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無能軍師の静かな炎

第3話 第3話

第3話

第3話

水汲みは、思った以上に重労働だった。

井戸は廃村の中央にある。石組みの縁は苔に覆われ、滑車は錆びついて軋む。桶を一つ降ろし、引き上げるだけで腕が震えた。滑車の鉄軸が悲鳴を上げるたびに、歯の奥まで響くような不快な振動が伝わってくる。三日間の飢渇で削られた体力は、一晩の干し肉で戻るものではなかった。

だが、レンは黙々と桶を運んだ。

水場から炊事場まで、崩れた石壁の間を縫って三十歩。それを七往復。途中で膝が折れかけたが、壁に手をついて堪えた。指先が触れた石壁は朝露に濡れ、冷たさが骨まで沁みた。誰も手を貸さなかった。当然だと思った。ここは宮廷ではない。気遣いの言葉ひとつで忠誠を買える場所ではない。水を運べるか否か。薪を割れるか否か。その一点だけが、この集団における存在の証明だった。

七往復を終えたとき、レンの足元に水溜まりができていた。桶の底が割れかけている。次に使えば持たないだろう。だが替えの桶はなかった。

「手が遅い」

ヨルグが通りすがりに言った。片目の元ヴェルダ兵は、レンを一瞥しただけで炊事場に消えた。侮蔑ではない。事実の指摘だった。反論する余力も、反論すべき根拠もなかった。

薪割りはさらに堪えた。斧を振り上げる度に視界が暗転し、手の豆が潰れて血が滲んだ。割れた皮膚に木屑が食い込み、汗が染みるたびに鋭い痛みが走った。だが木を割る衝撃が掌から腕へ、腕から肩へと伝わるたびに、身体の輪郭が少しずつ戻ってくる感覚があった。六年間、紙と羽根ペンしか握らなかった手が、鈍い痛みとともに新しい記憶を刻んでいく。

昼前に、カイルが声をかけてきた。

「飯にしろ。倒れられると面倒だ」

差し出されたのは雑穀の粥と、硬い黒パンの欠片だった。レンは礼を言いかけて、やめた。ここでは礼は要らない。食えと言われたから食う。それだけのことだった。

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三日が過ぎた。

レンの日課は水汲みと薪割りに加え、見張りの交代にも組み込まれた。夜半から明け方までの、最も冷え込む時間帯。それが新参者に与えられる番だった。

見張り台は廃村の北端、崩れた物見塔の残骸だった。石段を登ると、国境の荒野が月光の下に広がる。アルシェス側は低い丘陵が連なり、ヴェルダ側は疎林と草原が続いている。風が草を撫でる音だけが、延々と耳を満たした。夜気は肌を刺すほど冷たく、吐く息が白く月明かりに浮かんでは消えた。

交代のとき、断片的に言葉を交わした。

見張りを引き継いだのは、名をセドリックという若い男だった。村をアルシェスの行軍に潰されたと、初夜の焚き火で語った男。まだ十九だと聞いた。

「眠れないのか」レンが聞いた。

「いつものことだ」セドリックは塔の縁に腰を下ろした。手にした短剣の柄を、無意識に撫でている。「目を閉じると、村が燃える夢を見る。もう三年になるのに、煙の匂いまで思い出す」

レンは何も言わなかった。言えることがなかった。その村を踏み潰した軍の行軍計画は、あるいはレンが書類に捺印した補給路の一部に含まれていたかもしれなかった。喉の奥が詰まるような感覚があった。罪悪感という言葉では足りない。もっと冷たく、もっと即物的な——自分が署名した書類の一行が、目の前のこの青年の人生を灰にした可能性。その重さが、夜風と一緒に肺の底に沈んでいった。

翌日の見張りでは、ダグという無口な大男と組んだ。元アルシェス第七遊撃隊の一人で、カイルの部下だった。

「カイルは変わった」ダグは低い声で言った。「隊にいた頃は、もっと笑う男だった。解散令が出てからだ。笑わなくなったのは」

「三十二人から六人になったと聞いた」

「死んだ者もいる。散った者もいる。だが一番堪えたのは、戻った者だ」

「戻った?」

「アルシェスに。恩赦を求めて膝を屈した者が何人かいた。カイルは止めなかった。だが、あれ以来だ。人を信じるのに時間がかかるようになったのは」

レンは頷いた。裏切りよりも、離反のほうが深く刺さることがある。敵に斬られた傷は癒えるが、味方が背を向けた記憶は膿み続ける。レンにも覚えがあった。宮廷で、かつて自分の策を最も熱心に支持した将が、風向きが変わった途端に弾劾の列に並んだ日のことを。

