第2話
第2話
──死んだ。
扉が開いて0.4秒。最初の一体が放った斬撃を認識した瞬間には、もう体が宙を舞っていた。HPが一瞬で蒸発する。視界が暗転し、赤い文字列が網膜を焼く。
『YOU ARE DEAD』
リスポーン地点は扉の手前。螺旋通路の最下層、あの黒い金属扉の目の前だった。つまり、ここが「零番目の試練場」の拠点ポイントとして登録されている。繰り返し挑めということだ。
体の震えが止まらなかった。恐怖じゃない。0.4秒。敵のモーションすら視認できずに死んだのは、3年間で初めてだ。指先が痺れている。脈拍が耳の奥で鳴っている。この感覚を、体は「興奮」と呼んでいた。
扉を開く。
今度は構えた状態で踏み込んだ。広さはざっと100メートル四方。天井は暗闘に溶けて見えない。床は黒い石材で、中央に円形の紋様が刻まれている。その紋様を囲むように、6体の異形が佇んでいた。
1体目──双剣を持った人型。細身で、鎧はない。 2体目──四足獣。背中に水晶のような突起。 3体目──巨大な甲殻の塊。動く城壁。 4体目──浮遊する球体。周囲に光の環。 5体目──影そのもの。輪郭が揺らいでいる。 6体目──翼を持った竜人。最も奥に立っている。
全員のステータスバーが同時に点灯した。レベル表示は依然「??」。名前は上から順に《壱ノ刃》《弐ノ牙》《参ノ壁》《肆ノ眼》《伍ノ影》《陸ノ翼》。試練場にふさわしいネーミング。番号振りの意味が戦闘順なのか強さ順なのか、この時点ではわからない。
動いた。6体、同時に。
今度は見えた──《壱ノ刃》の双剣が交差する軌道を。刃と刃が描く弧が空気を裂き、青白い残光が十字に走る。だが見えたところで、残り5体の攻撃が時間差なしで飛んでくる。《壱ノ刃》の斬撃を右に躱した先に《弐ノ牙》の突進。跳んで避ければ《陸ノ翼》の空中からの急降下。どの回避ルートを選んでも、次の攻撃が完璧に待ち構えている。
HP残り40%。20%。
3秒で死んだ。さっきの8倍は保ったが、意味のある数字じゃない。
3回目。扉を開く。今度は入口で待ち構えて、最初に突っ込んでくる《弐ノ牙》にカウンターを合わせた。ダメージ表示──87。ロングソードの通常攻撃で87。紅蓮の回廊のボスには1,200出ていた武器で、87。硬すぎる。刃が甲殻を叩く手応えは、岩壁を素手で殴ったような鈍い抵抗感だった。
4回目。スキル「幻影歩行」を開幕に使い、攻撃をすり抜けながら観察に徹した。0.3秒の無敵時間で得られた情報──6体の初撃はほぼ同時だが、2撃目以降の攻撃間隔がそれぞれ違う。《壱ノ刃》は最速。《参ノ壁》は最も遅い。だが遅い分、一撃の範囲が広い。床を叩く衝撃波が部屋の半分を覆った。
5回目。6回目。7回目。死んで、分析して、死んで、分析する。
10回死んだ時点で、それぞれの攻撃パターンの概要が見えてきた。《壱ノ刃》は8パターン。《弐ノ牙》は6パターン。《参ノ壁》は4パターンだが全て広範囲。《肆ノ眼》は直接攻撃をせず、光線による遠距離支援。《伍ノ影》は不可視化からの奇襲。《陸ノ翼》は空中からの急降下と風圧。
合計38パターン。6体分のモーションを同時に処理しながら回避し続ける必要がある。紅蓮の回廊のヴァルムンドは12パターンだった。3倍以上の情報量を、6倍の敵から同時に受ける。脳の処理限界を超えている。
だが──問題はそこじゃない。
15回目。ここまでの最長生存時間を記録した。14秒。その14秒間に分かったことがある。
6体のボスは、明確に「連携」している。
《壱ノ刃》の斬撃で退路を断ち、《弐ノ牙》が追い込み、《参ノ壁》の衝撃波で足を止め、《肆ノ眼》の光線で仕留める。単体でも脅威だが、6体の攻撃が噛み合わさることで、回避ルートが数学的にゼロになる瞬間がある。逃げ場がない。四方を塞がれ、頭上を押さえられ、足元を揺らされる。完成された殺意の包囲網だった。
つまり、理論上ソロ撃破は不可能だ。
ステータス画面を開いた。このゲームには攻略支援機能として「理論値計算」がある。自分のステータスと敵の推定値から、クリア可能性を算出するツール。紅蓮の回廊をソロで挑んだとき、表示された数値は12%だった。低いが、ゼロではない。
