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無属性令嬢と始原の魔法

第3話 第3話

第3話

第3話

祝典魔法演習の朝は、嘘のように晴れていた。

王宮の中庭に設えられた演習場は、円形の石造りの闘技場を模した構造で、中央に巨大な魔法陣が刻まれた白い舞台がある。観客席は緩やかな階段状に広がり、貴族たちが色とりどりの正装で席を埋めていく。空は抜けるように青く、風は穏やかで、旗がゆるりとはためいている。魔法演習にこれほど天候が味方することも珍しいと、どこかで誰かが言っていた。

私は案内に従って、見学席に着いた。

演じる側の令嬢たちが通る道とは別の、目立たない階段を上った先。舞台からはやや遠く、けれど全体を見渡せる位置。よくできた配慮だと思う。「あなたは舞台に立てない」という事実を、景観の良さで包んでくれる。毎年のことだから、もう階段の段数まで覚えていた。三十二段。左から七番目の席の石が少し欠けていることも。

席に着くと、日差しが首筋に当たった。春の日差しにしては強い。じりじりと肌を焦がすような熱が、襟元から背中へ伝わっていく。けれど日傘を差す気にはなれなかった。両手を膝の上に置いた。何も持っていない手。魔法を操るでもなく、杖を握るでもない、ただの手。スカートの薄い布越しに、自分の指がひんやりと冷たいのが分かった。

隣の席に、見知った顔が座った。エルザ・フォン・ヴァイセンベルク。伯爵令嬢で、風の属性持ち。薄い金髪を凝った編み込みにまとめ、淡い緑のドレスが初夏の風に揺れている。彼女は私の方をちらりと見て、扇を広げた。白檀の甘い香りが鼻先をかすめる。

「あら、リーゼロッテ様。今年もこちらの席ですのね」

「ええ」

「見ているだけでも勉強になるでしょう? 属性がなくても、理論を学ぶことはできますもの」

微笑みの形をした唇から、刃物のような言葉が滑り出てくる。エルザは意地が悪いのではなく、ただ鈍いのだと思うことにしていた。そう思わなければ、この席に座り続けることができない。

「そうね。とても勉強になるわ」

私は正面を向いたまま答えた。喉の奥が乾いていた。エルザが何か言い足そうとしたが、ちょうど開会の号令が響いて、言葉は拍手の中にかき消された。

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演習が始まった。

最初に舞台に立ったのは、火の属性を持つ子爵令嬢だった。深紅のドレスの裾を翻し、指先から橙色の炎を咲かせる。炎は花の形を取り、次に鳥になり、最後に大きな翼を広げて空に溶けた。観客席からため息が漏れる。拍手。歓声。令嬢が優雅に礼をすると、日差しの中で炎の残り香がかすかに鼻を掠めた。焦げた空気の匂い。甘くはないのに、この場ではそれすら華やかに思える。

次は水の属性。青い光が弧を描き、空中に水の薔薇が咲く。花弁の一枚一枚が陽光を受けて虹色に輝き、客席の上をゆっくりと漂ってから霧になって消えた。冷たい水滴が頬にかかる。隣のエルザが「素敵」と小さく呟いて、扇を胸に当てた。

風、土、光、影——次々と属性が披露されていく。どの演目も美しく、技巧に溢れていた。それぞれの令嬢が舞台の中央に立ち、自分だけの色で空間を染め上げていく。観客はその色に酔い、拍手を惜しまない。

私は見ていた。ずっと見ていた。

膝の上の手が、無意識のうちにスカートの布を握りしめていた。羨ましいとは思わない——と言えば嘘になる。けれどそれ以上に感じるのは、自分がこの場所に「いない」という感覚だった。目の前で色彩が踊り、歓声が渦を巻いているのに、私だけが透明な壁の向こう側にいる。同じ空気を吸っているはずなのに、息が合わない。拍手のタイミングも、ため息の間合いも、周囲とほんの少しだけずれている。

ふと、視線を感じた。

舞台の袖ではなく、演習場の外縁。近衛騎士が等間隔に立つ警備の列の中に、銀灰の髪が見えた。遠い。距離にして百歩以上。けれどあの色を見間違えるはずがなかった。

アルヴィン。

彼は舞台の方を見ていた。私の方ではない。当然だ。任務中に観客席を眺める理由などない。それでも、あの夜の回廊の記憶が右腕に蘇って、心臓がひとつ強く打った。銀灰の瞳。手袋越しの掌。あの夜から何日経っても褪せない熱。指先が無意識に右腕を撫でた。あの時、彼の手が触れた場所。まだそこだけが温かいような気がして、自分の感傷に少し呆れた。