五日目の朝、レンは炊事場でヨルグと向かい合った。ヨルグは芋の皮を黙々と剥いていた。レンも同じ作業に加わった。泥のついた芋は冷たく、不器用な手つきで刃を入れるたびに厚く実まで削ってしまう。ヨルグの手元を盗み見ると、片目でありながら、その指先は無駄なく薄く皮だけを剥いていた。

「あんた、軍師だったんだろう」ヨルグが芋に目を落としたまま言った。「見ていればわかる。人の配置を数える目つきだ」

「昔の話だ」

「昔の話で済むなら、俺たちはここにいない」

ヨルグは片目でレンを見た。その残った目に、諦観とも開き直りともつかない光が浮かんでいた。

「あんたが何を見ているかは知らんが、言っておく。この部隊は軍じゃない。寄せ集めだ。命令系統もない。カイルが纏めているように見えるのは、他に行く場所がないからだ。忠誠じゃない。消去法だ」

その通りだった。レンの目には、この数日で見えたものがある。連携の訓練をしていない。号令への反応が遅い。各々が自分の判断で動く癖がついている。正規軍なら初日に矯正される基本が、ここでは誰にも指摘されないまま放置されていた。士気の問題ではない。士気以前に、集団としての骨格がなかった。

だが同時に、個々の技量は侮れないことも見抜いていた。カイルの剣は正規の将校級だ。ダグの膂力は並の兵二人分に値する。ヨルグは片目でありながら、弓の腕は衰えていない。セドリックでさえ、短剣の扱いに独学の鋭さがあった。

素材はある。型がないだけだ。

その考えが浮かんだ瞬間、レンは自分を戒めた。お前はもう軍師ではない。ここは戦場ではない。この男たちは兵ではない。水を汲み、薪を割り、芋の皮を剥く——それだけが、今のお前に許された役割だ。

だが、軍師の目は閉じることを知らなかった。

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六日目の夕刻、廃村に客が来た。

ヴェルダの街から来たという行商人だった。痩せた驢馬に粗末な荷を積み、カイルの部隊に塩と干し魚を売りに来る。月に二度ほど現れるのだと、セドリックが教えてくれた。

行商人は商いの合間に、街の噂を落としていった。

「アルシェスの兵がきな臭い動きをしているらしい」行商人は声を潜めた。「国境の東、ザーレン峠の向こうに斥候が出ている。ヴェルダの領内に入り込んでいるという話もある」

焚き火を囲んでいた男たちの空気が変わった。それまで惰性で揺れていた炎の前の身体が、一斉に強張るのがわかった。

「斥候だと?」ダグが低く唸った。「数は」

「わからん。だが一人二人じゃないという話だ。街では、戦になるんじゃないかと噂している」

レンは黙って聞いていた。脳裏に、アルシェスの地図が浮かんだ。北方防衛戦が終わり、帝国の脅威が後退した今、アルシェスの余剰戦力は——西に向く。ヴェルダへ。時期としては早すぎるが、ケルダ要塞の勝利がグレイヴスの威信を高めた今、拡張を主張する声が宮廷で力を得ていても不思議はなかった。

行商人が去った後、カイルは長い間焚き火を見つめていた。

炎が男の顔を照らしている。その表情は、レンがこの六日間で見たどの顔とも違っていた。怒りでも、恐れでもない。もっと根深い何か——かつて属した国の影が、再び自分たちの居場所を脅かそうとしている、その理不尽への、声にならない感情だった。

「カイル」レンは呼びかけた。

「黙っていろ、軍師殿」

カイルの声は平坦だった。だが、剣の柄を握る手の甲に、白く浮き出た筋が見えた。

レンは口を閉じた。今はまだ、言葉の出番ではなかった。

だが頭の中では、既に別の計算が始まっていた。アルシェスの斥候がヴェルダ領内に入っているということは、偵察段階は終盤に近い。本隊の侵攻までに残された時間は——長くて数週間。

十四人の傭兵崩れと、行く場所のない元軍師。

この廃村は、戦の道の真上にあった。

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