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運搬適性D、真スキルは《万物掌握》

第1話 第1話

第1話

第1話

酒杯が鳴った。

ギルド酒場の奥、貸し切りにされた広間には「暁の剣」の四人と、祝いに駆けつけた冒険者たちがひしめいていた。壁にはAランク昇格の証書が飾られ、蝋燭の火が金文字を揺らしている。焼けた肉と安酒の匂いが充満し、木の床は踏み鳴らす革靴の音で絶えず震えていた。

カイは広間の隅で、明日の遠征用の荷袋を整理していた。

祝宴の喧騒は他人事だった。三年間ずっとそうだ。パーティが凱旋すれば仲間は酒を酌み交わし、カイは装備の手入れをする。勝利の乾杯に呼ばれたことは一度もない。

荷袋の底に手を入れ、魔石の残量を指先で確認する。照明用が二割を切っている。明日までに補充しないと、野営で結界が保たない。カイは懐から帳面を出し、数字を書き留めた。こんな仕事を、三年間毎日やってきた。

「——諸君、聞いてくれ」

広間の中央で、リーダーのヴァルトが立ち上がった。金の髪をかきあげ、酒杯を高々と掲げる。冒険者たちが静まった。

「我々『暁の剣』は本日をもって、Aランクに昇格した」

歓声。拍手。ヴァルトは満足げに頷き、視線を広間の隅——カイのいる方へ向けた。

「それに伴い、一つ報告がある」

声の温度が、一段下がった。

「今日をもって、カイには辞めてもらう」

静寂が、酒場を凍らせた。

カイの手が止まった。帳面に書きかけた数字の上で、ペンが静止する。顔は上げなかった。指先だけが、わずかに冷たくなっていくのが分かった。予感はあった。ここ数週間、ヴァルトがカイを見る目には値踏みするような光が混じっていた。それでも、こんな場で——大勢の前で宣告するとは思わなかった。

「Aランクパーティに荷物持ちは要らない。今後は高難度の依頼が増える。足手まといを連れていく余裕はない」

ヴァルトの言葉は、淀みなかった。酒の勢いではない。用意していた台詞だ。

カイは広間を見渡した。

剣士のグレンは腕を組み、目を逸らしている。魔術師のフィオは杯のワインをじっと見つめていた。二人とも知っていたのだ。事前に聞かされていて、止めなかった——その事実が、ヴァルトの宣告よりもずっと深く刺さった。そして治癒師のリーネが——口元に笑みを浮かべていた。

「正直に言うとね」リーネが杯を傾けた。「四人の分け前を五人で割るの、ずっと不満だったの。荷物持ちに戦闘報酬と同じ取り分って、おかしいでしょ?」

カイは何も言わなかった。

三年間、野営のたびにリーネの治癒魔法が最大効率で使えるよう、回復薬草の配合比を調整してきた。彼女が知らないだけだ。知る気もないのだろう。

「——何か言いたいことはあるか」

ヴァルトが見下ろしてくる。腰に佩いた聖剣の柄に手を置いている。威圧のつもりなのか、癖なのか。たぶん両方だ。

カイは帳面を閉じた。ペンを胸ポケットに差し、荷袋の口を結ぶ。三年分の魔石管理記録、結界配置図、装備の劣化リスト。全て入っている。

「荷袋は置いていく」

それだけ言って、カイは立ち上がった。

「はあ?」ヴァルトが眉をひそめた。「中身は——」

「管理帳も入ってる。魔石の補充サイクルと結界の素材配置。引き継ぎは書いてある」

冷えた声だった。怒りではない。三年かけて積み上げてきたものを、他人に渡す作業。それだけだ。

「ふん。ご丁寧なことだ」

ヴァルトが鼻で笑った。周囲の冒険者たちが居心地悪そうに目を伏せるなか、カイは荷袋を床に置き、広間を横切った。

扉に手をかけた背中に、ヴァルトの声が飛んだ。

「お前の代わりなんていくらでもいる」

カイは振り返らなかった。

扉を押し開けると、夜風が頬を打った。季節外れの冷たさだ。街の大通りには人影がなく、ギルド酒場の灯りだけが石畳を照らしている。

歩き出す。

三年間、毎朝同じ時間に起きて荷物を点検した。毎晩、全員が寝静まった後に結界の素材を配置した。魔石が切れないよう残量を記録し、装備が劣化する前に手入れの進言をした。「暁の剣」が三年間無敗でAランクまで駆け上がれたのは、偶然じゃない。

