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運搬適性D、真スキルは《万物掌握》

第3話 第3話

第3話

第3話

ギルド長室は、思ったより狭かった。

石壁に埋め込まれた棚には古い報告書の束が無造作に積まれ、部屋の中央に木製の机が据えられている。窓は鉄格子が嵌まり、西の陽が細く差し込んでいた。壁には辺境の地形図と、討伐記録の黒ずんだ羊皮紙が何枚も釘で留められている。煤煙と羊皮紙の匂いが、部屋の隅に澱んでいた。天井の梁には小さな蜘蛛の巣が一つ残り、差し込む光の縁で金色に揺れている。扉の建てつけが悪いのか、閉じたはずの木戸から微かに廊下の喧騒が漏れ入ってきた。

ドルクは机の向こうに腰を下ろし、カイに対面の椅子を顎で示した。

「座れ」

カイは従った。椅子の木肌は冷たく、背もたれは硬い。客を歓迎する椅子ではなかった。長く使い込まれた座面の中央だけが、微かにへこんでいる。ここに座った人間の数だけ、ギルドの沙汰が下されたのだろう。

ドルクが机の引き出しから、割れた鑑定石の欠片を布に包んで取り出した。先程の石だ。亀裂の奥で、微かに白い光がまだ燻っている。

「この石は、三十年ギルドにある」

ドルクは欠片を机に置いた。布の繊維が、石の角で小さく毛羽立つ音がした。

「俺が若造の頃からだ。これを割った者は、お前が二人目だ」

カイは黙って石を見ていた。最初の一人は誰かと、聞きたい気もした。聞かなかった。聞いても答えない類の話だと、ドルクの口の引き方で分かった。

「一人目を聞かないのか」

「聞けば、答えるのか」

「答えん」

ドルクが顎髭の奥で微かに笑った。笑ったというより、短く息を吐いただけかもしれない。

「——身の振り方の話をしよう」

机の木目が、ドルクが身を乗り出した重みでギシリと鳴った。革鎧のベルトが擦れる音と、分厚い掌が机を撫でる乾いた擦過音が続いた。

「お前、『暁の剣』で何をやっていた」

「荷物持ち」

「適性は」

「運搬適性・D」

ドルクが片眉を上げた。

「水晶を割った人間の口から出る等級じゃないな」

「俺も、そう思う」

沈黙が落ちた。ドルクはじっとカイの目を見ている。嘘を試している目ではなかった。ずっと手前の何かを、測っている目だった。年輪のように刻まれた目尻の皺が、光の角度でゆっくりと深くなる。

「——昨夜、街道で何かあったのか」

鋭い問いだった。カイは一拍置いた。喉の奥に、まだ夜露の冷たさが残っている気がした。

「牙狼に襲われた。腕を噛まれた」

「それで、生きて街に着いた」

「石を投げた」

「石、ね」

ドルクが机の上に肘をついた。太い指を組み、その上に顎を乗せる。指の節々には、古い剣だこと、治りきらない切り傷の痕が幾つも重なっていた。

「王都の鑑定は、何年前だ」

「三年前。冒険者登録の時」

「その時、お前の適性は『運搬適性・D』だけだったか」

「……ああ」

「今朝、その下に、何が出た」

カイの指先が、わずかに強張った。ドルクは水晶が割れた時点で、おおよそのことを見抜いていたらしい。隠しても意味がない。カイは息を吐いた。吐いた息が、自分の思ったより長く、部屋の冷えた空気に白く溶けた。

「《万物掌握》。触れたものの重力、硬度、運動の向きを書き換えられる」

ドルクの目が、わずかに細くなった。長い沈黙があった。その間に、廊下の向こうで誰かが笑い、誰かが怒鳴り、杯が木の卓にぶつかる音が遠く響いた。

「——封印スキル、か」

「らしい。パーティ離脱が条件だった」

「吐き気のする話だな」

ドルクが呟いた。吐き捨てる響きだったが、対象はカイではない気がした。机の下で、ドルクの膝が一度だけ、固く組み直される気配があった。

「昔、一度だけ見た」

ドルクは壁の地形図を一瞥した。北の山脈を示す赤い印の上で、視線が一瞬だけ留まる。

「他人の器に寄生するタイプのスキル持ちが、有望な新人を囲い込む。本人のスキルを封じ込めて、雑用だけ吸い上げる。本人は、自分が無能だと信じ込む。——聞き覚えはあるか」

カイは答えなかった。答える必要もなかった。自分の三年間を、過去の事例として処理されているだけだ。それで十分だった。胸の奥で何かがゆっくりと沈殿していくのを、カイは他人事のように感じていた。

