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Cランク回復術師の追放録

第1話 第1話

第1話

第1話

紅蓮の迷宮、最深部——空気が焼けていた。

吸い込む息が熱い。肺の奥がひりつくような、乾いた灼熱が喉を焼く。石壁から滲む赤黒い瘴気が松明の炎を歪ませ、足元の地面には無数の魔法陣が刻まれている。その一つひとつが罠だ。踏めば死ぬ。魔法陣の縁が淡く明滅するたび、リュートの背筋に冷たいものが走った。リュートは仲間の背中を見ながら、息を殺して歩いた。

先頭を行くのはグレン。勇者パーティ「蒼雷の剣」のリーダーにして、王都で五指に入ると自称する剣士。銀の鎧が瘴気の中でも鈍く光っている。その後ろに魔法使いのセレナ、弓使いのハルト。そして最後尾に、回復術師のリュート。

三年間、ずっとこの位置だった。

「おい、リュート。足が遅い」

グレンが振り返りもせずに言う。リュートは「すみません」と小さく答えて歩幅を広げた。重い。装備が、ではない。仲間から借りている革鎧は薄く、杖は安物だ。握りの皮が何度も巻き直され、芯の木材が所々露出している。重いのは、この迷宮に満ちる瘴気そのものだった。

Cランクの回復術師には、本来この階層に踏み入る資格すらない。

「あと少しでボス部屋だ。セレナ、障壁の準備。ハルト、索敵を怠るな」

グレンの指示が飛ぶ。的確だった。ただし、リュートへの指示はない。いつものことだ。

「回復術師は後ろで見てろ。薬草の準備だけしとけ」

リュートは黙って頷いた。杖を握る手に、じわりと汗が滲む。嫌な予感がしていた。この階層の瘴気は、これまでの比ではない。鼻腔を刺す硫黄に似た臭いの奥に、もっと危険な——呪毒の気配が混じっている。三年間、数えきれないほどの迷宮を歩いてきた。その経験が、背骨の芯を掴むようにして警告を発している。

「グレン、この先の罠は呪毒系かもしれません。少し慎重に——」

「黙れ。Cランクが偉そうに口を出すな」

それ以上は言えなかった。リュートは口を閉じ、ただ杖を強く握った。

ボス部屋の扉が開く。巨大な空間の中央に、炎を纏った魔獣——紅蓮獅子が蹲っていた。体長は五メートルを超える。鬣から散る火の粉が、石床を焦がしている。熱波が扉を越えて押し寄せ、リュートは思わず腕で顔を庇った。獅子の琥珀色の瞳が、侵入者たちを捉える。低い唸り声が石壁を震わせ、空気そのものが振動した。

「行くぞ!」

グレンが剣を抜いて突進する。セレナの氷結魔法が紅蓮獅子の足元を凍らせ、ハルトの矢が目を狙う。連携は悪くない。三年間、このパーティで戦い続けてきた成果だ。

リュートは後方で待機する。回復術師の仕事は、傷を負った仲間を癒すこと。それだけだ。杖を両手で握りしめ、いつでも詠唱に入れるよう魔力を薄く体表に巡らせておく。前衛の動きを目で追いながら、同時に部屋の隅々まで神経を張る。罠の気配を、見逃すわけにはいかない。

紅蓮獅子が咆哮した。衝撃波がボス部屋を揺らし、天井から石片が降り注ぐ。グレンの剣が獅子の前脚を切り裂き、鮮血が飛ぶ。だが浅い。獅子の体表を覆う炎が、刃の威力を削いでいる。

「セレナ、もっと冷やせ!」

「やってるわよ! この炎、魔力で燃えてる——普通の氷じゃ追いつかない!」

戦闘は膠着した。紅蓮獅子は傷を負いながらも暴れ続け、パーティの消耗だけが増していく。グレンの鎧に爪痕が走り、セレナの魔力が目に見えて落ちている。

その時だった。

紅蓮獅子が尾を振り上げ、床を叩いた。石畳が砕け、その下に隠されていた魔法陣が一斉に起動する。紫黒の光が部屋を満たした。

呪毒トラップ。

リュートの予感が的中した瞬間だった。

紫黒の霧がグレンを、セレナを、ハルトを包み込む。三人が同時に膝をついた。グレンの顔に黒い紋様が浮かび上がり、セレナが喉を押さえて咳き込む。ハルトは弓を取り落とし、地面に手をついた。

