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ギルドのネズミと禁忌の刻印

第3話 第3話

第3話

第3話

遺跡の内部は、地上の者が想像する闘とは異なっていた。

螺旋の石段を降りきった先に広がっていたのは、天井の高い回廊だった。湿った空気が肌に纏わりつき、地上では嗅いだことのない鉱物めいた匂いが鼻腔を刺した。松明の炎が壁面を舐めると、刻まれた紋様が橙色に浮かび上がる。だがカイの目には、それとは別の光が見えていた。紋様の奥を流れる青白い脈動が、回廊の奥へ向かって一筋の水脈のように続いている。その光は冷たく、けれど確かに生きている何かの気配を帯びていた。隊列の先頭を行くグレイスが片手を上げ、全員の足が止まった。

「空気が変わった。ここから先は二列縦隊。荷物持ちは最後尾、薬師の後ろにつけ」

グレイスの声は低く、反響を抑えるように壁際へ吸い込まれた。A級冒険者たちの動きには淀みがなく、指示の前に既に陣形が組み替わり始めていた。カイは背負子の紐を締め直し、最後尾についた。紐が肩に食い込み、背中の荷が揺れるたびに金属の薬瓶が小さく鳴った。前を歩く薬師の老人が、時折立ち止まっては壁面の紋様に指を這わせている。その指先が紋様に触れるたび、カイの目にだけ見える脈動が僅かに揺らいだ。老人がそれを感じ取っているのかどうかは分からなかったが、触れた指を離すとき、決まって小さく首を傾げていた。

回廊は枝分かれを繰り返しながら、緩やかに下降していった。分岐のたびにグレイスが壁面の紋様と空気の流れを確かめ、進路を選ぶ。石の床には塵一つなく、数百年の歳月が嘘のように清潔だった。だが時折、壁の紋様が途切れた箇所があり、そこだけ石が黒く焦げていた。何かが、かつてこの回廊で燃えたのだ。焦げた石に近づくと、かすかに苦い匂いが残っていて、カイは無意識に口元を覆った。

最初の異変は、隊列が三つ目の分岐を過ぎた直後に起きた。

先頭の冒険者が足を止め、剣の柄に手をかけた。空気の温度が一段下がったような気がした。次の瞬間、回廊の天井から黒い影が落ちた。

それは生き物だった。石の色をした外皮を持ち、六本の脚が壁面を掴んで移動する——蜘蛛に似た、しかし蜘蛛よりはるかに大きな魔物だった。体長は大人の胴ほどもあり、扁平な頭部に並んだ複眼が松明の炎を反射して赤く光った。関節の隙間から覗く薄い膜が、呼吸のように伸縮している。一匹ではない。天井を覆うようにして、数十の複眼が一斉に隊列を見下ろしていた。

「散開! 天井を警戒しろ!」

グレイスの怒号と同時に、天井から魔物の群れが雪崩れ落ちた。石と石が擦れ合う不快な音が回廊を満たし、松明の炎が激しく揺れる。先頭の冒険者二人が剣を抜き、落下してきた魔物を斬り伏せた。硬い外皮を断ち割る鈍い手応えが響き、黒い体液が石の床に飛び散る。体液は酸のような刺激臭を放ち、それが石を僅かに溶かして白い煙を上げた。だが斬っても斬っても、天井から新たな個体が這い出してくるのだ。

隊列が乱れた。狭い回廊での戦闘は、A級冒険者たちの腕をもってしても困難を極めた。剣を振るう空間が限られ、後列の冒険者は前衛の背中に阻まれて攻撃に参加できない。魔物は壁面と天井を自在に移動し、死角から飛びかかってくる。一人の冒険者が肩を抉られ、血飛沫が松明の炎に赤く照らされた。短い呻き声を噛み殺し、冒険者は血の滴る腕でなお剣を構え直した。

「退け! 入口まで戻る!」

グレイスの判断は速かった。だが魔物たちは退路を塞ぐように天井を伝い、隊列の後方にも回り込んでいた。最後尾にいたカイの頭上で、石の擦れる音が鳴った。振り仰ぐと、複眼の群れがすぐそこまで迫っていた。赤い光の粒が暗闇の中で揺れ、そのどれもがカイを見ていた。薬師の老人がカイの腕を掴んで引き寄せ、横の通路に押し込んだ。老人の掌は乾いていたが、握る力は若者のように強かった。

「走れ、坊主!」

老人の声が途切れた。天井から落ちた魔物が老人の背に組みつき、二人の間を引き裂いた。カイは叫んだが、声は魔物の羽音と石壁の反響に呑まれた。暗い通路を本能的に走る。背後で戦闘の音が遠ざかり、やがて自分の足音と荒い呼吸だけが残った。