視線を戻した。舞台では新しい演目が始まろうとしている。

——見ているだけ。今日も、見ているだけだ。

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演習が中盤に差しかかった頃、風向きが変わった。

空はまだ青かったけれど、さっきまでの穏やかな風が止み、空気が妙に重くなった。肌にまとわりつくような湿度。季節の変わり目にはよくあることだと、誰もが気にしていなかった。

私だけが、違和感を覚えていた。

舞台中央の魔法陣だった。

演目のたびに術者の魔力に応じて淡く光る装飾陣。本来なら、術者が退場すれば光は消える。けれど今、誰も舞台に立っていないのに、魔法陣の外周部——観客からは見えにくい装飾の隙間に、かすかな光の筋が走っていた。青白い、冷たい光。演目で使われた暖色の輝きとはまるで違う。

気のせいだろうか。

見学席からでは角度が低くて、陣の全容は見えない。けれど、あの魔導書を何年も読み続けた目には、光の流れが不自然に映った。魔法陣の紋様は中心から外周へ、対称的に力を流すように設計されているはずだ。なのに今、外周の一部だけが脈打つように明滅している。まるで——何かが、そこに付け足されたように。

胸騒ぎがした。言葉にならない不安が、みぞおちの奥でわだかまる。けれど「無属性」の私が魔法陣の異常を訴えたところで、誰が耳を傾けるだろう。魔法を持たない者に、魔法陣の良し悪しが分かるはずがない。そう言われて終わりだ。

唇を噛んだ。薄い皮膚の下に血の味が滲む。

何もできない自分がもどかしかった。あの光が気のせいであることを、祈るしかなかった。

演習は続いていく。令嬢たちの華やかな魔法が次々と披露され、歓声と拍手が繰り返される。午後の日差しが傾き始め、影が長く伸びていく。最後の演目が近づいていた。

大演目と呼ばれる締めくくりの演技。複数の属性持ちが協力して、ひとつの大きな魔法を構築する。舞台の魔法陣は最大出力で起動され、その光は王都の街からも見えるという。祝典の花形。観客席が一段と沸き立ち、身を乗り出す人々の気配が空気を震わせた。

五人の術者が舞台に並んだ。魔法陣が起動する。

白い光が中央から放射状に広がっていく。美しい。正規の紋様が正しく輝いている。術者たちの掌から属性の色が流れ込み、白い光が虹の帯に変わっていく。歓声が上がった。

——けれど。

外周部の光が、変わった。

さっきまでかすかだった青白い明滅が、突然強くなった。正規の虹色の光とは明らかに異質な、冷たい光。それが魔法陣の装飾紋様に沿って急速に広がり、中央の光を侵食し始めた。術者のひとりが顔を上げた。眉が寄っている。もうひとりが隣に目を向けた。制御者——魔法陣全体を統括する壮年の宮廷魔導師——の手が止まった。

その顔から、血の気が引いていくのが見えた。

魔法陣が白ではなく、青白い光で染まっていく。紋様が歪み、回転し始める。本来の設計にはない動き。術者たちが足を引こうとしたが、魔力が陣に吸い込まれて離れない。制御者が何か叫んだ。声は聞こえない。けれどその口の形で分かった。

——暴走。

光が膨れ上がった。魔法陣の枠を超えて、白い舞台が丸ごと発光体になる。眩しさに目を細めた瞬間、光が形を変えた。球体に。いや——奔流に。

轟音が空気を裂いた。

魔力の奔流が、舞台から溢れ出した。制御を失った魔力が濁流のように外周へ広がり、警備陣を薙ぎ倒し、そして——こちらへ。

観客席に向かって、青白い魔力の壁が迫ってくる。

悲鳴が上がった。人々が立ち上がり、逃げようとして椅子を倒し、互いにぶつかり合う。私の隣でエルザが声にならない叫びを上げた。空気が焼けるように熱い。肌がぴりぴりと痺れる。髪が逆立ち、鼓膜の奥が鈍く軋む。光が視界を白く塗りつぶしていく。

逃げなければ。そう思った。足が動かなかった。

魔力の奔流が、あと数秒でこの席に届く。

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