔。交通事故。写真は証明写真の拡大だろう。四角い顎。太い首。突入班の先頭を走るとき、あの首が微かに左右に振れるのが癖だった。視界を最大限に広げるための動作だ。

野口修一。転落死。眼鏡をかけた細面。通信機を抱えて匍匐前進しながら、雑音混じりの無線を正確に拾い上げた男。夜間行軍のとき、暗視装置の緑色の光の中で、野口の横顔だけがいつも妙に穏やかだった。

中島亮太。火災死。丸顔。人懐こい笑みを浮かべた写真。起爆装置を扱う指先はこの上なく繊細で、酒を飲むときの手つきは信じられないほど雑だった。

三つの顔を見つめているうちに、視界が揺れた。

蛍光灯の光が滲む。デスクの表面が溶けるように歪み、別の景色が重なった。

——密林。

湿気が肌に纏わりつく。腐葉土の匂い。頭上を覆う樹冠の隙間から、灰色の空が覗いている。足元の泥が靴底を吸い込む。虫の羽音が耳の横を掠めた。背中を汗が一筋伝い落ちる。装備の重量が肩に食い込んでいる。空気そのものが重い。吸い込むたびに肺の底に熱が溜まる。

「——蓮、右だ!」

松永の声。太い背中が視界の前方にある。あの背中が右に跳んだ。直後、左側の茂みから閃光。銃声。泥が跳ねた。顔に泥の飛沫がかかり、唇の端で土の味がした。

場面が飛ぶ。

建物の中。コンクリートの壁。蛍光灯——ネットカフェのものとは違う、古い型の蛍光灯が天井で明滅している。廊下に煙が充満していた。前方で何かが燃えている。橙色の光が煙の向こうで脈打っている。煙が喉を焼き、目が開けていられない。涙が止まらなかった。

悲鳴。

誰の声だ。男の声。仲間の声。名前が思い出せない。喉を裂くような叫びが廊下に反響し、急に途切れた。

場面がまた飛ぶ。

暗い部屋。自分の手が見える。両手で銃を構えている。照準の先に——何がある。暗くて見えない。見えないのか、見せないのか。脳が拒絶しているのか。

引き金にかかった指の感触だけが、鮮烈に残っている。人差し指の第一関節に、金属の冷たさと、引き絞るときの微かな抵抗。あの感触を、指が覚えている。

引いた。

何に向けて。

——暗転。

神崎はデスクに突っ伏していた。額に汗が浮いている。心拍が跳ね上がっている。呼吸が浅い。過換気の一歩手前だった。指先が痺れている。頬に張りついた新聞紙の冷たさで、ようやく現実の輪郭が戻ってきた。

四秒吸う。四秒止める。四秒吐く。

隣室のキーボードを叩く音が聞こえた。空調のファンが回っている。ドリンクバーの氷が落ちる音。現実の音。現実の匂い。ここはネットカフェだ。密林でも、燃える廊下でもない。

フラッシュバック。六年間、不意に襲ってくる記憶の断片。だが今夜のものは、これまでで最も鮮明だった。三人の顔を見たことが引き金になったのか。

額の汗を手の甲で拭い、椅子に座り直した。デスクの上の死亡記事が、蛍光灯の光を静かに反射している。

断片をつなぎ合わせる。密林での戦闘。建物への突入。火災。悲鳴。そして暗い部屋で、自分が銃を構えていた。

前後が繋がらない。戦闘中に敵を撃ったなら、それは任務の範疇だ。記憶が欠落する理由がない。PTSDによる解離性健忘の可能性は六年前に自分でも考えた。だが解離で消えるのは通常、外傷的な体験の前後だ。作戦全体ではなく、最終日のある瞬間だけが正確に消えている。それも、引き金を引いた対象だけが。

まるで——その部分だけを切り取られたように。

考えすぎだ。今は事実だけを積み上げろ。

事実。燐光作戦の記録が消去された。元隊員が三人、「事故死」した。情報を届けに来た男が射殺された。追手は軍事レベルの練度を持つ組織。

そして生存者は、自分と土屋の二人だけ。

土屋誠。横須賀市の住所。作戦当時は狙撃手だった。長距離支援を担当し、部隊の目として機能していた男だ。神崎と直接言葉を交わした回数は多くない。狙撃手は孤立した位置に展開する。だが作戦最終日、撤収時に土屋と合流した記憶がある。土屋の顔が泥と煤で黒く汚れていた。その目が——何を見ていたのか。恐怖ではなかった。もっと複雑な、何かを理解してしまった人間の目だった。

あの目が、何を知っていたのか。

選択肢を整理する。

一つ。このまま姿を消す。現金が尽きるまで移動を続け、追手の届かない場所を探す。元特殊部隊員の生存技術があれば、数ヶ月は潜伏できる。だがその先に何がある。松永たちと同じだ。いつか追いつかれ、「事故」として処理される。逃げ続けることは、ゆっくり殺されることと同義だ。

二つ。土屋に接触する。作戦の真実を知り、敵の正体を掴む。反撃の糸口を見つける。だが土屋の周辺にはすでに罠が張られている可能性が高い。飛び込めば、敵の掌の上だ。

リクライニングチェアの肘掛けを、右手が握り締めていた。裂けた拳の皮膚が引き攣れ、鈍い痛みが走る。

あの暗い部屋で、自分は何を撃った。

知らなければいけない。逃げるために走るのではなく、知るために前に進む。そうしなければ、六年間の空白が自分を蝕み続ける。松永の太い背中も、野口の穏やかな横顔も、中島の雑な手つきも——あの三人の死を「事故」のまま終わらせるわけにはいかない。

神崎は死亡記事をジャケットの内側に戻し、リクライニングチェアから立ち上がった。

知らなきゃいけないことがある。

ネットカフェの通路を非常口へ向かう。薄暗い通路にドリンクバーの甘い匂いが漂っている。隣の個室からキーボードを叩く音が聞こえた。この壁一枚の向こうで、誰かが普通の夜を過ごしている。その日常と自分の間に、すでに越えられない溝がある。

非常口の鉄扉を押し開けた。夜明け前の空気が頬を打つ。冷たさの中に、わずかに湿り気を含んだ春の匂いが混じっている。東の空がわずかに白み始めていた。ビルの隙間から覗く空は、深い紺色から灰色へ変わりつつある。路地に人影はない。早朝のゴミ収集車のエンジン音が、二ブロック先から微かに聞こえた。

横須賀まで。鉄道は使えない。駅のカメラに映れば、数時間で特定される。車の調達も現時点では手段がない。残された方法は一つ。時間はかかるが、追跡されにくい。

歩く。幹線道路を避け、住宅街と裏道だけを使って南下する。距離にしておよそ六十キロ。徒歩で十二時間。途中で自転車を調達できれば短縮できる。体力の問題はない。三日間の行軍を何度もこなしてきた体だ。

だが最大の問題は、到着した先にあるものだ。

土屋は生きているのか。すでに確保されていないか。あるいは——松永たちと同じように、処理済みなのか。

考えても答えは出ない。行って、確かめるしかない。

路地を南へ歩き出す。靴底がアスファルトを叩く音だけが、静かな住宅街に響いた。どこかで鴉が一声鳴いた。夜が明ける。追手が動き出す時間が近づいている。

神崎は歩調を上げた。影が長く伸びる方角へ。土屋がいるはずの街へ。答えがあるはずの場所へ。

背後に気配はない。だが見えないだけだ。あの組織の目は、もうどこかで神崎を捉えている。わかっている。わかった上で、前に進む。

東の空が、薄く燃え始めていた。

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