足元が崩れたのは、通路が急に下り傾斜に変わった直後だった。

石の床に亀裂が走り、カイの体重を支えきれずに砕けた。落ちる。背負子の中身が散らばり、松明が一本だけ手の中に残った。体が宙を滑り、肩と腰を何度も石壁に打ちつけながら、カイは崩落する瓦礫とともに闇の底へ落下した。

衝撃が全身を貫いた。

息が止まり、視界が白く弾けた。背中を打った痛みが遅れて押し寄せ、肺の中の空気が絞り出される。しばらく動けなかった。砂塵が舞い、口の中がざらついた。舌の上に血の味が広がり、唇の端が切れていることに気づいた。指先に松明の柄の感触を確かめ、もう片方の手で床を探る。石だ。加工された、滑らかな石。自然の洞窟ではない。

松明に火を移すのに、震える手で三度打石を擦った。四度目でようやく火花が芯に移り、弱々しい炎が暗闇を押し返した。

祭壇の間だった。

カイは息を呑んだ。円形の広間の中央に、黒い石で造られた祭壇が鎮座している。天井は見上げても闇に消え、壁面には回廊のものよりはるかに密度の高い紋様がびっしりと刻まれていた。紋様は渦を巻き、波打ち、幾重にも重なり合って、一つの巨大な図像を形成している。そしてその全てが——カイの目に——強く、激しく、脈動していた。

回廊で見た淡い燐光とは比較にならなかった。紋様の一本一本が血管のように蠢き、青白い光が壁面を這い回っている。その光が集束する先が、中央の祭壇だった。祭壇の表面にも紋様が刻まれ、そこだけは光ではなく熱を発しているかのように空気が揺らいでいた。近づくと、肌がひりつくような圧を感じた。音のない振動が骨の奥まで届き、歯の根が微かに痺れた。

カイは壁を背に立ち上がった。全身が軋む。右の肩は打撲で腫れ始め、左の掌は落下の際に擦りむいて血が滲んでいた。見上げると、落ちてきた穴は三丈ほどの高さにあり、崩落した瓦礫が通路を完全に塞いでいた。登れる高さではない。回り込む道も見当たらない。

退路がなかった。

松明が一本。背負子は落下の衝撃で壊れ、中身は散乱している。拾い集められたのは縄の切れ端と、潰れた保存食が一つ。それだけだった。カイは壁際に座り込み、膝を抱えた。指先から震えが止まらない。あの魔物の複眼が瞼の裏にちらつく。薬師の老人は無事だろうか。調査隊は。誰か、この下まで来てくれるだろうか。

来ない。そう理性が告げていた。あの混乱の中で、荷物持ちの少年一人が消えたことに気づく者がいるとは思えない。仮に気づいたとしても、魔物が跋扈する遺跡の深部まで、たかが雑用係を救いに戻る冒険者はいない。

カイは一人だった。いつも通り。倉庫の隅で膝を抱えるのと何が違う。壁の向こうが街路か地底かの違いだけで、誰にも名を呼ばれず、誰にも探されず、ただ一人で息をしている。目の奥が熱くなったが、涙は出なかった。泣いたところで何も変わらないと、体がとうに覚えていた。

そのとき、空気が変わった。

祭壇の紋様が、一段強く脈動した。光が壁面の紋様を伝って広間全体に波及し、青白い輝きがカイの影を壁に焼きつけた。それだけではない。広間の入口——カイが落ちてきたのとは反対側、暗い通路の奥から、石を引っ掻く音が聞こえた。

あの音を、カイは知っていた。六本の脚が石壁を掴む音だ。

一匹ではない。通路の闇の中で、無数の複眼が赤く灯り始めていた。魔物が、地下の気配を辿ってここまで降りてきたのだ。退路はない。武器もない。松明の炎が揺れ、カイの影が祭壇の上で踊った。

背後で、祭壇の紋様がひときわ強く脈打った。振り返ると、黒い石の表面に刻まれた紋様が、もはや脈動ではなく明確な光を放っていた。規則正しく、まるで呼吸するように——いや、まるでカイの心臓の鼓動に合わせるように、明滅を繰り返している。

通路の闇から、最初の一匹が姿を現した。扁平な頭部が床を擦り、複眼がカイを捉えて固定された。その後ろから、二匹目、三匹目が壁面を伝って這い出してくる。

松明の炎が、短くなり始めていた。

カイの背中で、祭壇の光が脈打っている。心臓と同じ速さで。まるで、触れろと言うかのように。

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