「お前の話に戻そう」

ドルクが鑑定石の欠片を指で弾いた。白い光が、一瞬大きく揺れた。

「辺境では、王都の等級は持ち込ません。ここで稼いで、ここの看板で証明しろ」

「構わない」

「最初はCランク依頼からだ。実績がない人間にBの看板は出せん」

「分かっている」

ドルクが頷いた。机の上から一枚の依頼書を差し出す。羊皮紙の端には『C級・街道魔獣駆除』の印。討伐対象、報酬、期限が乾いた字で並んでいる。

「東街道十三里地点。狼系の群れが、商隊を三度襲っている。通常パーティで半日。一人なら、一日見ておけ」

「一日も、かからない」

口にしてから、カイは少しだけ後悔した。昔の自分なら、こんな言い方はしなかった。荷物持ちの口調は、もっと柔らかかった。

ドルクは、咎めなかった。代わりに、机の端に置いた金属カップの水を一口含み、ゆっくりと飲み下した。

「——カイ。一つだけ聞かせろ」

「なんだ」

「追放された時、お前は殺す気があったか」

カイは机の上の石の欠片を見た。白い光は、もうほとんど消えかけていた。亀裂の底で最後の残光が、蛍の瞬きほどに細く震えている。

「なかった」

「今は」

「——今も、ない」

「そうか」

ドルクが短く笑った。今度は、はっきりと笑った。

「それでいい。殺す気の奴は、辺境に回さん」

依頼書を折り畳み、カイはギルドの裏口から街道へ出た。

エルナが追いかけてきた。小さな革袋を差し出す。袋の口には、几帳面な結び目が二重に掛かっていた。

「携帯食と、止血用の布です。……腕、酷いので」

言われて初めて、外套の裾で作った包帯が血で黒ずんでいるのに気づいた。

「借りる。報酬から引いてくれ」

「経費扱いにしておきます」

エルナは事務的に答えた。声の端にわずかな温度があったが、カイは拾わなかった。受け止めるのは、もう少し後でいい。

東街道十三里。昼を過ぎた頃、カイは現場に着いた。

商隊の荷車の残骸が路肩に散っている。車輪が半ば土に沈み、木箱は喰い散らかされていた。乾いた血の跡はどす黒く、群れの足跡は三方から重なっていた。少なくとも十匹以上。牙狼より一回り大きい個体も混じっている。風が草をなぶる音に混じって、遠くで烏が一度だけ鳴いた。

身を隠し、茂みに伏せた。荷物持ちの頃の索敵感覚が、自動で動く。風向き、日差しの角度、足音の反響。葉の裏に溜まった朝露が、頬に冷たく触れた。

群れの寝床は、街道から外れた岩陰だった。昼間は寝ている。奇襲の好機だ。

カイは岩場の入口に立ち、足元の石をひと握り拾った。掌の中で、石の角が三年分の荷運びで硬くなった皮膚に食い込む。

重力を、十倍。

岩場の天井の一点に、石を投じた。

命中した瞬間、石は岩盤を砕き、崩落した塊が寝床の群れに降り注いだ。地響き。悲鳴じみた唸り声が、洞の奥から噴き上がる。砂煙を吐いて外に逃げてきた三匹に、カイは次の石を放った。重力を百倍にした拳大の礫が、先頭の頭蓋を潰す。二匹目の背骨を折る。三匹目は、方向を変えて横に飛び退いた。

そいつは、賢い。

カイは地面の石を踏んだ。足裏の石の硬度を、鋼鉄に書き換える。踏み切って跳ね、三匹目の側面に回り込み、ナイフを喉に突き立てた。血が靴の甲を濡らした。獣の最期の息が、湿った鉄の匂いを含んで顔にかかる。

静寂。

洞の中の気配を確かめる。呼吸音は、もうない。崩落の下で、全て潰れていた。

陽が傾いた頃、カイは素材を背負って街道を戻った。毛皮を縛る紐の硬度を上げ、質量は軽いまま。革袋の携帯食は、手をつけなかった。

——誰かのためじゃない。

口の端で呟いたのは、誰に向けたものでもなかった。三年間、一度も許されなかった独白が、喉の奥でやっと座りを得た。

ギルドに戻った時、夕陽が受付の窓に差していた。

カイが素材の束を台に置くと、居合わせた冒険者たちの会話が止まった。十匹分を超える牙の束、血の匂い、崩落で欠けた毛皮の端。一人の収穫量ではあり得ない量だった。

エルナが素材を検分しながら、顔を上げずに声だけで言った。

「……半日、ですか」

「八刻ほど」

「次も、Cランク依頼を受けますか」

少し間があって、カイは答えた。

「Bが出せるなら、それでもいい」

エルナの手が止まった。

奥の扉が開き、ドルクが無言で歩いてくる。カイの置いた素材と、血の染みた外套を一瞥した。目の奥に、測り終えた光があった。

「——次の依頼書は、明朝、俺が直接渡す」

ドルクが告げた。その声は、酒場の窓を細かく震わせるほど低かった。

奥のテーブルで、革鎧の男たちがこちらを見ていた。カイは視線を受け流し、ナイフの血を布で拭った。

この街に、もう「荷物持ちのカイ」は、いない。

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