第3話
第3話「指から溢れる青白い光」
暗闇の中で、自分の身体が何をしているのか理解できなかった。
指先から溢れる青白い光が子供たちの顔を照らしている。その光は俺の意思で灯したものではない。プレクサスが制御を完全に離れ、体表の電場が勝手に膨張を続けている。心拍数が九十を超え、百を超え、なおも加速する。胸骨の裏で心臓が暴れ、肋骨を内側から叩いている。体温が上がっている。指先だけではない。全身の皮膚が薄く発光し始めていた。毛穴の一つ一つから滲み出すように、淡い燐光が体表を這い上がっていく。汗が蒸発する音が自分にだけ聞こえる。皮膚の下を流れる血液そのものが帯電しているかのように、血管の走行に沿って光の筋が浮かび上がっていた。
子供たちが悲鳴を上げた。
その声が、さらに胸の奥の軋みを加速させた。恐怖。この子たちは俺を怖がっている。当然だ。暗闘の中で突然現れた人間が、得体の知れない光を放っている。助けに来た者の姿ではない。新しい脅威だ。そう認識されている。四つの小さな身体が壁際に押し固まり、互いにしがみつく衣擦れの音が聞こえる。一人が泣き始め、その嗚咽が他の子供たちの恐怖を伝染させていく。湿った空気の中に、子供特有の汗の匂いと、長く入浴していない身体の酸味が混じっている。その匂いが、この部屋に閉じ込められていた時間の長さを物語っていた。
——違う。
俺は口を開こうとした。何を言うつもりだったのか分からない。「大丈夫だ」か。「逃げろ」か。どちらにしても言葉にならなかった。喉の奥で空気が詰まり、代わりに体表の電場が一段階跳ね上がった。
壁際にうずくまっていた最年少の子供——七歳か八歳の女の子が、両手で耳を塞いで身を丸めた。薄汚れたTシャツの裾から覗く肘が骨張っていて、その細さが視界に突き刺さった。その手首の異能抑制バンドが、俺の電場に反応して赤く点滅している。過負荷警告。俺が放出する電場が、この部屋の中にあるすべての電子機器を圧迫している。
止めなければ。
止め方が分からない。
訓練で教わったのは「出力を上げろ」であって、「出力を絞れ」ではなかった。資産に求められるのは最大火力の更新であり、抑制は化学薬剤とリミッターの仕事だった。今、リミッターは嵌まっていない。化学薬剤もない。俺の中で膨張し続けるものを、止める手段が何もない。
裸電球のフィラメントが音を立てて焼き切れた。乾いた破裂音と共にガラスの破片が床に散り、焦げた金属の臭いが鼻腔を刺した。完全な暗闘。だが俺の身体が放つ光はむしろ強まり、コンクリートの壁に青白い影を刻んでいた。その影が、揺れている。呼吸に合わせて。いや、呼吸ではない。もっと根源的な、細胞の一つ一つが脈動するリズムに合わせて。
胸の奥で軋んでいたものが、名前を持った。
怒り。
これが怒りだ。俺はその名前を、知識としては知っていた。訓練マニュアルの異常行動リストに記載されている感情の一つ。「任務遂行を阻害する非合理的な衝動。発生した場合は即座にハンドラーに報告し、投薬による鎮静を受けること」。その定義は正確ではなかった。怒りは衝動ではない。もっと構造的なものだ。認識と、判断と、拒絶が同時に発火する複合反応。腹の底から胸郭を通り、喉元まで焼けるように這い上がってくる熱。それは体温の上昇とは別種の熱だった。内臓を裏返しにされるような、暴力的な覚醒。
この子供たちがここにいること。金属のバンドで能力を封じられ、六畳のコンクリートに閉じ込められていること。空のペットボトルとコンビニおにぎりのビニールが散乱する床で、痩せた身体を丸めて怯えていること。それが——間違っている。
間違っている、と感じている。
俺にはその判断の根拠がない。黒箱のマニュアルには善悪の基準が記載されていない。任務の成否だけがあり、正しさと間違いの区別は資産の機能に含まれていない。それでも。根拠のない確信が、怒りという形で全身を燃やしている。奥歯が軋む。顎の筋肉が意志とは無関係に強張り、噛み締めた歯の根元が痛い。この痛みすら、怒りの一部なのだと身体が教えている。
電場の膨張が臨界に達した。
