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周波数支配の最弱覚醒

第3話 第3話

第3話

第3話

——世界が、鳴っている。

 白い視界の中で、俺は自分の体の輪郭を見失っていた。胸を貫いた影喰いの爪はまだそこにあるはずなのに、痛みが消えている。代わりに、体の内側を埋め尽くす振動だけが在った。

 心臓の鼓動。血流の脈動。細胞の一つ一つが震える微細な波。それらが重なり、干渉し、共鳴して——一つの巨大な波形を作り上げていく。

 これまで計測器が拾えなかったもの。E級の烙印の下に封じ込められていたもの。それが今、殻を内側から食い破ろうとしている。

 砕ける音がした。

 物理的な音ではない。胸の芯にあった何か——蓋、封印、あるいはリミッター。呼び方は分からない。ただ、十七年間ずっと俺の振動を「ゼロ」に押し留めていた壁が、影喰いの爪に抉られた衝撃で粉々に崩壊した。

 その瞬間、振動が牙を剥いた。

 爆発だった。

 音速を超えた振動波が俺の体を中心に球状に拡散する。空気が悲鳴を上げるように裂け、不可視の衝撃波が全方位に放射された。鼓膜が圧力で押しつぶされ、一瞬だけ世界から音が消えた。直後、遅れてきた轟音が内臓を揺さぶった。

 影喰いが最初に砕けた。俺の胸に突き刺さっていた前脚が根元から振動で分解される。影で構成された体が、内側から共鳴崩壊を起こしていた。体表が細かく震え、ひび割れ、黒い粒子となって弾け飛ぶ。二メートルの獣型異形が、一秒と保たなかった。影喰いの赤い眼が驚愕に見開かれた——ように見えた。次の瞬間には、眼も頭部も存在しなかった。

 だが振動は影喰いを砕いただけでは止まらなかった。

 暴走している。

 制御という概念が存在しない。蛇口を全開にしたのではなく、ダムが決壊したのだ。十七年分の異能が堰を切って溢れ出し、俺の意志など無関係に周囲を蹂躙していく。

 街灯が折れた。鋼鉄のポールが中腹から共振に耐えかねて圧壊し、ナトリウムランプが地面に落ちて砕ける。オレンジ色の破片が飛び散った。

 アスファルトに蜘蛛の巣状の亀裂が走る。公園のベンチが弾け、木片が四方に散らばった。砂場の砂が一斉に舞い上がり、白い霧のように視界を覆う。

 半径二十メートル。その圏内にあるすべてのものが、共鳴振動によって内部構造を破壊されていく。

 ——陽太。

 白い視界が晴れた瞬間、最初に見えたのは弟だった。

 さっき俺が突き飛ばした方向。公園の端、植え込みの手前。振動で砕けた街灯のポールが斜めに倒れ、その下に——

「陽太ッ!」

 叫んだ。声が出た。体が動いた。振動はまだ全身を満たしていたが、弟の名前を叫んだ瞬間、波が一瞬だけ凪いだ。

 走り寄る。倒れた街灯のポールの下敷きになっている。いや、完全な下敷きではない。植え込みのツツジの茂みがクッションになって、ポールの直撃は免れていた。だが飛び散ったコンクリート片が右腕にぶつかったのか、制服の袖が破れて血が滲んでいる。

「陽太、おい、陽太!」

「——兄、ちゃん」

 生きている。意識がある。目が合った瞬間、膝から力が抜けそうになった。

 ポールを持ち上げようと手をかけた時——掌に触れた鋼鉄が、ビリビリと共振して表面に細かいヒビを入れた。俺の手がまだ振動している。触れたものを壊す手になっている。

 慌てて手を離した。

 陽太に触れられない。今の俺が弟に触れたら、助けるどころか壊してしまう。

「動くな、そのまま動くな」

「兄ちゃん、血——すごい血出てるよ」

 陽太が俺の胸を見ている。影喰いの爪が貫いた跡。制服が裂け、胸の中央に黒ずんだ傷口がある。血は出ているが、致命的ではない——と思う。痛みが戻ってきていない。体が振動で麻痺しているのか、アドレナリンで感覚が飛んでいるのか。