「な、なんだこれ——体が動かねえ!」

「呪毒よ……これ、致死級の……」

セレナの声が震えている。致死級の呪毒。Aランク以上の解呪術師でなければ対処できない代物。このパーティにそんな人間はいない。

——いや、一人だけいる。

リュートは駆け出していた。考えるより先に体が動いていた。三年間、何度もこうしてきたからだ。

まずグレンに杖を向ける。呪毒の侵食速度が一番速い。体内に巡る毒素の流れが、リュートの目には視える。Cランクの回復術師には、本来視えるはずのないものが。黒い靄のような毒素が血管に沿って枝分かれし、心臓へ向かって這い上がっていく。あと数分で心臓に到達すれば、もう誰にも止められない。

「——浄呪、起動」

白い光がグレンの体を包む。呪毒の黒い紋様が抵抗するように脈動し、リュートの腕に激痛が走った。肩代わりだ。患者の呪毒を自分の体に引き受け、自身の魔力で中和する。正規の解呪術ではない。Cランクの魔力量では正攻法が通じないから、リュートが三年かけて編み出した我流の方法だった。

誰にも教わっていない。教本にも載っていない。夜の宿で一人、何度も自分の体を実験台にして、呪毒の動きを観察して、失敗して、血を吐いて——それでも諦めずに掴み取った技術だ。

「ぐ——っ」

左腕に黒い紋様が浮かぶ。焼けるような痛みが骨まで届く。だが止まるわけにはいかない。グレンの呪毒を引き抜き終える前に、セレナに杖を向ける。同時並行。魔力が急速に削られていく。視界の端が暗くなり始めている。体が悲鳴を上げている。それでも杖を動かす手は止めなかった。

「リュート、お前——」

ハルトが何か言いかけたが、聞こえなかった。集中が途切れれば三人とも死ぬ。リュートは歯を食いしばり、三人分の呪毒を同時に引き受けた。

全身に黒い紋様が広がる。視界が明滅する。心臓が不規則に跳ね、呼吸が浅くなる。致死級の呪毒を三人分。体が限界を訴えている。口の中に鉄の味が広がった。膝が笑い、杖を握る指の感覚が遠くなっていく。

それでも——杖を離さなかった。

白い光が一際強く輝き、三人の体から呪毒が完全に消えた。グレンが立ち上がり、剣を構え直す。セレナの魔力が戻り、氷の魔法陣が再び展開される。ハルトが弓を拾い、矢を番える。

「今だ、グレン!」

リュートが叫んだ。声がかすれていた。呪毒の残滓が体中を蝕んでいる。だが仲間は復活した。あとは——

グレンの剣が蒼い雷を纏う。必殺技「蒼雷一閃」。紅蓮獅子の胸を、雷光が貫いた。

魔獣が崩れ落ちる。戦闘終了。

リュートは杖に縋るようにして立っていた。左腕は感覚がない。全身の呪毒はまだ中和しきれていない。数日は発熱と痛みが続くだろう。いつものことだ。

「よっしゃあ! 紅蓮の迷宮、攻略完了だ!」

グレンが剣を掲げて吠える。セレナとハルトが歓声を上げる。リュートは壁にもたれ、静かに息をついた。

誰も、こちらを見ていなかった。

翌日。冒険者ギルド王都本部に提出された攻略報告書を、リュートは掲示板の前で読んだ。

『紅蓮の迷宮攻略報告——パーティ「蒼雷の剣」リーダー・グレンの必殺剣技「蒼雷一閃」により、最深部ボス「紅蓮獅子」を撃破。致死級呪毒トラップの発動があったものの、パーティの総合力で突破した』

リュートの名前は、どこにもなかった。

致死級の呪毒を三人分引き受け、命を削って全員を生還させた事実が、「パーティの総合力」という五文字に圧縮されている。

——まあ、そうだろうな。

リュートは報告書から目を離した。驚きはなかった。三年間ずっとこうだった。功績はグレンのもの。リュートはCランクの足手まとい。それがこのパーティでの自分の役割だ。

左腕の呪毒紋様が、まだ微かに疼いている。掲示板の周りでは他の冒険者たちが報告書を眺め、「蒼雷の剣、また攻略したのか」「グレンはやっぱり凄えな」と口々に語っていた。リュートの横を素通りして、誰もその左腕の黒い紋様に目を留めない。

ギルドの喧騒が、妙に遠い。笑い声も、杯を打ち合わせる音も、まるで水の底から聞いているようだった。リュートは左腕を右手でそっと押さえた。袖の下で紋様が脈打っている。熱い。まだ呪毒が体の中を巡っている証だ。今夜もまた、宿の寝台で一人、中和の術式を繰り返すことになるだろう。

「リュート」

背後からグレンの声がした。振り返ると、リーダーが腕を組んで立っていた。その隣に、見覚えのない白いローブの女性。胸元に銀の聖印——神官の証だ。

グレンが口を開く。

「明日、パーティの方針について話がある。宿に来い」

それだけ言って、グレンは神官の女性と共に去っていった。

リュートは、その背中を見送った。左腕が、ずきりと痛んだ。

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