音もなく、壁を突き抜けた。コンクリートの壁を、天井を、床を。俺の身体を起点にした電磁波が球状に広がり、ビルの構造を無視して拡散していく。地下三階から地下二階へ。地下一階へ。地上へ。隣接する建物へ。
半径五十メートル。百メートル。百五十メートル。
二百メートル。
歌舞伎町の一画が沈黙した。ネオンが消え、街灯が消え、信号機が消え、店舗の看板が一斉に暗転した。自動ドアが停止し、防犯カメラの赤いランプが死に、コンビニのレジが沈黙した。空調が止まり、冷蔵庫が止まり、スマートフォンの画面がブラックアウトした。半径二百メートル圏内のあらゆる電子機器が、一瞬で機能を停止した。
停電ではない。破壊だ。
俺のプレクサスが放った電磁パルスが、回路という回路を焼き切っている。干渉ではなく、焼損。これまでの俺の能力は神経信号への干渉——既存の電気活動を乱すだけのものだった。だが今、身体から放出されているものはそれとは根本的に異なっていた。
子供たちの手首に嵌められた異能抑制バンドが、火花を散らして弾け飛んだ。
——何だ、これは。
暴走の奔流の中で、俺は奇妙な明晰さを得ていた。意識が引き裂かれそうな電場の濁流に呑まれながら、同時にその流れの構造が見えている。自分の身体から放出される電磁波のパターンが、単なるエネルギーの暴発ではないことが分かる。
波には秩序があった。
子供たちの手首のバンドだけが破壊され、子供たち自身の神経系には干渉していない。四人の生体電場は乱されることなく、むしろ——安定している。抑制バンドが外れたことで、本来の波形を取り戻しつつある。俺の電磁パルスが、無機物の回路だけを選択的に破壊し、有機体の電気系統には一切触れていない。
意図していない。だが、結果としてそうなっている。
これは干渉ではない。書き換えだ。対象の電気的性質そのものを読み取り、任意のパターンに書き換える上位の能力。生体電場の書き換え。俺の中にあったプレクサスという能力の、その下に隠されていたもの。
知覚の奥で、封じられた何かが軋んだ。記憶ではない。記憶よりもっと深い場所にある、身体が覚えている感覚。この力を以前にも使ったことがある。いつ。どこで。誰に対して。分からない。分からないが、身体が知っている。指先が覚えている。この波形を編んだことがある。誰かを——守るために。
視界が白く塗り潰された。
膝が折れた。コンクリートの床に手をついた。掌に冷たい埃と砂利の感触。指先の光が急速に減衰し、闇が戻ってくる。心拍数が限界を超えて不整脈を起こしかけている。体温が異常に上昇し、全身の筋肉が細かく痙攣している。暴走の代償が、一気に身体に請求されている。
暗闇の中で、小さな手が俺の腕に触れた。
子供の手だった。抑制バンドが外れた細い手首。震えている。だが、その震えは恐怖だけではなかった。抑制から解放された異能がかすかに発動し、微弱な電場が俺の腕を通じて流れ込んでくる。温かい。温かいという表現は体温の差異を示す知覚用語だが、今はそれ以外の何かが混じっている。分類できない温かさ。訓練で学んだどの用語にも当てはまらない、未知の知覚。それは焼け落ちた回路に流れ込む微弱な電流のように、俺の消耗した神経を末端からゆっくりと撫でていた。
「……おにいちゃん」
声が聞こえた。小さな、震えた声。涙で濡れた声。それでも、その声には恐怖とは別の色があった。暗闇の中で光る者に向けて、それでも手を伸ばすことを選んだ子供の声だった。
俺は目を開けようとした。だが、瞼が持ち上がらない。身体中の電気信号が底をつきかけている。意識の輪郭が溶けていく。暗闇の中に沈んでいく。腕に触れた小さな手の感触だけが、沈んでいく意識の最後の係留点になっている。
最後に知覚したのは、怒りの残滓だった。
名前を知ったばかりのそれが、意識の底で静かに燃えている。消えていない。身体が限界を超えても、胸の奥のそれだけが残っている。初めて持った感情が、暗闇の中で最後の灯になっている。
——こいつらを、ここから出さなければ。
その一念だけを残して、俺の意識は途切れた。