今回の表示。
『ソロ撃破理論値:0.000%』
小数第三位までゼロ。四捨五入ですらない、完全なゼロ。推奨人数不明の意味がようやくわかった。ソロでは理論値が0%。ということは何人で来ればいいのか、システム側も算定できないのだ。
普通のプレイヤーなら、ここで帰る。というより、3回目あたりで帰っている。報酬未定、レベル不明、理論値ゼロ。挑む動機が存在しない。
俺は扉を開いた。16回目。
理由は単純だ。理論値がゼロということは、このゲームの戦闘システムの想定内には攻略法が存在しないということ。だが、紅蓮の回廊の壁だって「すり抜け不可」が前提のオブジェクトだった。想定外は常にある。なければ作る。
17回目。戦闘開始直後に全力で後退し、入口付近で引き撃ちを試みる。追ってきたのは《壱ノ刃》と《弐ノ牙》だけ。残り4体は中央の紋様から離れない。分断は可能。だが2体だけでも被ダメージが足りず、削りきれないまま20秒で倒された。入口に引いた分、《参ノ壁》の衝撃波が届かなかったのが唯一の収穫。
18回目。逆に紋様の中心に突っ込んでみた。6体の攻撃が集中する最も危険な位置──だが、密集すると互いの攻撃判定が干渉するかもしれない。予想は外れた。6体の攻撃は完璧に重ならないよう設計されている。同士討ちはない。2秒で沈んだ。
19回目。20回目。全滅のたびに、ノートに書き込む。VR内のメモ機能じゃない。現実世界の机に置いた紙のノートだ。VR空間で得た情報を、体が覚えている感覚ごと書き留める。ペンを走らせる指が微かに震えていた。ヘッドセットを外した一瞬だけ見える自室の蛍光灯が、やけに眩しい。攻略動画を上げているプレイヤーは多いが、自分の体の記憶を文字で残すやつはあまりいないだろう。
21回目で、あることに気づいた。
《肆ノ眼》の光線。遠距離支援型の攻撃で、本体は中央から動かない。光線の発射間隔は約2.8秒。だがこの2.8秒が──戦闘開始から40秒以降、わずかに揺れる。2.7秒になったり、2.9秒になったり。他の5体の攻撃タイミングとの関係で変動しているように見える。
22回目。意識を《肆ノ眼》の光線タイミングだけに集中して、あとは本能で躱す。生存時間22秒。短いが、確信が深まった。光線の間隔は一定じゃない。他のボスの攻撃と「噛み合う」タイミングで短くなり、「噛み合わない」タイミングで長くなる。
23回目。今度は《壱ノ刃》と《弐ノ牙》の攻撃間隔の相関を観察した。こちらにも同じ傾向がある。2体の攻撃が完璧に連携する瞬間と、わずかにズレる瞬間。
ズレ。
6体の連携は完璧に見えるが、完璧じゃない。6つの異なる攻撃周期が重なり合う中で、全体の同期が乱れる瞬間がある。月の満ち欠けのように、周期的に。それは設計上の瑕疵ではなく、6つの独立した周期が生み出す干渉波のようなものだ。
問題は、その「ズレ」がいつ来るかだ。何十回か、何百回か試行を重ねれば、6体全ての周期の噛み合わせがわかるかもしれない。そうすればズレが最大になる瞬間──つまり、6体の連携に隙間が生まれる瞬間を予測できる。
0.000%。確かに、通常の戦闘理論では撃破不可能だ。だがこのズレが意図的な設計なら──このボスは「周期を読んで隙を突く」ことを前提に作られている。そんな攻略法、理論値計算のアルゴリズムには組み込まれていないだろう。
24回目の扉を開く前に、時計を確認した。現実時間で3時間が経過している。食事も取っていない。VRヘッドセットの内側が汗で湿り、こめかみに鈍い圧迫感がある。
だが、口元が歪んでいた。笑っている。24回殺されて、まだ一度も有効打を入れられていない相手に挑み続けている自分が、笑っている。
──0.000%を塗り替える。
扉を開いた。6つの影が、待ち構えるように微動した。そのわずかな動きの中に、もう「ズレ」を探す目が作動している。
何回死んでも構わない。このパズルの答えは、必ずどこかの周期の中に埋まっている。