だが、それを証明する気はなかった。

証明しなければ分からない連中に、これ以上くれてやるものはない。

──別にいい。

宿に戻り、私物をまとめた。着替えが二着、使い慣れたナイフ、路銀の入った革袋。それだけだ。三年間パーティにいて、自分の持ち物がこれだけしかないことに、カイは小さく笑った。

宿を出て、東門へ向かう。辺境の街レンガルドへ続く街道がある。人の少ない土地だ。噂も届きにくい。やり直すには悪くない。

門番が怪訝そうな顔をした。「こんな夜中にか? 街道には魔獣が出るぞ」

「知ってる」

素っ気なく答えて、カイは門をくぐった。

石畳が土に変わった。月明かりだけの街道を、一人で歩く。背後の街の灯りが遠ざかるたび、三年間の重さが少しずつ剥がれていく気がした。

しばらく歩いた頃だ。

右の茂みが、揺れた。

風ではない。カイの足が止まる。左の木立からも音がする。囲まれている——荷物持ちとして培った索敵感覚が、即座に状況を読んだ。草を踏む足音は低く、等間隔。統率された群れの動きだった。

茂みから黒い影が飛び出した。低く地を這う四足の獣。一匹、二匹——数えるのをやめた。七、八匹はいる。月光に照らされた毛皮は墨を塗ったように黒く、裂けた口から涎が糸を引いている。

牙狼の群れだ。Cランク相当。パーティなら問題にならないが、武器もなく戦闘スキルもない単独の人間には、致命的だった。

腰のナイフを抜く。刃渡り二十センチ。牙狼の毛皮を貫けるかどうかも怪しい。

先頭の一匹が跳びかかってきた。横に転がってかわす。爪が外套を裂いた。背中から冷たい夜気が入り込む。

二匹目。三匹目。避けきれずに腕を噛まれた。激痛が走り、血が地面に散る。牙が肉に食い込む感触が、骨にまで響いた。噛まれた腕を引き抜くと、肉が千切れる音がした。

——ここで死ぬのか。

地面に膝をついた。牙狼たちが距離を詰める。黄色い眼が弧を描くように並び、低い唸り声が四方から重なった。血の匂いに興奮しているのだ。

その瞬間、視界の端で何かが光った。

見慣れた半透明のウィンドウ。鑑定結果だ。だが、表示が違う。「運搬適性・D」の文字が明滅し——その下に、見たことのない行が浮かび上がった。

『真スキル封印解除条件:所属パーティからの離脱 ──条件充足』

文字が書き換わる。

『《万物掌握》──触れた物体の重力・硬度・運動ベクトルを任意に操作する』

指先が、熱い。骨の芯から沸き上がるような熱が、噛まれた腕の痛みを塗り潰していく。

足元の石に手を触れた。直感だった。理屈ではなく、体が知っていた。石の重さが手のひらの中で膨れ上がるのを感じた。十倍、百倍——際限なく密度が書き換わる感覚。石を掴み、跳びかかる牙狼に向けて——放った。

轟音。

拳大の石が牙狼の胴を貫通した。着弾点の地面が抉れ、土煙が舞い上がる。残りの牙狼が怯んで後ずさった。

もう一つ。地面から石を拾い、重力を上乗せする。投じた石は隕石のような軌道で二匹目を叩き潰した。三匹目が背後から襲いかかる。振り向きざまに掴んだ枝の硬度を鋼鉄に書き換え、振り抜いた。骨が砕ける鈍い音がした。

残った牙狼が、尾を巻いて逃げていく。

静寂が戻った。

カイは血の滲む腕を押さえ、荒い呼吸を整えた。足元には三匹の牙狼の骸。拳大の石と木の枝だけで、Cランクの魔獣を殲滅した。

鑑定ウィンドウがまだ浮かんでいる。《万物掌握》。三年間、「運搬適性・D」の下に封じられていた力。パーティに所属している限り、決して目覚めないスキル。

──皮肉だな。追い出されたおかげか。

月を見上げた。雲が切れ、白い光が街道を照らしている。

三年間、誰かのために使ってきた。荷物を運び、結界を張り、魔石を管理した。その全てが、報われることはなかった。

もういい。

「次は——自分のためだ」

声に出したのは、誓いを刻むためだ。聞いている者は誰もいない。それでよかった。

血を拭い、カイは再び歩き出した。東の空がわずかに白み始めている。レンガルドまで、あと半日。

背後の街では、「暁の剣」がまだ祝杯を上げているはずだ。荷袋の中身を確認する者は、今夜は誰もいないだろう。明日になって気づくかもしれない。魔石の補充期限が今日だったことに。

だが、それはもうカイの仕事ではない。

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