「大丈夫だ。俺は大丈夫だから」

 嘘だ。大丈夫なわけがない。自分の体から何が溢れ出しているのか分からない。今も指先が小刻みに震えていて、足元のアスファルトに髪の毛ほどの亀裂が広がり続けている。

 制御できない。

 止め方が分からない。

 「出す」訓練はしたことがある——結果はいつもゼロだったが。でも「止める」訓練なんてしたことがない。止める必要がなかったのだ。何も出なかったのだから。

 周囲を見回す。公園は壊滅していた。遊具はひしゃげ、地面は砕け、街灯は二本とも折れている。近隣住宅のガラスが何枚か割れて、アラームが鳴っていた。人影はない。通報で避難していたか、あるいは単に時間帯の幸運か。

 しかし、このまま振動が止まらなければ——

 遠くでサイレンが聞こえた。異形警報ではない。討伐班の出動サイレン。通報が届いたのだ。

 だが、今ここに異形はもういない。俺が砕いた。

 サイレンが近づいてくる。複数台。二台、三台——いや、もっと多い。討伐班にしては規模が大きすぎる。

 最初に到着したのは黒いセダンだった。討伐班の装甲車ではない。異能管理局の公用車。ナンバープレートのない、無機質な車体。

 運転席から降りてきたのは、長身の男だった。黒いコートに、異能管理局の徽章。短く刈り込んだ銀髪と、感情を排した鋭い目。年齢は四十前後。

 男は破壊された公園を一瞥し、地面に残る影喰いの残骸——黒い粒子がまだ空中に漂っている——を見て、それから俺を見た。

 俺の足元のアスファルトがまだ微かに震えている。男の目がそれを捉えた。

「神代翔真。異能技術学院一年、E級登録」

 俺の名前を知っている。声をかけられたわけでも、名乗ったわけでもないのに。

「——異能管理局査定部、鷹城蓮司だ」

 査定部。異能者のランク査定と、危険異能の監視を管轄する部署。教科書で読んだことがある。滅多に表に出てこない、局の中でも特殊な部門。

 男——鷹城は、コートのポケットから小型の計測端末を取り出した。俺に向けてかざす。液晶画面に数値が走り、赤い警告表示が点滅した。

 鷹城の眉が一ミリだけ動いた。それが感情表現の全てだった。

 計測端末をポケットに戻し、無線機を口元に寄せる。

「鷹城だ。現場に到着。対象を確認した」

 無線の向こうから何か応答がある。鷹城はそれを聞きながら、再び俺を見た。胸の傷、震える指先、足元の亀裂、そして破壊された半径二十メートルの圏内。すべてを数秒で査定するような目つきだった。

「——S級候補の緊急収容案件だ。医療班と制御班を同時に回せ」

 S級。

 その単語が、破壊された公園の空気を切り裂いた。陽太が息を呑む音が聞こえた。

 E級、出力ゼロ。それが今朝までの俺だった。計測器が反応しない。風すら起こせない。教官に素通りされ、同級生に嘲笑され、自分でも認めかけていた烙印。

 それが——S級。国内に両手で数えるほどしかいない、最上位の等級。聞き間違いだと思った。だが鷹城の声に冗談の色はなかった。

 鷹城が俺に歩み寄る。振動圏の中に入っても、足元のアスファルトが軋んでも、一切の躊躇がなかった。

「立てるか」

 立っている。かろうじて。

「弟を——陽太を先に」

「医療班がすぐ来る。それより、その振動を今すぐ止められるか」

 止められない。止め方を知らない。

 俺がそう答える前に、鷹城は俺の目を見て理解したらしい。

「そうか。なら——」

 鷹城の右手が動いた。俺の肩に触れる寸前で止まり、指先から透明な膜のようなものが展開された。結界。振動が鷹城の手の周囲で減衰し、初めて波が弱まる感覚があった。

「制御は後で教える。今は、壊すな」

 その声は命令だった。しかし、嘲笑でも無関心でもなかった。初めて聞く音色だった。E級の俺に向けられたことのない——対等な、あるいはそれ以上の何か。

 追加の車両が次々と到着する音が聞こえる。制服姿の管理局員が公園を封鎖し始めている。陽太のもとに医療班が駆け寄るのが視界の端に映った。

 鷹城が無線で誰かと話している。その声は、もう俺には聞こえていなかった。

 掌を見る。まだ震えている。さっきまでゼロだった手が、今は触れるものすべてを壊す手に変わっている。

 守りたかったのに。

 陽太を守るために立ったのに、結局また壊しただけだ。異形も、街灯も、アスファルトも、弟の腕も。

 震える掌を握り締めた。振動が拳の中で暴れ、骨が軋む音がした。それでも離さなかった。この手を止める方法が分からなくても、せめて握り潰して閉じ込めておきたかった。

 目の前が滲んだ。泣いているのか、振動で視界がブレているのか、自分でも分からなかった。

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